5.「絶望」

 それから数日ほど、クロードは我が家に滞在した。

 こうして魔導師が住む場所を見付けては、一人一人と話し世界と魔導師を繋ぐ糸口を探しているらしい。

 俺とイリスは村の案内役を買って出て、クロードに付いて回った。

 クロードは他の村人にも優しかった。

 老夫婦の力仕事を手伝ったり、街で手に入れたお菓子を他の子ども達にあげたり。

 話も面白く、さわやかで、イケメンで。

 どこの出身なのか、深緑色の髪の毛に赤い目。

 物腰もやわらかで、しかし戦いとなればその体躯に似合わぬ蛮刀を振るい、敵を両断する。

 前世の俺なら嫉妬の末に「けっ」と唾を吐き捨てるほどの完璧人間だった。


「すごかったのよ!

 一瞬でゴブリン四匹をズバーーッて! 剣が見えなかった‼」


 興奮したイリスは何度もその話を繰り返し、その度にクロードに笑いかけた。


 ははぁーん、これは……。


 きっと俺は今、とてもゲスい笑みを浮かべていることだろう。

 そのように見ると、イリスさんは大変積極的でして。

 移動中はずっとクロードと手を繋ぎ、抱きついたりおぶさってみたり、もう十一歳だというのに、見ているこっちが恥ずかしくなるほどで。

 どうやらクロードも勘付いたらしく、苦笑いを浮かべて視線で俺に助けを求める。

 面白いので、俺はそれに対して気付かないフリをして楽しんだ。


 そんなふうに過ごして数日。


 いよいよクロードが旅立つ日がやってきた。

 イリスはなかなか見送りに出てこなかった。

 部屋の片隅で涙をぽろぽろ零し、イヤだイヤだと泣いていた。

 そんな彼女にも、クロードは最後まで優しかった。


「ここから南――ハールムの岩山に鳥人とハーピィが暮らす領域があるんだ。

 そこではザクロ石という赤くて綺麗な宝石が取れる。

 南での旅が終わったら、それを持ってまた会いに来るよ」


「本当に? また会える?」


「あぁ、すぐ会えるよ」


 クロードが優しく微笑むと、イリスは彼の胸に飛び付き、しばらく泣いた。

 イリスは一頻り泣くとぱっと彼から離れ、


「またね!」


 と満面の笑顔を見せた。


 実のところ、俺もクロードとの別れは寂しかった。

 年の離れた兄……いや、尊敬できる先生に出会えた気分でこの数日を過ごした。

 今まで俺は、どこかでこの村の外のことが気になっていたが、昔聞いた母の話で外に出ることを諦めていた。

 でもこうして、魔法の心得を保ちながら世界を旅する人がいて、世界と俺達を繋ごうとしている。

 俺もそんな生き方がしたいと思った。

 過去や境遇に縛られず、誰もが自由にどこででも生きていける世界。

 俺も、そんな世界を創る手伝いがしたい。

 今度クロードが来た時は、彼が何を決意して旅に出たのか、俺達以外にどんな魔導師に会ったのか、いろんな話を聞こうと思った。


◆◇◆


 クロードが村を出て行ったその晩。

 村の灯りが消え去って、しばらく。


「火事だ!」


 叫ぶザックに叩き起こされ、俺は異変を知った。

 天井がメラメラと燃えている。

 最初ぼんやりとそれを眺めていた俺だったが、事を認識した途端にさっと血の気が引いた。


「《ウラヴ》《放出ディヂャーロ》ッ!」


 クロエが魔法でかき消すも、火は次々と灯り続け、家を食い破っていく。


「外へ出るぞ‼」


 ザックがクロエを、イリスが俺の頭を庇うようにして家を出ると、そこに広がるのは、まさしく地獄絵図であった。

 赤々と燃える炎が村全体を包んでいる。

 村の人達が狂乱し、悲鳴を上げながら逃げ惑う。

 それを追い回し、村に火矢を射かけているのは……


「ゴブリン……」


