オオトラネコ3

 キューブの時刻が十八時を超えた。

 これ以降、天井の照明は十五分掛けて徐々に暗くなっていく。その後十二時間は夜間時間帯となり、翌朝六時まで暗いままだ。

 ムギが暮らす草原も今やすっかり暗くなった。

 夜になった事を、ムギは瞼の裏にある眼球で感じ取る。ゆっくりと目を開け、天に広がる(夜間用照明による)星空を見て今が夜だと確信した。身体を起こし、一度背伸びを行う。


「ク……カハアァ……」


 最後に大きな欠伸をして眠気を飛ばす。

 十四時間以上の睡眠により、ムギの身体は完全に健康的で、体力に満ちた状態だ。反面胃袋は空になり、空腹が脳を刺激している。

 狩りの本能が呼び覚まされる。昼間はずっと閉じていた瞼が力強く開かれ、鋭い眼光で世界を見渡す。

 いよいよ狩りの時間だ。


「ン、ンンゥゥ……」


 なお、狩りをする前にムギはしゃがみ込んだが。更に目を細めながら息み……肛門からぷりぷりと、黒い便を出した。

 いきなりの排便行為。なんともと感じるかも知れないが、これはオオトラネコの基本的かつ合理的な生活サイクルだ。彼等は睡眠中に食べた物の消化を行い、目覚めた時に全て排泄する。

 寝ている間に消化を終えられるのは、彼等の消化器官が非常に短いため。十二時間もあれば食べたものは便へと変わっているだろう。

 消化管の長さは種によって異なり、肉食獣は短い傾向がある。何故なら肉というのは、植物と比べ消化は非常に容易いからだ。大量の消化酵素に浸したり、胃の中で発酵させたり、腸内細菌に分解を手伝ってもらったりする必要はない。むしろ必要以上に消化酵素を出すのはエネルギーの無駄であるし、巨大な消化器官は維持するにも多くのエネルギーを使う。またその大きさ故に身体の他の組織……例えば筋肉など……が入るスペースを圧迫する。優秀な消化器官と強靭な肉体は同居する事が困難なのだ。強大な捕食者であるオオトラネコに優れた消化管は必要なく、持とうとすればいらぬ苦労を背負い込むだけ。

 また、体内から不要なものを排泄する事で身体を身軽に出来る。更に空腹感が強まり、狩りに対する衝動を強めるという働きもあった。


「フゥゥゥゥー……」


 排泄を終えたムギは一息入れると、再び立ち上がる。これでようやく全ての準備を終えた。ムギは獲物を探すため、草むらの中を歩き出す。

 獲物を探す時、オオトラネコは二つの感覚を利用する。

 一つは嗅覚。大気中を漂う臭いを頼りにすれば、獲物がいる大凡の方角を把握出来、更に種類もある程度特定可能だ。オオトラネコの成体に恐れる必要のある敵はいないが、しかし獲物の選別は必要である。空腹で死にそうな時に、腹の足しにもならない小さな生き物を追っている余裕はないのだから。

 また臭いの強さによってはかなり遠くまで広がるため、数キロ先から獲物の存在を把握する事も出来る。キューブ内は閉鎖された狭い環境ではあるが、それでも一個体が歩き回る分には十分広い。獲物を探して歩き回るオオトラネコにとって、非常に合った感覚と言えよう。

 しかし嗅覚には一つ、弱点がある。

 発生源の正確な位置を把握するのに、時間が掛かる点だ。臭いは空気の流れに乗って飛んでくるため、地形や障害物により曲がりくねって進む。発生源に近ければ近いほど臭いは濃くなるが、それも空気の溜まり場や滞在時間などで変化するため、完璧な指標とは言えない。

 食べ物が植物のように動かないものであればなんの問題もない。ゆっくり、うろうろしながら、着実に距離を詰めれば良いのだから。だがオオトラネコの獲物は動き回る動物だ。距離を詰めようとうろうろしている間に、獲物はその場から離れてしまう。

