オオトラネコ2
ヒトは他の生物を飼育する生物だ。
捕食のために他の生物を飼う、という行為自体は、自然界では度々見られる。それは地球生命でも同様であり、例えばキイロケアリというアリは、巣内でアブラムシを飼育している。このアブラムシからは普段甘い蜜をもらい、食糧が乏しい冬季にはアブラムシそのものを食べてしまう。正に家畜と言えるが、アブラムシ側もアリの繁栄と共に数を増やせるので、種という括りであれば共生という見方も出来る。
かように飼育という行為はヒトの特権ではないが、しかしヒトの場合、一つだけ他の生物と異なる飼育を行う。
それは『愛玩用』だ。ただ可愛がるだけ、癒やされたいがために動物を飼う。貴重な食糧を分け与えてまで、自分達の繁栄の役に立たない生物を育てるのは、地球上ではヒトぐらいなものだ。しかし全くの無益なものでもなく、精神の安定などの面では十分に役立つが。
キューブで生活していたヒトも、精神的安定を得るため飼育用生物……ペットを持ち込んだ。勿論閉鎖空間であるキューブ内では様々な制限がある。あまりにも巨大な生物や、ヒトに危害を加える生物、脱走時にキューブ内で繁殖する恐れのある生物は許可されていない。猛毒のある蛇や、単為生殖するミステリークレイフィッシュを飼いたいと申請しても、即座に却下される。
しかしある程度一般的な飼育動物は容易に許可された。ジュウシマツ、カブトムシ、イエイヌ……
キューブの事故後、ヒトが管理しきれなくなるのと共に、飼育されていた動物達の脱走も相次いだ。中には飼いきれず、可哀そうだからという感情的理由で外に逃がしたヒトもいた。そうして自由を得た動物達は、野生での生活に耐えられずに滅んだ種もいたが――――中には生き延びた種もいて、それらは繁殖を重ねながらキューブ内の環境に適応、新たな種へと進化していった。
今回の主役であるオオトラネコは、ヒトが飼育動物として持ち込んだイエネコから進化した生物だ。彼女達が生息しているのはキューブでヒトが生活していた居住区……が崩壊して出来た、丘の上の大草原。
燦々と降り注ぐ天井の照明を浴び、キラキラと煌く草が茂る中、一体のオオトラネコがその身を横たえている。体長二メートルを超える、若いながらも成体だ。顔や腹が動いているので生きてはいるが、立ち上がろうとする気配はない。
「スー……スー……」
理由は、寝ているからだ。
オオトラネコは夜行性の生物である。明るいうちは殆ど行動を起こさず、草むらの中で寝て過ごす。
その寝姿は極めて無防備なもので、腹を隠すうつ伏せではなく、横向きの体勢を取っている。加えて、ぴくぴくと後ろ足を痙攣するように震わせていた。この痙攣はイエネコ時代にも見られたもので、端的に言えば夢を見ている時などに起こす行動。安心して寝ている証と言えるだろう。
自然界で落ち着いて睡眠を取る事は難しい。常に外敵が、捕食の機会を窺っているからだ。
しかしオオトラネコにその心配はない。体長二メートルを超える彼等は、この草原で最大の大きさを誇る動物だ。また身体は非常に筋肉質で、他の生物を圧倒する身体能力を持つ。彼等を襲おうという命知らずな生物は、この草原にはいない。
敵がいないのだから、恐れを抱く必要も、警戒する理由もないのだ。ならば熟睡し、体力をしっかり回復させるのが合理的な生存戦略である。
「ンゴ……ンニャ……………ンニャー……」
……この個体は、それを差し引いても暢気な個体のようだが。寝返りを打って、柔らかな腹を空に見せる仰向けに体勢になるのは、流石のオオトラネコでも早々しない。
この暢気な個体の性別は雄。彼をムギと呼んで、その暮らしぶりを観察してみよう。
尤も、今の彼は睡眠中だ。動きといっても四肢をぴくぴくと震わせるか、ぺろぺろと口許を舐めるか、はたまた寝返りを打つだけ。これといった動きは見せない。
これだけぐっすりと寝ていれば、却って気配なんかはないものだ。無我の境地と言っても良いだろう。
「フゴ、フゴ」
だからこそ、偶々近くを一頭の大型動物が近くを通った。
やってきた動物の名はソウゲンブタ。ヒトが食用に持ち込んだブタが野生化し、草原環境に適応する過程で産まれた種だ。体型などは祖先であるブタに酷似している(ブタの『原種』であるイノシシと比べ胴長な体躯など)が、全身は苔むした色合いの長毛で覆われている。顔の骨格も発達し、豚よりも『強面』に見えるだろう。また飼育時はヒトに切られていた尻尾(過密で飼育した際、ストレスで他の個体の尻尾を噛んで傷付ける事を防ぐため)がそのままあり、足まで届きそうな長さのそれを左右に振っていた。
