第二章「暗躍」①

 迷宮ダンジョン攻略クリアした俺達は、どこにも飛ばされることなくチャロモ老の元へと帰ることができた。

 しかし、再会を喜んだり労いの言葉をかけてもらったりする暇は、俺達には与えられなかった。

 こちらの世界と迷宮を繋いでいた時空の穴。

 俺達が迷宮から出てきたとたん、そこから大量の金塊が噴水のように噴き出したのだ。

 金粉のように細かなものからピンポン球くらいの大きさの物まで、大小様々な金塊が止めどなく噴き出し、俺とチャロモ老は大慌てでそれを回収した。

 途中持ち合わせの袋もなくなり、俺が魔法で延べ棒インゴットを作って対応する羽目になったのだが、その量に俺達は度肝を抜かれることとなる。

 一袋五十キロほどの大袋が三十に、二キロほどの延べ棒が七五〇本――総計三〇〇〇キロほどの金塊を吐き出して、時空の穴は閉じられた。

 吟遊詩人に歌われた迷宮の伝説としては、この結果は非常に正しい。

 だが、ただでさえ今後の方策を立てなければならない俺達にとって、突如として現れたこの金の山は完全に手に余るものだった。

 俺達はしばし金の山を呆然と見つめながら途方に暮れ……


 くぎゅう。

 アーシャが鳴らした腹の音で我に返った。


「お腹空いた……」


 何とも切ない顔をしながら、アーシャがポツリと呟く。

 気付けばとっぷりと日は暮れ、風に夜の匂いが孕んでいた。

 金塊騒動のドタバタでナリを潜めていた疲労がどっと押し寄せる。

 当然だ。先ほどまで俺とアーシャは命懸けの冒険をしてきたのだから。

 もうあれこれ考えるのは後回しにして、とりあえず足を投げ出して休みたかった。


「飯に、しようかの」


 ひもじさに泣きそうな顔をしているアーシャと疲労困憊の俺を見て、チャロモ老は微笑みながら提案した。

 俺達が帰ってくるのを待ちながら、チャロモ老はアグラの乳と大砂蟲の肉でシチューを作ってくれていた。

 字面だけ見れば食べるのを躊躇したくなる料理だが、そこは流石チャロモ老、アグラ乳のクセを香辛料や野菜で巧みに抑え、ホロホロと崩れる大砂蟲の肉の旨味と乳のコクが絶妙なまろやかさを醸し出す、絶品シチューに仕上げてくれた。

 シチューが五臓六腑に染み渡り、疲れを癒やす。

 一杯でかなり腹が膨れるボリュームだったが、アーシャはお替わりを繰り返し、最後は鍋ごとすくってシチューを食べた。

 俺達は食事をしながら迷宮であったことをチャロモ老に話し、人心地着いたところで今後のことを打ち合わせ、また三人でアグラの腹にもたれながら川の字になって眠った。 


 翌朝、俺達は打ち合わせた通りにそれぞれ事に当たった。

 チャロモ老は先に大市場マーケットへと向かい、金塊の一部を人銭にんせんに換金する役を引き受けてくれた。

 タコにふんだくられた俺の路銀が賄えれば良かったので、砂金が入った大袋の中身を一キロほどすくってチャロモ老に手渡し、残りはとりあえず俺の魔法で砂漠の中に埋めた。

 アグラの牽引力を持ってしても約三〇〇〇キロの金塊全てを運ぶことなどできないし、これからのことを考えると悪目立ちするわけにもいかないため、一時的にこのようにした。

 チャロモ老と落ち合う時刻と場所を打ち合わせ、俺達も行動に移る。

 アーシャが手に入れた大いなる力【光翼スパルナ】の確認と俺の魔法のリハビリも兼ねて、ある場所へと向かうことにしていた。


「使い方は、あの時セレーネが教えてくれた。『飛びたい』と思えば、光翼は勝手に現れるんだと」


 そう言うとアーシャは助走を付けて力いっぱい大地を蹴った。

 空中を漂う精霊アルマがアーシャの背に集まり、光の翼へと形を変える。

 その背に顕現した光翼が体をぐんぐん空へと持ち上げて、まるで海中を泳ぐイルカのようにアーシャはヒラヒラと飛翔して見せた。

 迷宮の中で俺を救った時といい、手に入れたばかりの力をアーシャは手足同然に扱っているように見える。

 俺も重力を操って飛行することができるので、不慣れなアーシャをサポートできるかと思ったのだが……


「俺の出る幕はないな」


 俺の飛行術よりも自由に飛び交うアーシャを見て、俺は独り言ちた。


「ロア、いつまで突っ立ってるんだ。早く来い!」


 上空で手を振りながらアーシャが叫ぶ。


「あぁ、今行く」


 手を振って応え、俺は真言マルナを唱えて飛翔した。


 俺とアーシャの飛行能力には、雲泥の差があった。

 先ほどの機動力もさることながら、速度もママチャリと自動車くらい違う。

 全速力で飛んでもドンドン引き離されるばかりで、俺はとうとう目的地までアーシャに牽引してもらう羽目になった。

 迷宮の入口があったムーランの南西部から北へ。

 極力人目を避けたかったので、隊商都市キャラバンタウンを避けるように迂回して三〇〇キロ弱。


「あそこだ! あの大岩の辺り!」


 アーシャは指差すと、ほぼ垂直に滑空していった。

 俺もそれに続き、足を下ろす。

 しかし、そこには何もなかった。


「そんな……確かにここのはず……」


 俺達が来たのは、アーシャ達ナターシャキャラバンが〝アルマトロスの亡霊〟の襲撃を受けた地点。

 同じような景色が広がる砂漠では誤差が生じるので、その近辺を隈なく見回ってみたが、ナターシャキャラバンの亡骸も、キャラバンが使用していたアグラと荷車も、何者かが争った形跡はおろか、足跡一つ残ってはいなかった。