 その姿に、父が呻いた。

 緑色の皮膚に長く尖った耳と鼻。

 頭が異様にでかい三頭身。

 チビで痩せぽっちの身体に似合わない大振りの蛮刀を振り回し、村人達を襲っている。

 その表情は愉悦に歪み、三日月のように裂けた口から咆哮とも高笑いとも付かない奇声が漏れる。


 これが、ゴブリン……。

 人を襲う、知性を持った種族……。

 先日森の中で見た死体からは想像もできない、おぞましい動きだった。


「ギヒヒャァッ!」


 その姿に釘付けになっていると、俺とイリス目掛けて一匹のゴブリンが飛びかかってきた。

 すかさずザックが剣を抜き、その喉元を貫く。

 赤い血飛沫が顔にかかり、ゴブリンの断末魔が耳朶を強烈に叩いた。

 今の叫びで他のゴブリン達もこちらに注目する。

 同胞を殺された恨みか、それとも他の感情か。

 ゴブリン共が俺達目掛けて一斉に襲いかかってきた。


「ボサッとするな! 逃げるぞ!」


 前方から襲いかかる二匹を切り伏せ、父が叫ぶ。

 母とイリスは悲鳴を上げながら走るので精一杯。

 かくいう俺も真言マルナを唱える余裕がない。

 顔面蒼白になりながら、イリスに手を引かれるまま走るのが精一杯だ。

 安全な場所を求めて駆けていると、進行方向に一人、誰かが佇んでいる。

 全てを飲み込み燃え上がる炎。

 狂乱し逃げ惑う人々。

 それを追い立てるゴブリン。

 その中に在ってその人物は、まるで風景や絵画を眺めるかのように、静かにそこに佇んでいた。


「クロードくん!」

 

 父がその男の名を叫んだ。


「どうしたんだ、なぜ君がこんなところに……」


 駆け寄って彼の肩を掴んだ刹那、父がその場にひざまずいた。


「気安く触れるな。頭が高い」


 クロードがザックを蹴り飛ばした。

 今までの彼からは想像もできない、鋭く冷たい声音。

 仰向けに倒れる父の腹部には短剣が刺さっており、血を吸ったシャツが炎をぬらぬらと照り返した。


「いや……いやぁああああ! あなたぁ!」


 動転したクロエが発狂する。

 イリスと俺はすぐさま父に駆け寄り、魔力を注いだ。


「クロードさん、どうして……」


 未だ彼の行動が信じられず、俺は訊ねた。


「恭順か死か、好きな方を選べ」


 俺の問いには答えず、冷たい声のままクロードが言い放つ。


「クロード……何かの間違いよね?

 あんなに優しかった貴方が……こんなこと……」


 震える声でイリスが問う。

 その問いに対して、


「くくく……クカカカカ……!」


 涙を浮かべる姉を一瞥し、クロードは三日月のように口を歪めてわらいだした。


「まだれを信じているのか?

 父親を目の前で刺されているというのに。

 本当に、人間というのはおめでたい!」


 ――ずるり、と。

 クロードの風貌が変化していく。

 まるで髪の色が溶け出すように肌が緑色に染まり、髪が白銀色に染まっていく。

 耳が尖り、鼻が尖り、口からは牙が覗き。

 ゴブリン……には、違いないのだろう。

 だがその姿はより人間に近く、しかし、人間よりも聡く理知的なようにすら見えた。


「これが、己れの本当の姿だ」

「う……そ……」


 変貌したクロードの姿を、イリスは愕然とした表情で見上げる。


「自己紹介がまだだったな。

 己れは迷宮覇者ダンジョンマスターが一人、ガロード。

〝強欲にして無欲〟〝略奪と簒奪の化身〟〝放浪王〟とも、人は呼ぶ」


 悠然と名乗ると、ガロードはしゃがみ込み、まるでテーブルに皿でも置くように、ザックの膝に短剣を刺し込んだ。

 父の悲鳴が痛烈に響く。


「なぁ、今どんな気持ちだ? 

