第一譚 「無冠の覇者と光翼の希望」

序章「邂逅」①

 瞼の裏に、これまでの人生が切り抜き動画のように映し出される。


 山間やまあいにある名もなき小さな村で、魔導師の末裔として生まれ。

 初めて見る精霊の姿に、赤子ながら生命の意味を悟り。

 優しい母と、勇ましい父と、勝ち気な姉。

 この三人と過ごした七年間は、春の日だまりのように温かで。


 燃え盛る家、両親の死体、攫われた姉。

 突如降りかかった、絶望。

 迷宮覇者ダンジョンマスター――〝放浪王〟ガロード。

 烙印、雨、慟哭――……


 ……ここで、映像が途切れた。

 目を開くと、俺の体から青白く輝くもやが立ち上っている。

 それで俺は、全てを悟った。

 靄が霧散して燐となり、暗い部屋を照らす。

 前世のパルテノン神殿を思わせる石柱が、光を浴びて揺らめいて見えた。

 青い燐が俺の前で寄り集まり、形を成していく。

 全長五メートルほどの狼男……の、半身。

 筋骨隆々な人間の上半身に、凜々しい狼の顔。

 独特なデザインの衣服に身を包んでいるが、体から服に至るまで、全てが青く輝き半透明に透けている。

 この迷宮の番人――《勇略と忠貞の魔人》クエスフス。


【どういうことだ、これは……】


 クエスフスの声が頭の中で響いた。

 明らかに狼狽うろたえている。

 この光景も、何度目だろうか。

 俺は嘆息を漏らした。


【汝の魂に、溶け込めない】


 動揺の色を浮かべ、クエスフスはこぼした。

 剽悍ひょうかんな狼が、今はまるで阿呆なハスキー犬だ。


「……『魂を崩せない』か?」


 別の魔人から聞いた言葉を口にする。

 魔人が授ける〝大いなる力〟は、魔人が膨大な精霊アルマとなり対象の魂と融合することで与えられるそうだ。

 その際に対象の魂を一度精霊の状態に崩すらしいのだが、俺の魂の中に、どうしても崩せない部分があるらしい。


【知っていたのか】


「あぁ。それでも、力を手にしなくちゃいけない理由があってな。

 俺に力を授けてくれる魔人を探している」


 眉間に皺を寄せる魔人に俺はそう答え、


「賑やかして悪かった。いい宿主が見付かることを祈ってるよ」


 落胆を押し殺して、無理矢理笑って見せた。


【汝と共に行きたかった。汝はこれまで挑んだどの者よりも、力を得る資質があった】


「知ってるよ」


 冗談めかして笑う。


「さ、とっとと外に出してくれ。久々の迷宮攻略で、流石に疲れた」


【財宝はいらんのか? 力を渡せないなら、せめて……】


「宿主にくれてやれって。

 他の迷宮覇者はもらったのに、お前はくれなかったってケチが付くぞ。

《勇略と忠貞の魔人》さんよ」


【……何から何まで、すまない】


 きっとこいつに尻尾があったら、情けなく丸まっているところだろう。


「おら、シャンとしろ! 英雄を待つ迷宮の番人様が、そんな顔すんなって」


【ああ】


 苦笑しながら慰めの言葉をかけると、魔人は力なく頷いた。

 慰めてもらいたいのは、こっちだっつーの。


【汝、名は?】


「ロアだ」


【ロア。汝の名、覚えたぞ】


 そう告げて、クエスフスが俺の足下に手を翳した。

 白亜の床が丸く切り取られ、黄金に輝く。

 その黄金の円に吸い込まれるように、俺の体は沈んでいった。


「じゃあな、クエスフス」


 名残惜しそうにこちらを見つめる魔人に、俺は手を振った。


【あぁ、さらばだ。ロア】


 迷宮から出る瞬間、クエスフスは寂しそうに笑っていた。


【汝に、精霊の加護があらんことを】


◆◇◆