 そこで役立つのがもう一つの感覚、聴覚だ。音は直線的に飛び、発信源を正確に示す。距離こそあまり遠くまで届かないが、正確さは嗅覚よりも遥かに上だ。

 嗅覚で大凡の場所を掴み、聴覚で正確な座標を捉える。二つの感覚の合わせ技により、オオトラネコは獲物を探す。

 ちなみに、視力は殆ど使わない。オオトラネコが暮らす場所は草原であり、視界いっぱいを草が埋め尽くしている。どんなに優れた視力を持とうと、見えるのは手前十センチまでの距離が精々。おまけに活動時間は光がない夜間。この条件下で視力はほぼ役には立たない。

 オオトラネコの祖先であるネコも視力はかなり悪く、ヒトで言うところの〇・一〜〇・二程度だった。オオトラネコの視力は更に低下し、〇・〇五程度しかない。余程の至近距離でなければろくに見えないが、しかし草むらでどうせ遠くまでは見えないのだ。視力が低くても問題ない。


「……………フウゥゥゥ……」


 草むらを歩くムギも、オオトラネコ自慢の鼻と耳で獲物を探している。そして彼の鼻は獲物の臭い……獣の体臭を感じ取っていた。

 臭いを辿るため、オオトラネコは鼻を頻繁に動かし、臭いを取り込む。頭を左右に動かしながら臭いの濃淡を嗅ぎ分け、進むべき道を探す。

 そしてぴんっと立てた耳は、ついに草むらを掻き分けて進む『何か』の音を聞き取った。

 獲物が近くにいる。それを察知したムギであるが、しかし即座に音の方に跳び掛かろうとはしない。相手の音が聞こえたという事は、自分が出した音も相手に聞こえている可能性が高い。衝動的に跳び出しても、警戒心剥き出しの獲物は簡単には捕まってくれないだろう。そこでまずは一旦身体の動きを止め、自分の気配を消す。

 獲物側も警戒しているため、すぐには音を出さない。ここは根比べだ。ムギは息を潜めてじっとする。

 ……一分ほど息を潜めていれば、またカサカサと草を掻き分ける音が聞こえてきた。


「……………」


 音をしっかりと聞き取り、獲物がいる正確な方角を知る。しかしどうやらまだ距離があるらしい。ここで襲い掛かっても逃げられる可能性が高い。

 オオトラネコの場合、十メートルまで近付ければ狩りの成功率はかなり高くなる。ムギと件の獲物までの距離は凡そ二十メートル。ここから十メートル程度接近しなければならない。

 ここで役立つのが、祖先から受け継いだ足の構造――――肉球だ。

 オオトラネコの祖先であるネコにも肉球は存在していた。ネコを飼育していたヒトにとってそれは、柔らかくて弾力のある触り心地の良いもの、という程度の代物。だが当のネコ達にとっては、自然界で生き抜く上で役立つ身体のパーツである。

 肉球の役割は、着地時の衝撃を和らげる事。これにより大地を強く蹴ったり、或いは高いところから飛び降りたりしても、足にはあまりダメージが入らない。そして衝撃を吸収する事で、足音も鳴らなさない。足音を消せるという事だ。

 またオオトラネコは祖先と同じく、爪を引っ込める事が可能である。硬くて丈夫な武器である爪だが、歩く際にはモノにぶつけて音を出すなど、移動時には邪魔だ。これを格納する事で静かに移動出来る。

 数々の身体的特徴により、オオトラネコは音を極力出さないよう動ける。とはいえ全ての音が消せる訳ではない。

 例えば、草と草が擦れ合う音。こればかりはどうやっても消せない。しかしこの不自然な音を鳴らせば、獲物は接近する捕食者の存在に気付くだろう。そこでオオトラネコは自然の力を利用する。

 それは風だ。


「……………」


 キューブ内は空調設備により、一定周期で風が吹く。決して強い風ではないが、草が揺れ動く程度の勢いはあった。

 この風が吹いたタイミングでムギは前進する。草を掻き分けて進めば音が鳴る。だが風によって周りの草が揺れ動けば、紛れて誤魔化す事が可能だ。これで獲物に接近を察知され難くなる。