 愛した男がゴブリンで、自分の故郷を火だるまにし、父を刺した。

 お前は今、どんな気分で己れを見つめている?」


 せせら嗤いながらイリスの顎に手を添えると、ガロードはその唇にむしゃぶりついた。


 そこへ――。


 土の枷がガロードの首を捉え、イリスから引き剥がした。


「子ども達に……手を出さないで!」


 大地から枷が次から次へと顕現し、首だけではなくガロードの四肢を絡め取る。

 更に枷は幾重にもその身体に絡まり、雁字搦がんじがらめにされたガロードは、身動き取れずに地を転がった。


「クカカ。形成逆転の力を持っていながら、敵に止めを刺すこともできない。

 魔法というのは、存外不便だなぁ」


 身動きが取れないはずなのに、余裕綽々でガロードは嗤う。

 母は俺達の横を通って父が手放した剣を拾い上げると、その切っ先をガロードに突きつけた。


「村から出て行きなさい。もうこれ以上、この村への手出しは許しません」


 凜然と言い放つ母の言葉に、ガロードはしばし唖然とし、


「ここで引けば見逃してくれるというのか? 

 これはこれは、本当に、お優しい……」


 嘲笑に顔を歪めながら、言い放った。


「……興味が失せたわ。死ね」


 冷徹で静かな一言の後、枷と鎖の中からガロードが消えた。

 生暖かい風が俺の頬を撫でて通り過ぎたと思いきや、眼前に母の首がごろりと転がった。


「あ……か……」


 何が起きたのか、さっぱり分からなかった。

 数瞬の後、首を失った母の身体が覆い被さるように降ってきた。

 降り注ぐ鮮血に顔が濡れ、そこでようやく、俺は何が起きたかを理解した。


「うわあああああ‼ 母さん! 母さぁん‼」


 首のなくなった母の身体を抱きかかえ、俺は悲鳴を上げた。

 先ほどまでいたイリスの姿がない。


「さぁイリス、ゆくぞ」


 いつの間にか、ガロードがイリスを横抱きにして背後に立っていた。


「あ……あ……」


 ガロードの腕の中で茫然自失となり、カタカタと震えるイリス。 

 立たなきゃ。

 立ってイリスを助けなきゃ。

 もう俺しか、残っていないんだから……!