 迷宮ダンジョンから出たと思いきや、俺の顔面に硬い拳がめり込んだ。


「よくも騙しやがったな、この野郎!」


 タッパのデカい筋肉スキンヘッド。

 俺に迷宮への同行を依頼してきた冒険者だ。

 名前はたしか、タルコ・バーンズ。


「騙してねぇ。攻略クリアできただろうが。こうして外に出られたのが、何よりの証拠だ」


 切れた口端を拭いながら答える。

 タルコは顔を真っ赤にして泡を飛ばした。


「話が違うだろうが! "大いなる力"はどうした⁉ 金銀財宝は⁉ 

 俺はまだ、何も手に入れちゃいねぇ!」


 こうして見るとタコみたいだな。

 俺はこれ見よがしに深くため息を吐いた。


「最初に言っただろ? 力も財宝も、手に入るかどうかは魔人次第だって。

 お前は魔人に選ばれなかった。でも同行者の俺が選ばれたから外に出られた。

 おめでとう、これでお前も"無冠の覇者"の仲間入りだな」


 わらってやると、激昂したタコが胸ぐらを掴んで俺を殴り飛ばした。

 倒れ伏す俺に馬乗りになり、滅多打ちにする。

 こうなったらもう俺に為す術はない。

 俺はタコに殴られるままやられた。

 空が、やけに青い。


 どれくらい時間が経っただろうか。


「砂漠のド真ん中で野垂れ死ね。道化ピエロ野郎」


 息を切らしてそう吐き捨てると、タコは俺の懐から銭袋を奪い、唾を吐いてその場から立ち去った。


 顔が熱い。

 瞼が、重い……。


 あれから、十年の時が過ぎた。

 姉を攫われ村を焼き滅ぼされた俺は、殺された両親を弔った後、山を下りた。

「姉を助ける」というたった一つの目的にすがり、心の整理も付かぬまま、がむしゃらに動き回った。

 魔法を駆使してなんとか冒険者として生計を立て、姉捜しの基盤を築いたところまでは良かったが、悔しいことに、アイツが予言したとおりのことが起こった。

 精霊の声が遠退き、魔法も徐々に使えなくなってきたのである。

 隙あらば搾取され、仕事と報酬を奪い合うならず者の社会に放り込まれた俺の心は、思ったよりも早くその純真を失い始めたらしい。

 日に日に精霊から遠ざかっていく自分に、俺は怯えた。

 毎日毎日右の掌が疼き、アイツの言葉が呪詛のようにこだました。


 ――近い将来、お前は魔法が使えなくなる。

 ――魔法が使えなくなったお前は絶望し、一生自分を呪って生きていくんだ。


 焦りだけが、俺を突き動かした。

 魔法が使えるうちに、魔法に代わる新しい力を手に入れる必要があった。

 だから俺は、迷宮ダンジョンに挑んだ。

 迷宮自体は、割と難なく攻略できた。

 精霊が見えていれば魔人の用意した罠は案外なんとかなるもので、残るは魔物モンスターへの対処と、魔人が用意する最後の試練のみとなるのだが……結果は先ほどのとおり。

 どの迷宮に挑んでも、俺は同じ理由で力を得られなかった。

 そうして時間だけが過ぎていき、俺の魔法はどんどん弱くなっていった。

 主力だった《ゾオン》も《造形クリネシア》も使えなくなり、微々たる力しか扱えなくなった俺は、単独での迷宮攻略を諦め、同じく"大いなる力"を求める冒険者にたかった。

 弱くなった魔法より、人間の方がよく使えた。

 精霊が見えるというアドバンテージを活かして主導権を握り、最後には自分が魔人に選ばれるように仕向けた。

 しかし、結果は変わらなかった。

 俺も同行者も何も得られぬまま迷宮を追い出されることが続き、同行者の誰かが話を売ったのだろう、いつしか迷宮覇者ダンジョンマスター武勲いさおしに混じって「無冠の覇者」という題目が歌われるようになった。