 風が止むタイミングに合わせ、ムギも立ち止まる。獲物が鳴らす音で場所を捕捉し続けながら、少しずつ、少しずつ、距離を詰めていき……

 だが、十メートルまで近付く前に獲物が動き出した。

 風が止まるタイミングは一定ではなく、動いている最中に風が止む事はある。風よりも止まるのが遅れれば、余計な草の音が鳴る。それを獲物が聞き付ければ、接近するムギの存在に気付く。

 天敵が傍にいると分かっていて、逃げない被食者などいない。

 そして気付かれた以上、ムギとしても何時までも隠れている理由はない。だから彼は動き始めた獲物目掛け、全身全霊の力を込めて駆け出す事にした。


「ギキィイイアアアアアアアッ!」


 雄叫びと共にムギは草むらを蹴り、獲物目指して一直線に突き進む。

 オオトラネコの走り方は前足と後足で大地を蹴り、さながら跳躍するように進むというもの。最高速度は時速八十キロ以上になり、距離が十分に近ければ、獲物がまともに動き出す前に捕まえる事が可能だ。

 またこの跳躍走行のメリットは、非常に大きな加速度を得られる点だ。瞬間的に最高速度に達するため、例え獲物に先手を取られたとしても遅れを取り戻す事が出来る。

 弱点として一度に使うエネルギーが多く、また瞬発力に優れる筋肉は持久力に乏しいため、すぐに疲弊してしまう事。つまり獲物を延々と追い駆け回すのは不得意であり、間合いを詰めきらないと半分以下の速さしか出せない獲物も簡単に取り逃がす。

 今回ムギが行った狩りについては、心配はほぼいらない。十メートルまで接近する事は出来なかったが、それに近い距離まで迫っていた。相手に先手を取られたものの、跳躍の加速度に加え、ムギが素早く反応出来たため挽回出来ている。

 草むらに潜んでいた獲物に、ムギはしっかりと組み付く事が出来た。走る時には邪魔だからと格納していた爪を伸ばし、身体に食い込ませればもう逃さない。


「ギギョッゴオオオオッ!」


 ムギが前足でがっちりと組み付いた瞬間、獲物は大声量の雄叫びを上げる。

 雄叫びの主は体長一・九メートルにもなる鳥だった。名をノラニワトリと言い、祖先はヒトが家畜として持ち込んだニワトリである。姿形もニワトリと酷似しており、違いは全身を覆う羽毛が草むらに紛れるため茶と黒の混合である事、その羽毛の量が非常に多くふっくらとした体躯に見える事ぐらいだ。

 一見大人しい生き物に見えるが、細部を見ればその印象は覆るだろう。巨体を支えるための太い足の先には、生き物を切り裂くのに適した鋭く長い爪が生えている。また嘴も太く硬いもので、突き立てれば相手に深手を負わせる凶器と化す。

 何よりその気質が攻撃的だ。オオトラネコに自分から挑むほど無謀ではないが、襲われてパニックに陥る事もない。「反撃しろ」という本能が、混乱による恐怖を上回る。


「ゴコアァッ! コッココァ!」


 ノラニワトリはすかさず、ムギの顔面に嘴による攻撃を繰り出す。更に翼を羽ばたかせようとした。

 ノラニワトリは胸筋が分厚く発達している。これは本来食肉として飼われていた祖先が、より多くの肉を得るための形質として品種改良により持たされたもの。だが野生環境化では、強い力を発揮するのに役立つ。もしもヒトがノラニワトリの翼の一撃を受ければ、一撃で骨を砕かれる。頭に受ければ頭蓋骨が陥没するだろう。

 されどムギはこの力で暴れる翼を、両前足の力で抑え込んでいた。オオトラネコの身体能力はノラニワトリの比ではない。特に発達した前足は強力で、ヒト程度であれば簡単に胴体を潰して切断する。ノラニワトリの筋力だからこそ耐えているが、身体を締め付けられる痛みでノラニワトリは苦悶の顔を浮かべた。

