彼女との始まりは

砂鳥はと子

彼女との始まりは

 あれは高校生の時だった。幼なじみのりっちゃんと一緒に、学校帰りにファストフード店によった。そのお店は学校から近く、私たちは気が向けばよく寄り道していた。


 その日もいつものように二階の奥の席を選んで、注文した商品をりっちゃんが取りに行ってくれた。


 戻って来たりっちゃんは何故か興奮気味で、トレイをテーブルに置くと、身を屈めて、私に耳を貸せと身振り手振りで伝える。


 顔を寄せ合い、りっちゃんは「衝立の向こうに涼真りょうまくんいるよ」と教えてくれた。


 涼真くんは中学時代からの同級生で、私は密かに彼に片想いしていた。


 衝立の向こうへと意識を向ければ確かに涼真くんの声がして、私は途端に心臓が慌ただしくなるのを感じる。


紗雪さゆき、声かけに行ってみる?」


 ひそひそ声でりっちゃんに提案されたけど、私は首を横に振る。


「それは、よくないよ。邪魔したら悪いし」


 とてもじゃないが、勇気は出なかった。


 りっちゃんもそんな私を理解してくれて、それ以上は何も言わなかった。


 私たちはただ衝立をチラチラと見ながら、ハンバーガーに齧りついた。


 涼真くんたちの何気ない会話がこちらまで聞こえて来る。


「ところで涼真さぁ、最近、大野おおのとよく話してるよな。もしかして好きだったりするわけ?」


 突然私の名字が聞こえて、体がびくんっと跳ね上がる。りっちゃんも驚いたように私を見ていた。固唾を飲んで私は耳をそばだてた。


「いや、全然。大野は話しやすくてすげーいい奴だけど、『そういう好き』じゃないんだよなぁ。何ていうかマスコット的な?」


 涼真くんの明るく快活そうな声音は、私にとっては嬉しくない言葉を並べる。


 マスコット⋯。マスコット⋯。マスコット⋯。


 私は女の子としては見られてないんだ。


 周りの子たちに比べていつも背が低くて小さい私は、いつもそんな扱いだ。


 それを嫌だと思ったことはそんなにないけど、好きな人からもそう思われていたなんて、私はもうハンバーガーの味も感じなくなってしまった。炭酸がよく効いたコーラが痛く感じた。


 こうして私は思ってもみない形で失恋した。


 どうせ誰かを好きになっても、子供っぽい容姿の私なんて好きにならない。


 だから私ももう誰も好きにならないでおこうと誓った。

 

 


 そんな私だったけれど、大学生になる頃には頑張っておしゃれして、少しでも大人びた自分になろうと躍起になっていた。


 そのかいがあったかは分からないけれど、彼氏もできた。


「紗雪みたいな可愛いタイプが好きなんだ」


 そう言ってくれた。


 私も他の子たちみたいに楽しい恋をする大学生活に、ちょっと浮かれていた。


 でも秋風が吹き始めた頃、バイト帰りの私は見慣れた後ろ姿を見つけた。彼氏だった。


 声をかけようとして、彼の隣りに同い年くらいの女性がいることに気づく。私の知らない女性ひとといる。


(お姉さんや妹だよね)


 ざわざわする自分に言い聞かせたけれど、クリスマス前に私は振られた。


「紗雪は可愛いけど、何か付き合ってみたら違ったんだよな。彼女として可愛いんじゃなくて、妹というか、ぬいぐるみみたいな可愛いさというか。愛でたい気持ちはあるんだよ? でもさ異性としては違うというか。紗雪とは友だちでいたいんだ」


 人の良さそうな顔を困惑でいっぱいにして、彼はそう言った。


 隣りにいた女の子と比べたら私なんて子供っぽくて、魅力なんてないんだろうなって悟った。


 背伸びしても背伸びしても、周りのキラキラした女の子たちには届かないし、敵わない。


 ただただ惨めな気持ちばかりが降り積もって、彼と別れて私は改めてもう恋なんてしないって決めた。

 

 


 春が訪れて大学二年生になり、私はある人と出会った。それが乃愛のあちゃん。


 先輩にそそのかされて、私が所属する茶道部に迎え入れるべく声をかけたのが知り合ったきっかけ。


 私が声をかけた時にはすでに色んな部活やサークルから誘われたらしく、手にたくさんビラをもっていたっけ。


 すごく背が高くて、私より30センチも高くて、何だかモデルさんみたいな女の子だった。


 シュッとしてかっこいいのに、笑うとすごく柔らかな雰囲気で。


 絶対に茶道部になんて来ないだろうなって思ってたのに「先輩に興味持ったので入部します」って私に言って。


 でもまたいつものマスコットみたいだとか、ぬいぐるみみたいだとか、この子もそんなことを言うのかと思ったら憂鬱で仕方なかった。


 だから私は思い切って乃愛ちゃんに聞いた。


「あの、私のどこに興味を持ったんですか? 平均より小さいからですか?」


 大きな乃愛ちゃんからしたら、私は面白い生き物にでも見えるのって、内心悲観して。


 でも乃愛ちゃんは真っ直ぐ私を見つめて


「先輩の安心感のある声を聞いて、この部ならやっていけそうだなと思ったので。何か頼りになりそう、みたいな。そんな理由じゃダメですかね? ダメですよね?」


 捨て猫がおどおど見上げるみたいに、乃愛ちゃんは私を見ていた。


(頼りになりそう、安心感がある⋯⋯、私が?)


