第3話


         ※


 霧香の意識が明瞭になったのは、山路に助手席に乗せられた時だ。


「おう、気がついたか」

「山路さん、ごめん、私……」

「謝るこたあねえよ。俺の任務の半分はお前さんのお守りだからな。俺の方こそすまなかった。一緒に突入していれば――」

「どうだろうね」


 自嘲気味に唇を歪め、肩を竦める霧香。シートベルトに手をかけながら、窓越しにすっと周囲を見遣る。


「一台しか来てくれなかったの? 機動隊の装甲バン」

「ああ。このところ、治安が酷いのは知ってるだろ? 治安維持のための市街警備やら待機任務やらで、皆それなりに忙しいのさ」


 運転席に腰を下ろした山路は、今では古風なエンジンのかけ方をした。金属製の鍵を使ったのだ。

 霧香は足元がびちゃびちゃなのに気づき、不快そうに頬を引き攣らせたが、幸い山路には見えていなかった。


 霧香や山路が命懸けで守っているこの街は、『ポート・トーキョー』と呼ばれている。まあ、命を懸けるにしては今日の敵はあまりにお粗末だったが。

 この街は完全な埋め立て地で、かつての東京湾を大幅に埋め立てて建造された。街全体に耐震設計が施され、埋め立て地としてはあり得ない規模の建造物(霧香が飛び降りを決行したあのビルなど)が建てられている。


 この埋め立て地の南部は、オートメーション化された貿易港となっており、また、富裕層が居住しているので治安はマシな方。問題は北部、すなわちかつての日本の首都・東京に近い部分だ。


 何故北部は治安の悪い、貧困街となっているのか? 理由は単純で、眺めが悪いからだ。

 今霧香たちがいるのは、ポート・トーキョーの西部、旧神奈川県横浜市の近辺。ここもかつては海だった。そんな場所からでも、眺めの悪さは否応なしに実感させられる。

 全ての元凶は、落下中に霧香の視界をよぎった巨大な十字架だ。


 あれは厳密には縦長の、三百メートルほどの巨大な石板――通称『モノリス』――に、巨大な槍が綺麗に突き刺さり、たまたま十字架のようなシルエットになったというだけの話だ。


 モノリスの正体は一体何なのか? 三十年前に現れて以降、ずっと議論の種になっている。

 一つ確かなのは、初めて現れた時、その土地――アメリカ合衆国イリノイ州・シカゴ――をほぼ三十分で灰塵に帰すだけの破壊力を有しているということだ。


 その後、ロンドン、北京、シドニー、ヨハネスブルクといったように、何の規則性も法則性もなく、強いて言えば人口密集地を狙って、モノリスは突如として現れ、そして消えていった。


 人類はパニックに陥った。

 通常兵器はもちろんのこと、核兵器まで無効化するモノリスの表面硬度に、誰しもが恐れを為した。

 そして街一つが丸々反重力作用によって持ち上げられ、叩きつけられて瓦礫の山となる光景に、戦慄しない者はいなかった。


 そんな中、この日本で――既に大阪と福岡は壊滅状態にあったが――、極秘裏に開発されていた兵器の運用試験が行われた。


 その名を『グランド・テック』という。言うなれば、三百メートル大の超巨大人型機動兵器だ。

 しかし、それが察知されたのかはたまた偶然か、モノリスはまさに試験稼働中のグランド・テックの前に現れた。


 一瞬で火の海と化す東京。満足に動けず、モノリスの標的にされそうなグランド・テック。そんな機体が辛うじて使用したのが、名もない一本の槍上投擲兵器だ。


 その槍は、見事にモノリスの中央よりやや上に突き刺さった。反対側に突き出したものの、通り抜けはしなかったため、垂直に交差したモノリスと槍の姿は十字架のように見えるのだ。


 どうやらこれが、モノリスにとっては致命傷となったらしい。活動を停止したモノリスとグランド・テック。

 人類側は、この二体の機密保持と再起動防止のために、超高硬度な電磁ワイヤーでこれらをぐるぐる巻きにした。

 しかし、それでもモノリスの方はまだ何らかの可視光を発しているらしく、天気のいい夜には紫色に薄ぼんやりと輝いて見える。


 それを紫色の薔薇に喩えて『ローゼン・クロス』と名付けたのは、どこのジャーナリストだったか。

        