そして体長は一・六メートルほどと、成体のオオトラネコであるムギと比べて一回り小さい。
肉食動物にとって、獲物との体格差は重要だ。肉食動物は鋭い爪や牙など、獲物を殺すための武器を持っている。しかしそれでも同等の体躯の存在と戦えば、怪我を負う事もあるだろう。餌を食べれば傷は一気に回復、という『都合の良い』世界ならば勝てば良いのだが、生憎この世界は過酷だ。怪我が酷ければ後遺症が残り、今後の狩りに支障が出る可能性もある。肉食動物は狩りを続けねば生きていけない。怪我を負えば後々の狩りに悪影響を及ぼし、飢え死にする可能性が高くなってしまう。
だからといってあまりにも小さな獲物では、効率が悪い。獲物を追い回すにもエネルギーが必要なのだ。そうした小さなものを食べるための形態をしているならば兎も角、そうでなければむしろ余計に腹を空かせる結果となりかねない。
獲物は大きくても小さくてもデメリットが大きい。付け加えると身体の構造によっても、仕留めやすい獲物の大きさは変化する。故にどんな捕食者にも『適した獲物』が存在するものだ。
オオトラネコにとってソウゲンブタは、正に理想的な大きさの獲物だ。実際オオトラネコはよくソウゲンブタを襲って食べている。ムギにとっても、何度も仕留めてきた獲物だ。
「……………」
ぐっすり寝ていたムギだったが、流石にすぐ傍を獲物が通れば目を覚ます。草むらの中であるため、ソウゲンブタの姿はハッキリとは見えないが……揺れ動く草や足音から大凡の位置を掴めた。
襲い掛かれば、まず間違いなく捕まえられる。
そのような状況であったが――――ところがムギは動かなかった。ソウゲンブタが自分の方に向かっていない事だけを確認すると、再び目を閉じ、再び眠りに入ってしまう。襲い掛かろうという気配すら見せず、ソウゲンブタはムギに気付く事もなく悠々と通り過ぎてしまった。
折角の獲物だったのに、何故ムギは何もせずに見逃したのか?
その理由は、彼等にとって昼間の狩りは極めて危険だからだ。
オオトラネコの身体は、地球に生息しているトラのようにガッチリとしたもの。この体躯は決してハリボテではなく、太く丈夫な骨に強靭な筋肉が付着した、非常に屈強な肉体だ。キューブ内に生息する生物としては『最強』の身体能力の持ち主である。
しかし力が強ければ『無敵』になれるほど、自然界というのは甘くない。
筋肉は大きなエネルギーを生むが、その際多量の熱を出す。一般的な地球生命でも筋肉の発熱はそれなりに問題を引き起こすもの。例えばヒトの場合も激しい運動は体温を上昇させ、熱中症などの健康被害につながる。付け加えるとヒトは汗などで身体を冷却する力に優れており、これが他の生物を圧倒する持久力を生み出していた。貴重な水分を放出してでも、体温を管理する事は重要なのだ。
対してオオトラネコには汗を掻く力はない。何しろこの草原地帯には水場と呼べるものがない。定期的に降るスプリンクラーという名の雨は、瓦礫が崩れて出来た砂地にみんな吸い込まれてしまうのだから。熱を冷ますためとはいえ、貴重な水分を使うのは勿体ない。そのためオオトラネコの身体は簡単に発熱し、それでいて大柄故に中々冷えない(巨体は熱の放出効率が悪い。コップのお湯と浴槽のお湯、どちらが冷めやすいかと同じだ)という有り様。迂闊に激しい運動をすると、重大な健康被害を起こしかねないのである。
そして今は昼間だ。何故オオトラネコは夜行性なのか? その理由は昼間よりも気温が低いため。キューブ内では気温も管理されており、夜間は昼間よりも五度ほど気温が下がる。たった五度とヒトは思うかも知れないが、オオトラネコにとっては極めて大きな変化だ。夜間の気温を前提とした身体には、昼間は少々暑過ぎる。
このような理由から、オオトラネコは明るい時間帯に狩りの衝動が起きないよう進化した。例え生肉がぶら下がっていたとしても、昼間のオオトラネコは淡々と眠るだけ。他の動物達もそれを知っており、昼間はかなり平然と脇を通り過ぎていく。
「スー……スー……」
ソウゲンブタがいなくなると、ムギは再び寝息を立て始めた。
オオトラネコはこのように、昼間は何があっても眠ってばかりだ。
昼間の姿を見たなら、ヒトはこう思うかも知れない。確かにこれはイエネコの血筋だと。ネコという呼び名の語源は「
しかしながらそうした印象は、夜になれば一変する。
そう、彼等にとって生活の本番は夜。目覚めた彼等の生き様は、昼間とはまるで違うものになる。
その時を迎えるまで、少し時間を飛ばす事にしよう――――
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