 迷宮に挑むも何一つ得られなかった悲しき冒険者。

 冒険者をそそのかして大金をふっかける守銭奴。

 夢ばかり見て現実を直視できない愚かな虚言癖者……。


 歌う詩人によって内容は様々だが、どの歌にも共通していることは「無冠の覇者は道化である」ということ。

 この歌が知れ渡るようになってから、話を持ちかけても誰も聞いてくれなくなり、俺は各地を転々とせざるを得なくなった。

 今日の迷宮探索は実に半年ぶりの機会チャンスだった。

 相手も俺を「無冠の覇者のロア」と分かって話を持ちかけてきた。

 きっと腕に自信があったのだろうし、他の連中をそうしたように、いざとなったら俺を盾にでも足蹴にでもするつもりだったのだろう。


「いっつつ……」


 上体を起こし、俺は辺りを見渡した。

 砂、砂、砂……。

 見渡す限り砂ばかり。

 黄金に輝く砂丘の向こうでは、赤々と燃える太陽が今まさに沈もうとしている。

 絵に描いたような、圧倒的砂漠。

 おそらくはナーザ大陸の西側――砂漠地帯ムーランのどこかなのだろうが、俺には全く土地勘がない。


「あのハスキーマン、とんでもない所に飛ばしてくれたな」


 砂丘に座ったままぼやき、俺はいつもの確認作業を行った。


「《ファラズ》《燃焼イグネッサ》」 


 真言マルナを唱えると、掌に精霊が集う。

 しかし、ちゃんと声が聞こえていないのか、精霊は掌をうろうろするばかりで命令を聞いてくれない。


 ――……安堵。


 それがちらついた瞬間、焦燥と苛立ちに胸が掻きむしられる。

 舌打ち。

 怒気を孕ませ、俺は再度命じた。


「《ファラズ》! 《燃焼イグネッサ》!」


 右往左往していた精霊が寄り集まり、ポッと掌の上で火に変わる。

 マッチの火にも満たない、小さな小さな火。


「……よし」


 俺はそれを握り、そのまま拳を胸に押し当てた。


 失っていない。

 まだ、大丈夫。

 俺はまだ、立ち止まらなくて済む。


【汝に、精霊の加護があらんことを】 


 クエスフスの言葉がよぎる。


「精霊の加護、ねぇ……」


 腹底から自嘲の虫が顔を出し、俺は思わず口端を歪めた。

 精霊と語らい、超常を操る技術――魔法。

 それが使える魔導師の末裔として生を受けた俺は、他の人間より「精霊の加護」とやらに恵まれていたはずだ。

 今の俺には、精霊は見えても声は聞こえない。

 俺の声も上手く伝わらなくなった。

 人として、精霊の加護の一番近くにいたであろう自分。

 そんな自分が、今では精霊の加護から一番遠いところにいる気がしてならない。

 大切なものを失わないために、俺は他の大切なものをたくさん犠牲にしてしまった。

 それでも俺は、立ち止まるわけにはいかない。

 決めたんだ。今世では、家族を大切にすると。

 何があっても、諦めないと。

 ゆっくりと立ち上がり、重たい足を一歩、踏み出す。


「……とりあえず、暗くなる前にどこかのキャラバンで厄介になるか」


 砂漠地帯ムーランは、獣人達の世界だと聞いている。

 そもそも彼らには国という概念が無い。

 彼らは家族や気の合う仲間とキャラバンを組み、旅の中で生き、旅を住処とする種族だ。

 ムーランは初めてだが、獣人達とは何度か交流したことがある。

 どの種族の言葉も一通り話せて気さくな奴らが多いので、きっと何とかなるだろう。

夕日で赤く染まる砂を踏みしめ、俺は歩きはじめた。


 俺は、まだやれる。

 立ち止まるわけには、いかない。

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