ホモ・キュブリスト4

 ある日の事。その日は少しばかり、群れの様子が違っていた。

 まず、群れの雄達の行動。何時もであれば彼等は朝日(天井の証明が付いたタイミング)が出てから一〜二時間後には狩りに出る。しかし今日の彼等は何時まで経っても狩りには行かず、まだ住処である倒壊した工場瓦礫の下に広がる洞窟内にいる。

 また、雄達は派手な装飾を身に纏っていた。鳥の羽飾りで作った冠を被り、首からは骨で作ったネックレスを纏っている。その手には槍が握られていたが、槍は羽飾りや骨で綺羅びやかに飾られた、美しさは兎も角実用性に欠けるものだった。

 雌達も同じく派手な格好をしている。こちらが頭に付けるのは、獣の頭蓋骨で出来た帽子。指と手首に骨の装飾品を付け、着飾っている。手に持つのは槍ではなく杖。こちらも獣の骨で作られ、てっぺんにはホモ・キュブリストの頭蓋骨を乗せたものもあった。

 そして一番派手な格好をしているのが、ルーシー。

 彼女の頭には羽飾りの装飾品があり、首にはネックレスがある。手には杖を持ち、腕輪も嵌めていた。雄と雌両方の装飾品を身に纏っており、綺麗というよりごちゃついた印象を受けるだろう。また、頬や額に黒い紋様が入っている。これは群れの雌達の血で描かれたもの。乾燥して黒くなったのだ。

 誰もが普段らしからぬ格好をしていた。


「……ファー、フェアーデ!」


 そして最年長の雌が号令を出すと、雄と雌、それとルーシーは歩き出した。

 住処である工場跡地の瓦礫洞窟から、ルーシー達は外に出る。疎らな草を踏み締めながら、四十六体の群れが大地を進む。

 この歩みの間、群れはわいわいと賑やかに会話していた。会話内容は極めて他愛ないもの。狩りの時、このような無駄話は基本的にしない。獲物に気付かれてしまうからだ。けれども彼等の誰一人としてそれを咎めない。

 それどころか道中ガレキブタ(工業区画に生息しているもう一種のブタ。ホモ・キュブリストが好んで狩る獲物の一つ)を視界内に捉えたが、誰もそれを指摘せず、横を通り過ぎる。

 この歩みは狩りではない。そもそもルーシーの群れでは、狩りに雌は同行しない。今の彼女達は別の目的を持っている。

 その目的は、歩き始めてから一時間後に明らかとなった。


「ヤファ」


 止まれ、を意味する最年長の雌からの言葉に、群れ全体がぴたりと止まる。ルーシー含めた全員が、黙って正面を見つめた。

 そこには、三十五体のがいた。

 対面した群れはルーシー達の群れと向き合っている。互いに視線を交わすと、両者は少しずつ歩み寄った。

 五メートルほどの距離まで近付いたところで、共に立ち止まる。次いで群れから一体ずつ前に出た。歩み寄ったのはルーシー側の群れは最年長の雌、相手側も最年長の雌個体である。

 二体は互いに触れ合うところまで近付くと、同時に肩を抱き合う。

 それを合図として、ルーシーが前に出た。それと相手の群れからも、雄個体が一体前に出てくる。どちらも自分の群れの最年長個体の左を通り、そして相手の群れの前に立つ。

 ルーシーを前にした相手の群れは、雄達がぞろぞろと歩み、ルーシーを取り囲んだ。それからルーシーの身に纏う装飾を一つ一つ取っていく。ルーシーはそれに抵抗する事なく、大人しく全ての装飾品を相手に渡した。

 更にルーシーは着ていた獣の服も脱ぎ、裸を雄達に見せる。

 すると雄達はルーシーの前から退いた。開けた包囲の先にいたのは、一体の若い雄。逞しくも傷だらけの身体をした、勇ましそうな成体の雄だ。こちらも服は一切纏わず、生まれたままの姿をしていた。

 雄はルーシーの前に片足を付いて跪く。ルーシーはそんな雄の額に手を触れ、雄はルーシーの手を掴んで立ち上がる。二体は抱き合うように並び、ルーシーの群れの方を見遣る。

 ルーシーの群れでも、ルーシーが体験したのと同じ行為が行われていた。雌雄をそっくり入れ替えた形ではあるが。


「バンバーマ」


「バンバーマ」


 最年長個体同士は、感謝を意味する言葉を掛け合い、再び抱き合う。

 やがて最年長の個体達は離れ、自分の群れに戻る。群れはくるりと踵を返し、それぞれ離れていく――――他所の群れに行ったルーシーは、そのまま他所の群れと行動を共にして。