 そんなことを言われたのは初めてで、信じられなくて、けど乃愛ちゃんは嘘をついてるとも思えない真剣な眼差しで。


 私もこの子となら楽しくやっていけるかもって思った。


 きっとお互いに言葉や理屈では説明できない直感のようなものが働いたんだと思う。

 

 



 それから気づけば私たちは仲良くなって、部活以外でも顔を合わせることが増えた。休日は二人で出かけたり、同じバイトをしたり。一緒の時間が増えつつあった。


 あんまりに乃愛ちゃんといるのが楽しくて、人間恋なんてしなくても友だちがいたら幸せなんだって実感した。


 乃愛ちゃんの20歳の誕生日は私の家で二人でお祝いすることになった。


 私はあまりお酒は得意じゃなかったけど、乃愛ちゃんがチューハイ飲んでみたいって言うから、二人で今日はお酒飲もうって約束した。


 ケーキも用意して、何十年も一緒にいる友だちみたいに、私たちの空気はとても馴染んでいた。


 楽しい、楽しい二人だけの時間。


 けれど乃愛ちゃんは初めてのお酒に眠くなってしまったみたいで、ラグマットに沈んでしまった。


 私は眠る乃愛ちゃんに毛布をかけながら、不思議と満たされていて。


 すやすやと赤ちゃんみたいな寝顔の乃愛ちゃんをずっと見つめていた。これが何故だか全然飽きない。


「私、乃愛ちゃんのこと大好きすぎかも」


 ぽつりと本音がこぼれ落ちる。


 それに反応したみたいに乃愛ちゃんの目が開いて、横になったまま私を見上げていた。丸くて優しげな瞳が少しとろんとしていて、可愛い。


「私も紗雪先輩のこと好きですよ」


 あまり回ってない舌っ足らずな声が私の耳を撫でる。


「起きてたの、乃愛ちゃん。今の聞こえてた? 恥ずかしい⋯⋯。私気持ち悪いこと言ったよね? でもね、私乃愛ちゃんと過ごす時間が好きなんだ。毎日一緒にいるのに、好きって気持ちが減るどころか増えてるんだよ」


「へぇ、紗雪先輩もそんこと思ってくれてたんですね。全然気持ち悪くなんてないですよ。私も紗雪先輩、大好きですから」


「えへへ、それじゃ私たち同じだね。同じ気持ちなんだね」


「そうですね⋯⋯。でもちょっと違うかも。私は紗雪先輩はもっとずっと大切で。一生かけて大切にしたいって思ってて。うーん、これは私の方が気持ち悪いですねぇ」


「そんなことないよ? 一生かけてなんて、私にそこまで価値あるか分からないけど」


「私にとっては紗雪先輩はそういう存在です。『恋』ってそういうものじゃないですか?」


 乃愛ちゃんは真面目なトーンで、逸らせないくらい真摯な視線を私に投げる。


(恋? 今恋って言った? 恋ってどういうこと?)


 予想外の単語に私はびっくりして、乃愛ちゃんを見つめ返した。


 恋なんてもう自分には縁がなくなった、もう捨ててしまった言葉だったから。


「待って、乃愛ちゃん。恋って、好きってことだよね? 恋愛の好きなの?」


 私は思わず彼女の肩を揺すっていた。


「そうですよ。それ以外にありますか?」


「⋯⋯でも私たち女同士だし。それに私みたいに小さくて子供っぽい見た目なんて普通は恋の相手になんてならないでしょ?」


「どうしてですか? 紗雪先輩みたいな見た目だと恋の相手にならないなんて誰が決めたんですか? 私は先輩がいつも背伸びして一生懸命高い所に手を伸ばすところとか、たまらなく愛おしいですよ。全部、紗雪先輩の全部が愛おしい」


「私が愛おしい? マスコットとかじゃなくて?」


「マスコット??」


 乃愛ちゃんは急に変な言葉を聞いたみたいに首を傾げる。


 愛おしいなんて初めて言われたことで、私はドキドキして、私の乃愛ちゃんを大好きな気持ちも、もしかして恋なのかなって、そわそわして。


 どくんどくんと脈打つ心臓の音を意識してたら、乃愛ちゃんは目を閉じていた。


(これってもしかして、キスする合図?)


 一人でバカみたいに舞い上がりながらも、ここで応えないなんて人として駄目だと思ったから、勇気を振り絞って私は乃愛ちゃんに唇を近づけた。


 そしたら聞こえてきたのは寝息だった。


(寝ちゃっただけ!?)


 私だけわたわたしてバカみたい。


 結局乃愛ちゃんは朝まで眠りこけてしまった。


「紗雪先輩どうしよう⋯、お酒を飲んだ後の記憶がないです! お酒怖っ⋯」 


 悲しいことに目覚めた乃愛ちゃんは昨日のことを何も覚えてなかった。けろっとさっぱり全部忘れてた。


 ひどいことに乃愛ちゃんがアプローチしてくれたのはこれっきりで、私が大学卒業するまで何も言って来なかった。


 それでも私たちは今上手く行ってるのだから、出会いなんてどう転がってどうなるか分からないものだ。

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