         ※


「霧香、何を考えてる?」

「別に」


 山路の気遣いを一瞬で捻り潰す霧香。しかし、山路も山路でこんな扱いには慣れている。

 霧香は片肘を窓際について、その掌に自分の顎を載せていた。山路がそちらを見遣ると、窓ガラスに映った霧香と目が合った。

 彼女が時折見せる無感情な、淀んだ瞳の色は、山路に霧香の父親・雨宮兼嗣を思い出させる。


 まさか娘が刑事になって、しかも自分とバディを組むことになろうとは、きっと思いもしなかっただろうに。ハンドルを握りながら、山路は目を細めた。


 いずれにせよ、仮にモノリスがワイヤーの拘束を破り、活動を再開したら、餌食になるのは身近な人々からだ。だからこそ貧困層はポート・トーキョーの北側に集中することになる。


 奇妙なのは、警視庁の刑事という、この時代では高給取りと言ってもいいはずの霧香が、どうして北部地域を個人的な居住地に選んだのか、ということだ。


 もう少し南部なら、警視庁庁舎にも近くて各所へのアクセスもよかろうに。

 そう思う山路だったが、どうせ黙殺されるだろうと思って尋ねてみたことはない。


「さて、もうじき警視庁に到着だ。着替えろとまでは言わんが、せめて見栄え良くしろよ」

「へいへい」


 外見。任務中以外では、これほど霧香が頓着しないものはない。

 早い話、彼女にとって服装の選択とは、一部の偽装工作を除いては邪魔者にすぎない。その点、山路は自分も同じ傾向があるため、正装しろと強い言葉で迫ることはできない。


「それでも、コンバットスーツを着たまま寝るのはどうかと思うがな……」

「ん? 山路さん、何か言った?」

「いや、何でもない」


 半年ほど前、たまたま連絡を取れなくなった霧香の部屋に突入した山路が見たもの。

 それは、家具のほとんどない殺風景なフローリングと、ベッドだけが置かれた寝室だった。


 連絡が取れなかったのは、霧香が『刑事見習い』で緊張感が欠けていたから。しかし意気込みだけはあったので、起きたらすぐに出動できるようにと、コンバットスーツ一式を纏っていた。


 常日頃、公私問わず霧香の世話係を自認する山路にとっても、なんとも形容しがたい光景であった。

 などと考えているうちに、ロールスロイスは警視庁地下の駐車場にするすると入っていった。


         ※


 警視庁警備部SCB課課長室。

 地上三十階にその部屋はあった。部屋の主の要望で、四方の壁と天井は巨大なディスプレイになっており、星空が映し出されている。まるでプラネタリウムだ。


 霧香と山路が生体認証を受けると、すぐに扉は開いた。


「おっ、お疲れだね~、お二人さん!」

「はッ!」


 扉の反対側、部屋の奥中央に位置した執務机。それを挟んで、部屋の主は賑やかな声をかけた。

 

 華山凛音、十三歳。やや長めの黒髪をツインテールで括り、らんらんと目を輝かせた純粋無垢(に見える)少女。

 モノリスとグランド・テックの最終決戦が行われた後、いわば戦後に生まれた世代で、義務教育も高校も大学も飛び級を連発し、この歳で警視庁警視にまで上り詰めた紛れもない天才である。


 山路は霧香を小突き、姿勢を正すように促した。が、華山もまた細かいことには頓着しない性分だ。

 この場では自分がアウェーか。そう思って、山路は小さく溜息をついた。


「よいしょっと」


 華山は、正面に配置していたディスプレイを執務机のわきにどけるようにスライドさせた。よくもまあ二、三台のディスプレイに同時に目が通せるものだと、山路は感心せざるを得ない。


「まずは被害報告から訊いちゃおうかな」

「はッ、こちらの損傷は零、突入に当たった我々二人にも、負傷はありません。しかし――」

「ごめんねえ、ハナちゃん! また山路さんに迷惑かけちゃった」

「あらま、どしたの?」


 ずいっと身を乗り出す華山。

 そんな彼女に向かい、霧香は旧友と親交を温めるかのように気楽な調子で話し出す。

 華山も華山で、執務机に置かれたポテチやらチョコレートやらをぽいぽい口に放り込んでいる。


 霧香は大雑把に説明した。と言っても、重要なのは自分が膝下まで水に浸かり、意識が朦朧としたあたりまでだ。そこから先は、機動隊の突入について山路が詳細に述べた。

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