 そこにあるのは黄金色の砂漠と、日盛りを過ぎてその青をより色濃く彩った快晴の空のみ。

 絶句するアーシャを眺め、俺は静かに溜め息を吐いた。


 まぁ、予想通りではあった。


 相手は魔法を駆使した暗殺を得意とする秘密組織。

 自分達がいた痕跡など、そう易々と残すわけがない。

 それでも万が一でもナターシャ捜索の手掛かりが残されていればと思ったのだが、やはり現実はそんなに甘くはないようだ。

 もう一つ、この場所を訪れたのには理由があった。

 飛行訓練のコースを考えている時に、アーシャが「キャラバンの皆を弔いたい」と言ったのだ。

 いくらその場に何もないと分かっていても、「行っても無駄だ」なんて俺には言えなかった。


 そこにあったはずの仲間の痕跡を失い、呆然と立ち尽くすアーシャ。

 俺はその肩にそっと手を置いた。


「ロア……」


 今にも泣き出しそうな彼女に、俺はチャロモ老から預かった水筒を差し出す。


「亡骸がどこにあろうとも、お前の仲間がここで亡くなったのは事実だろ?

 だったら、ここで弔ってやれよ。

 どこにあっても、死んだ体は土に還るし、魂は精霊に還る。

 俺達がこの世界で生きていれば、どこにいても、お前の仲間はお前を支え見守ってくれる。

 弔いに必要なのは、お前の心だ」


 俺が諭すと、アーシャはコクリと頷き水筒を受け取った。

 獣人達は亡骸を砂に埋め、そこに水をかけて死者を弔う。

 キュポン、と水筒の栓を抜き、アーシャはそれぞれの亡骸があったであろう箇所に足を運んでは、そこに水を垂らし跪いて黙祷を捧げた。

 俺もそれに続いて黙祷を捧げる。

 ジズ、アカハ、ヨポヨポ、カンラ……だったか。

 最後の一人に水をかけ、黙祷を捧げているうちに、アーシャの嗚咽が微かに漏れた。

 弔っているうちは泣くまいと決めていたのだろう。

 今も懸命に押し殺そうと、アーシャは全身を強張らせている。


「……悲しい時は、泣いていいんだろ?」


 背中をさすってやると、堰を切ったようにアーシャは泣き出した。

 残酷なまでに青い空と静かな砂漠に、少女の慟哭が響く。


「旅を終えた我が子らよ、安らかに眠り給う……」


 アーシャの泣き顔があの頃の俺と重なり、故郷で唱えた鎮魂の詞を思わず口遊んでいた。

 すると、周囲に浮かぶ精霊達がざわざわとさざめき立ち、アーシャを抱くように渦巻いた。

 突如として起こったその現象に、俺は眼を見開いて驚いた。

 四人の獣人の姿がアーシャを取り囲むようにうっすらと現れたのだ。


「ジズ! アカハ、ヨポヨポにカンラも……」


 涙に濡れる瞳を見開き、アーシャが声を上げる。


 灰色の髪に筋骨隆々の男。

 同じく灰色の髪に切れ長の紅い瞳をした女性。

 チャロモ老と同じくらいの背丈の、糸目で中性的な獣人。

 白髪と白髭を結んだ、聡明な雰囲気を纏う老爺。


 どの獣人も、アーシャの悲しみに寄り添うように顕現し、慈愛に満ちた眼差しで彼女を見つめている。


「みんな……」


 アーシャが一人一人と視線を合わせると、ナターシャキャラバンの面々は力強く頷き、また精霊となって散っていった。


 晴天の砂漠に静寂が戻る。


「……ロア、さっきの歌に続きはあるのか?」


 立ち上がると、アーシャは俺に尋ねた。


「歌じゃないけどな。俺の故郷で、葬式の時に詠む鎮魂の詞だ。続きも短いけどある」


「それ、もう一回みんなに届くように詠んでくれないか?」


 俺に尋ねながら、アーシャは剣を抜く。

 彼女がこれから何をしようかなど、聞かずとも分かった。


「ああ、いいぜ」


「ありがとう」


 俺が答えると、アーシャはニコリと笑って見せた。

 湖面に下り立つ水鳥を彷彿とさせる、あの構え。

 それに合わせて、俺も鎮魂の詞を口遊む。


 旅路を終えた我が子らよ

 安らかに眠り給う

 

 真なる姿へと還り

 新たな旅路へ

 歩み出すまで


 束の間の暇に身を委ね

 安らかに眠り給う


 舞は短いものだった。

 しかし、その動きの一挙手一投足に死者への敬意と残された者の決意が垣間見える、力強く美しい舞だった。

 俺が最後の一節を詠み終えると、アーシャは剣を砂に突き立て、その場に額を付けるようにして跪いた。


「……何をみんなに伝えたんだ?」


 ゆっくりと立ち上がるアーシャに、俺は訊ねた。


「『強くなるから』って。

 みんなを守れなかった代わりに……守ってもらった代わりに、ナターシャだけは、絶対助けるからって」


「……そうか」


 背後に立つ俺には、アーシャの表情は見えない。

 しかし、その声にはもう、ここへ来たばかりの動揺や憂いは感じられなかった。


「来て、良かったな」


 そう言うと、アーシャは少々驚いたような表情で振り返り、


「ああ、来て良かった」


 そう言って、アーシャはニカッと笑った。

 その笑顔が砂漠の白い日差しと重なって、眩しく輝いた。

 

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