 胸中で何度叱咤し檄を飛ばしても、膝が震えて立ち上がれない。


「恥じることはない。

 お前の考えていることは正しいよ。ロア」


 見なくとも、肩越しに浴びる声で分かる。

 嘲笑。

 ガロードは、動けない俺を見て嘲り悦んでいる。


「お前が己れに勝つ術はない」


 その一言一言を浴びせられる度、怒りよりも先に恐怖が襲う。

「戦うな」「早く逃げろ」と、身体が警鐘を鳴らす。


「お前は聡いなぁ。

 賢くて、その歳の割に様々な知識を有していて。

 物わかりも聞き分けも、非常にいい」


 こいつは……このゴブリンは、俺達をずっと観察していたんだ。


「そして何か……世界の真理のようなものを掴みかけている。

 家を焼かれ、母を殺され、今こうして姉を奪われようとしているのに動けないのが、何よりの証左だ」


 どこまで俺のことが見えているのか。

 ガロードが放った次の問いで、俺の体は硬直した。


「お前……心のどこかで、こやつらを肉親だと思っていないな?」


 頭が真っ白になったのは恐怖からか、それとも――。 

 その通りだった。

 俺は、父のザックも母のクロエも姉のイリスも……今の俺自身でさえも、漫画やアニメのキャラクターに近い感覚で見ていることがある。

 だから動けないのか。

 圧倒的実力者を前に、命を賭して戦えないのか。

 俺は生まれ変わっても、こんな……。


「おい……俺の息子を、侮辱するなよ……」


 未だ塞がらぬ傷口から血を噴かし「よっこらせっ」と父ザックが立ち上がる。


「こいつはまだ七歳の子どもだぞ。

 こんな状況に追い込まれて、恐くて動けなくなるのは当然だ」


 体を引き摺るようにザックは歩き、母の傍らまで来ると、


「すまない」


 そう呟いて落ちていた剣を拾い、正眼に構えた。


「ロア、俺が不甲斐ないせいで、すまなかったな。イリスのこと、頼んだぞ」


「ダメだよ父さん、そんな体で……」


 言いかけたところで、父は大地の真言を唱えた。

 父の踏みしめている大地が隆起し、大蛇のようにうねる。

 大地の蛇は一度大きく首を擡げると、倒れ込むようにしてザックをガロードの元へといざなった。 


「おおおおおおおッ‼‼」 


 咆哮を上げ、父が上段から剣を振り下ろす。

 片腕に姉を抱き直したガロードは腰から蛮刀を引き抜き、父の剣を受け止めた。

 数合打ち合い、父の渾身の一撃がガロードの蛮刀を弾き飛ばす。


「娘を……返してもらうぞ!」


 ザックの剣がガロードの腕を刎ね上げた。

 腕から逃れたイリスがその場に倒れ伏す。

 それも束の間、すかさずその背をガロードが踏み付け自由を奪った。


「イリス!」


 父の注意が足下の姉へと移ったそのたった一瞬。

 ガロードの斬られた腕が再生し、大振りの人斬り包丁と化して――ザックを袈裟斬りに寸断した。


「父さぁあああああん‼‼」


 もはや俺には叫ぶことしかできなかった。

 父の鮮血がバシャバシャと滴り落ち、姉の黒髪を濡らす。


「父さん……母さん……」


 ガロードの足下で、


「許さない……」


 そう姉が言葉を漏らした、刹那。


 ビィイイイイ――――!