 翼による抵抗は無力化した。しかし嘴による攻撃は無視出来ない。致命的な一撃ではないが、皮膚を抉る程度の威力はあるのだ。万一目に当たれば失明の可能性もある。

 即座に止めを刺すべく、ムギは本能のまま行動を起こした。

 獲物の喉笛を狙い、噛み付くのだ。ただしこれは鋭い牙で首を傷付けるのが目的ではない。顎の力で圧迫し、気道を塞ぐ事で窒息死させている。地球でもライオンなどのネコ科動物に見られる狩りの方法で、相手が頑強な身体を持とうとも確実に仕留められるやり方だ。また首に噛み付けば、頭の駆動範囲を大きく制限出来る。ノラニワトリのように、『頭』にある部位で攻撃してくる獲物の反撃を防ぐのにも有効だ。

 そして大型であるが故に、生きていくのに大量の酸素が必要なノラニワトリを窒息させるための時間は長くない。三十秒も息を止めれば苦しさから狂乱したように暴れ、一分も経てば力が抜けてくる。二分過ぎれば目が虚ろになってほぼ死に体だ。

 三分経った頃には、ノラニワトリはもう僅かに痙攣する程度。まだ死んではいないが、キッチリ止めを刺す必要はない。要はのだ。肉に噛み付いた時、嘴で突いてこなければ十分。


「カフッ。フウゥゥ、ガウッ」


 ノラニワトリの首から口を離し、腕の力も弱める。大地に横たわった獲物に、ムギは大口を開けて食らい付く。反撃は来なかった。

 オオトラネコの食事は、獲物の腹から始まる事が多い。

 真っ先に食べたがるものが内臓だからだ。理由は筋肉にはない栄養価を得るため。例えばノラニワトリの心臓ハツにはビタミンAが豊富に含まれ、筋肉であるモモ肉と比べ凡そ十五倍もの含有量を誇る。ビタミンAの役割は視力の維持、皮膚細胞の分裂速度調整など。そしてネコを祖先に持つオオトラネコはビタミンA合成能力を持たず、食物から摂取しなければならない。

 他にもカルシウムの吸収促進に欠かせないビタミンDなど、様々な栄養素が内臓には豊富に含まれている。そしてオオトラネコはそれらビタミンの多くを体内で合成出来ないため、食事から摂取する必要がある。満腹になる前に内臓を食べる方が、生存上有利に働くのだ。

 もしも「ビタミンの合成能力があれば好きな食べ物を食べられるのに」……等と考えたなら、自然界ではその考えは捨てた方が良い。栄養素の合成にしても、物資とエネルギーを使うからだ。食物から摂取出来るものを、わざわざ作り出すなど無駄の極み。そのような無駄を行う生物は、次世代を残す事など許されないのである。


「フカフッ、グッ、ジュルル……」


 さて。内臓を食べる際、心臓や肝臓はそのまま齧り付くが、消化器官は少し手間を掛ける。消化器官内は大腸菌などの細菌だらけ。それだけならまだしも、大腸に詰まっているのは端的に言って便だ。これをそのまま食べるのは、いくら不衛生な環境で暮らす野生動物とはいえ健康上良くない。

 そこで消化器官は体外へと引っ張り出し、胃袋と小腸だけを食べる。正確には大腸にある便の『苦味』を、腐敗の味と判断して口に付けない。絶食状態で便がなければ大腸も普通に食すが、そのような状態の獲物は稀。そのため基本的には捨ててしまう。胃や小腸(ある未消化物(主に植物)は味が悪くなければ、そのまま食べてしまう事が多い。


「ジュル、ジュゥ……カフッ、ガフゥ」


 内臓を一通り食べたら、次はいよいよ筋肉だ。

 体長一・九メートルにもなるノラニワトリの内臓の量は、かなりのものだ。ヒトであればこれだけで十人以上を満腹に出来るだろう。だがオオトラネコの食欲はそれ以上だ。ムギも内臓を食べただけでは全く足りず、次は胸肉などの筋肉を食べ始める。