 仲間達と別々の方に進んでいるが、これで良い。何故なら先程の行動により、ルーシーは新たな群れの仲間入りを果たしたからだ。

 今し方行っていたのは婚姻の儀式。

 これは自分の群れと相手の群れから一体ずつ、繁殖の適齢を迎えた個体を交換するというもの。交換されるのは必ずしも雌雄ではなく、雄同士、雌同士という場合もある。

 交換される個体は派手な装飾品を身に着けた状態で『譲渡』される。装飾品には「我々はこの個体をこれだけ大事にしてきた」という意味があり、これを受け取る事で相手は了承を示す。そして装飾品と服を渡した後、裸で現れた異性がつがいとなる個体。この番と抱き合う事で、婚姻関係の成立を双方の群れに示す。 

 婚姻が結ばれた後、譲渡された個体は生まれた群れに戻る事はない。新たな群れの一員として生涯を過ごす。そのため群れの者とは、基本的には関わりがなくなる。ルーシーの群れで雌達の持つ杖に頭蓋骨が乗っていたが、あれらは祖先の骨。仲間の門出を祝い、最後の別れを祖先に伝えるためのものだ。

 このような文化のある婚姻の儀式だが、三つの合理的働きがある。

 一つは近親交配を避けるため。群れの中だけで繁殖を繰り返せば、長い年月を掛ければやがて全員が近親者となってしまう。近親交配を行うと潜性遺伝が表面化しやすく、子孫を残す上で不都合が大きい。また多様性が少なくなり、伝染病などが蔓延しやすくなる。そのため繁殖相手は、自分と血縁上の関係がない個体が望ましい。

 生物種によっては血縁者以外を探すリスクの方が大きい(天敵などで死ぬよりは近親者と子孫を残す方が『マシ』である)場合もあるが、ホモ・キュブリストはそこまで死亡率の高い生物ではない。近親交配を避けるため婚姻を行うのは、外を出歩くリスクに十分見合う。

 二つ目の働きは、群れの性比を調整する事。

 ホモ・キュブリストの幼体は、約一対一の性比で生まれる。実際は雄の方がやや出生率が高いが、雄は狩りなどで死亡する可能性が高いため、繁殖可能な成体では一対一と見て問題はない。

 とはいえ生まれる性別云々はあくまで確率の問題だ。必ずしもバランス良く生まれるものではなく、雌雄の比率が偏る時も稀にある。その時群れの中だけで繁殖相手を探すと、多い方の性別が余ってしまう。雌が少ない場合どれだけ雄が頑張っても妊娠数は増やせない。雌が少ない分には雄が子を多く作れるが、生まれる子を育てるには食糧が必要だ。狩りを担う雄の数が少なくては食糧を賄いきれず、生まれた子の大半が餓死してしまう可能性が高い。どちらの性別に偏っても、群れの規模が縮小し、一気に衰退・消滅する恐れがある。

 ルーシーの群れもこの問題が起きていた。雌の方が少し多くなっている。少しの差であるが、雄の数が少ない分食糧の供給がやや不安定だった。この婚姻で他の群れから雄が譲渡されたため、ルーシーの群れは安定的な食糧を得られるだろう。ルーシーが譲渡された群れも、雄がかなり多い。生まれる子の数が増え、群れの存続が可能となる。双方の群れの問題が一気に解決した訳だ。

 そして三つ目の利点が、『心理的』な結び付きである。

 ホモ・キュブリスト達の生活はお世辞にも豊かなものではない。正しく原始の生活であり、時には飢えによる生命の危機もある。積極的な略奪は反撃の危険性があるので好まないが……生死が関われば話は別だ。他の群れを殺し、『共食い』してでも生き延びようとする事は珍しくない。

 どこを襲うか? となった時、婚姻の儀式を行った群れは対象に選ばれ難い。婚姻として譲渡された個体は、これまで群れの仲間として暮らしてきたのだ。恐らくその個体、そしてその子供を殺す事になると分かるだけの知能を持つホモ・キュブリスト。おまけに群れを維持するため強い結束を育ててきた彼等に、仲間殺しは非常に強いストレスとなる。

 故に婚姻関係を結ぶと、襲撃を受け難い。戦いを避けることが出来、群れの存続に役立つのだ。ヒト文明で例えるなら友好条約に近い。無論心理的障壁に過ぎない以上絶対の抑止力ではなく、また破ったところで政治的なペナルティもないが、十分抑止効果はある。

 これらの利点はあくまで文化であり、生態ではない。しかし利益を得られる事で群れは繁栄し、そこに所属する『遺伝子』を増やす事が出来る。遺伝子上に婚姻の儀式はないが、学習により学び、さながら形質のように次世代へと受け継がれていく……

 文化もまた、過酷な自然界や競争を生き残るための戦術の一つなのだ。ヒトの多くは、それを忘れているようだが。

 しかしホモ・キュブリストはそれを思い出している。

 だからこそ彼女達は、ヒトが滅びた世界でも未だ生き延びているのだ。これまでも、そしてこれからも――――

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