 姉の周囲の精霊達が、聞いたこともない鳴き声を放ち大気揺らした。


「お前だけは……絶対に……!」


 その頬を伝うのは父の血か血涙か。

 ガロードを睨み付け、イリスは精霊に命じた。


「《ファラズ》《燃焼イグネッサ》ッ‼‼」


 真言マルナを唱えた瞬間、ガロードの身体が火柱を上げて燃え上がった。

 精霊は殺生に直接加担しないはずなのに。

 姉の放った真言は了承され、ガロードを火だるまにした。


「なんだ……これ……」


 その光景に、俺は絶句した。

 姉の身体から赤いもやのようなものが揺らめき、それが精霊達を赤黒く染めていく。

 姉の真言を聞き入れているのはその禍々しく変貌した精霊達で、他の精霊は赤い靄から逃れようと姉から離れていく。


「《大地グラプト》《造形クリネシア》ッ!」


 逃れる精霊を赤い靄が次々と飲み込み、服従させる。

 大地から伸びた無数の突起がガロードの身体を貫き、その口から断末魔の声が上がった。


「《造形》! 《造形》! 《造形》! 《燃焼》!」


 何度も、何度も、何度も……イリスの放つ魔法がガロードを焼き貫く。


「ダメだ姉さん……ダメだ‼」


 姉が姉でなくなる。

 何か悍ましい者に変貌してしまいそうな気がして、俺は心身に鞭打って姉に駆け寄ろうとした。


 しかし――


「あぁ、いい。大丈夫だロア。問題ない」


 どこからともなく、喜色を孕んだガロードの声。

 無数のくさびと炎に包まれて、その姿は見る影もない。

 燃え尽きた身体がサラサラと砂のように崩れて舞い上がり、その灰の一片一片が金色に輝いたかと思うと、姉の背後に無傷のガロードが現れ、その首筋を手刀で強かに打った。

 昏倒した姉を、再びガロードが手中に収める。


 一瞬の出来事だった。


 ガロードの力は、明らかに魔法の範疇を超えている。

 これが、迷宮覇者だけが持つ人智を超えた力だというのか。


「なるほど。これが奴の言う〝外法チート〟か。良いものを見た」


 意識をなくしくずおれる姉を小脇に抱えると、ガロードは上機嫌にこぼした。


「《大地グラプト》《造形クリネシア》!」


 真言を唱え、俺は大地から槍を顕現させた。

 今なら身体が動く。


「《ゾオン》《変移トラズ》《増加インカラス》!」


 斥力の超推進を使って一気に距離を詰め、


「姉さんを離せぇ!」


 渾身の突きを放った。

 ガロードは空いている方の手でわざと俺の槍を受け、手を貫かれたまま槍の柄を握った。


「無駄だ。やめておけ」


 柄を握る手から血を滴らせ、それでも愉快そうに、ガロードは言った。


「己れは今、気分がいい。お前だけは落ち延びることを許す」


「姉さんを……村のみんなをどうする気だ⁉  言えッ!」


 見れば、他のゴブリン達も村人を殺さずに捕らえている。

 どこかに連れ去ろうとしていることは明白だった。


「己れに指図するか。……まぁいい、教えてやる」


 ニタリと口を歪めながら、ガロードは答えた。


「ある者が面白い企てをしていてな。種族の境なく魔導師を集めている。

 己れは奴の企てが行き着く先を見たくて協力しているところだ。

 安心しろ。お前の姉もこの村の連中も、無下には扱われんだろう」


「父さんと母さんを殺したお前を、信用しろって言うのか⁉」


「どう解釈するかはお前の自由だ」


 しばしの間、俺はガロードを睨み据えた。

 淡々と答えるその言葉に、嘘はないように思える。

 だったらここは、大人しく従うふりをして、あとで皆で逃げ出せば良いのではないか。


「……分かった。俺も連れて行け」


 俺はガロードの腕から槍を引き抜き、その場に座り込んだ。


「お前は何か勘違いをしているな。お前の指図をなぜ己れが受けねばならん」


「魔導師が必要なんだろ? 自分で言うのもなんだが、俺はこの村で一番使える魔導師だぞ」


 俺がそう言うと、ガロードは鼻で嗤った。


「お前は連れて行かない。その代わりお前には、もっと良い物をくれてやろう」


「良い物……?」


 訝しがる俺の首根っこを突然掴み、ガロードが俺を押し倒した。


「予言だ」


 額と額を押し付けて、ガロードが言い放つ。


「近い将来、お前は魔法が使えなくなる。

 落ち延びたお前は、父の残した言葉を胸に姉を探すだろう。

 だが先にも言ったが、お前はこやつらを肉親だと思っていない節がある。

 そんなお前が、己を偽り姉を探し続けたらどうなるか、分かっていよう?」


 ガロードの口が狂喜に歪む。


「逆に今日のことに蓋をして、落ち延びた先でのうのうと暮らしたとしよう。

 お前の心は罪悪感に蝕まれ、それに見て見ぬ振りをして純真を穢す。

 どちらに転んでも、お前は魔法が使えなくなる」


 俺の眼を覗き込み、愉快そうにガロードは続けた。


「そして魔法が使えなくなったお前は絶望し、一生自分を呪って生きていくんだ」


 ガロードが俺の右掌を握る。


「な、何を……」


「お前に印を刻んでやろう。この日のことを、一生忘れないように」


 じゅう、と肌が焼ける音と同時に掌に激痛が走った。


「あああああああああああ……‼‼」


 ガロードが離れるや否や、右手を押さえてうずくまる。

 恐る恐る掌を見ると、そこには何かの文字を崩して文様にしたような烙印が刻まれていた。


れに人生を奪われた者の烙印だ。

 お前は飯を食う時も顔を洗う時も、それを見る度に今日この日を思い出し、己れを思い出す。

 己れはお前のことなど、すぐ忘れると言うのになぁ」


 ガロードの高笑いが脳にガンガンと響いた。


「もし己れの予言が外れ、再びお前と相見あいまみえることになったら、その時は誰を何人連れてこようが、どんな策を練ろうが、お前の挑戦を受けてやろう」


 そう吐き捨てると、ガロードは踵を返した。


「せいぜい、頑張れ」


 足音が、遠ざかっていく。


「待て……待てよ、ガロード……」


 本当はその背に浴びせたいのに、喉が詰まって声が出ない。

 烙印の押された右手がズクズクと痛む。

 それを胸に押し付け、うずくまりながら、俺は呻いた。


「待てよ……」


 ……どれくらいの時間が経っただろうか。

 ガロードとゴブリンの姿は消え、いつの間にか冷たい雨が降り注いでいた。

 窮地を生き延びた安堵感が全身を脱力させる。

 その瞬間、悔しさと情けなさが堰き止められた川のように押し寄せた。


「ちくしょう……」


 命を奪われる恐怖が去ってから、もっともらしい感情に駆られる卑怯な自分が、ただただ許せない。

 体を起こし、周囲を見やる。

 炎は消え失せ、黒煙があちこちで立ち上っている。

 そして。

 無残に打ち捨てられた、両親の死体。


「ごめん……なさい……」


 その言葉しか出てこなかった。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………。

 繰り返す内に、胃腑にずっしりと居座る重たい感情が胸に迫り上がってくる。


「あ、ああ……」


 その感情を吐露するように、俺はその場に蹲った。


「ああああああああああああああ――――…………‼‼」


 慟哭が雨音をかき消し、夜に染みこんだ。






                                前譚 ―完―

 

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