 オオトラネコは強靭な肉体を持つ。しかし筋肉は多くのエネルギーを消費し、また傷付いた部分の修復にタンパク質を大量に使う。維持するには大量の肉が必要だ。内臓を食べただけでは到底足りない。

 胸肉、モモ肉、手羽先。身体中の肉を食べていく。食べやすいところの肉を粗方食べれば、そこに残るのは骨を剥き出しにした亡骸。しかしこれでもまだオオトラネコの、ムギの食欲を満たすには足りない。


「ンべ、ベジュゥゥ」


 そこで役立つのが舌だ。

 イエネコから進化したオオトラネコは、舌に棘状の突起を無数に持つ。この棘は非常に鋭く、柔らかな皮膚であれば簡単に削ぎ取るほど。この舌で骨に付着した僅かな肉を削ぎ取る。オオトラネコが食べた後の骨はどれも肉片が殆ど残っていない、非常に綺麗なものとなるのはこの舐め取り行動が原因である。

 そしてオオトラネコの胃は大きく膨らむ事が出来る。その秘密は、胃袋が伸縮自在である事に加え、彼等の肋骨と胸骨を繋ぐ肋軟骨の一部が退化している点にある。オオトラネコは肋骨が十三対二十六本存在しているが、うち半数以上の七対十四本は胸骨と繋がっていない。イエネコも四本は繋がっていない状態で、そこから更に進化した形態と言える。

 肋骨が胸骨と繋がっていないため、内臓の膨らむ動きが肋骨に遮られる事はない。胃袋を大きく膨らませられる = より多くの食べ物を胃袋に収められるのだ。個体の大きさにもよるが、ムギのような成体の雄の場合、一度に五十キロも食べてしまう。ライオンの雄でも一度に食べられる肉は三十キロ程度であり、オオトラネコの『食欲』の大きさが窺い知れるだろう。


「グフゥゥー……」


 ノラニワトリの身体の殆どが綺麗な骨となった頃、ようやくムギは満腹になった。

 腹を満たした彼はノラニワトリの亡骸の傍で横となり、そのまま休息を始める。手足を伸ばし、でっぷりと膨らんだ腹を上向きにして、大きな息を吐く。

 だらしない姿に見えるかも知れないが、これもまたオオトラネコの生存戦略だ。

 巨大な身体を持つ彼等の体温が高くなりがちで、その高温が生命に関わるのは以前語った通り。そして発熱というのは、運動の時にだけ生じるものではない。消化・吸収時にも熱は生み出されてしまう。

 この熱を素早く放出するため、食事後のオオトラネコは腹を仰向けにして空気に晒す。無防備な体勢だが、天敵がいない彼等には大した問題とはならない。むしろ放熱をサボり、筋肉や内臓が熱によるダメージを受けてしまう方が問題だ。だから全力で腹を見せねばならない。

 夜間であれば光源もなく、身体を温める要素は殆どない。発熱はスムーズに行われ、体温は平熱を維持される。消化器官も熱でダメージを受けていないため活発に動き、消化吸収も順調に進んでいた。

 夜の彼等は悠々自適。獲物さえ捕らえたなら、快適な暮らしが行える――――

 等という訳にもいかない。少なくともオオトラネコの雄に関しては、例えこの満腹になったとしても油断などしていられない。

 何故なら最も恐ろしい『敵』が、最も活発になるのもこの時間帯なのだから。


「……………ッ!」


 突如、跳ねるようにムギは仰向けの体勢から向きを変え、四本足で大地を踏み閉めた。全身の筋肉を膨れ上がらせ、巨大な力をその身体に滾らせていく。

 何より特筆すべきは、その顔に浮かぶ感情が憤怒である事だろう。

 獲物を相手する時に、怒りを露わにする事などない。獲物とは食べ物であり、食べ物に怒るなど無駄の極みなのだから。怒る対象は敵に対してのみ。

 事実ムギが感じ取った気配……足音、振動、臭いなど……は獲物が出すものではない。そして生態系の頂点に君臨するオオトラネコが、唯一敵と認識する存在はただ一つ。

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