第3話 怒られたのは一度だけ
私が父に怒られたのはたった一度だけである。
いつもは無口の父で基本的に怒るのは母の役目、父はその後のフォローのような役回り。母はいつも子供の目に良く映る、父の存在をぼやいていたようだった。
そんな滅多に怒らない父が怒ったことがあった。
私は大学4年生からインターンとして入社予定の会社で働いていた。
当時は仕事量が多いのと単純に仕事にのめり込んでいたこともあり、
段々と出社時間が伸びる日々を過ごしていた。
家から会社までだいたい1時間の道。朝8時前には出社をして、夜は21時に退社。(インターン生は21時までしか勤務させてもらえなかった。)
コロナ前の時期だったので仲の良い同期とは徐々に飲みに行くようになり、
気づけば毎日21時退社、そこから飲みに行き終電で帰宅。寝るのは2時位になる。
そんな生活でも問題ないくらいのタフさがあの頃はあった。
24歳になった今はさすがにもうない。
入社前に1年半付き合っていた彼氏と別れた私は、これだけ会社に入り浸っていたがために会社にしか出会いを見出すことができず、気づけば3人の上司と後に付き合うことになる。(この話は後々また記載したい)
今思えば恥ずかしいような情けないような気持ちがないわけでもないが、
基本的に一人ぼっちが耐えられない私にとっては仕方のない選択だったのかもしれない。
一人目の彼氏、については話がなかなか複雑なので機会を改めることにする。
二人目の彼氏は私の2歳上の上司で、私の兄と同い年であったこともあり、
向こうが好意を寄せてくれていたこともあり、とても話しやすい存在だった。
だから付き合うハードルもそこまで高くなく、むしろ低すぎるくらいだった。
この二人目の彼氏が、オフィスから15分くらいの場所に住んでおり
私にとってはまさに絶好のチャンスが重なったのである。
1時間ギュウギュウの電車に耐え何も出来ない時間を過ごすのであれば、確実に出社時間は短いほうがいい。しかも彼氏の家であればなんの違和感もないではないか。
そんなこんなで、私は少しずつ実家から荷物を運び出していた。
そうして通ってから数ヶ月が立つと、今度はオフィスが都内に移転。
今度こそ本当に実家から通う意味がなくなってきた。
家からオフィスは1時間半、それでもなんとか頑張って通った日も少なくはなかったが、1時間半となるとやはり気持ちも体も滅入ってくる。
彼氏の家は移転しても私の実家に比べたら全然遠くなかったので、
こうして私は彼氏の家に徐々に浸り始めることとなるのである。
そんな毎日を送っていたが、この彼氏、長くはもたなかった。
酒癖が悪い上に一方的な愛情も強すぎたのである。
私のことなど見えていなく、「基本一人称で考えているのでは」と思ってしまうくらいに。基本寂しい、愛されたい、の私だが、それでも合っていなかった。
この彼氏と別れてほどなくして付き合い始めたのが、中途で入社してきた3人目の彼氏(今もなお付き合っている)である。
この彼氏も経緯は追々。彼は都内から離れた場所に住んでいたが、
四六時中一緒にいたかった私はまたしてもその彼氏の家に転がり込んだ。
もちろん2人目の彼氏の家に置いていた荷物は、すべて3人目の彼氏の家にまるっと運び込まれた。
ちょうどリモートワークの始まるタイミングが重なったので、
しばらくはこの彼氏の家でリモートをしたり、時に早朝に実家に帰ってそこから仕事をしたりと(もはや実家から会社に出社するより遠い)またしても彼氏の家基準で生活がまわるように。
そんなこんなの生活だったが、その彼氏がなんと会社から徒歩数分のところに住み始めると言う。彼氏の家に入り浸ることに慣れてしまった私には、一緒に住むという選択肢しかなかった。図々しいが。
前職はリモート期間は一部合ったものの、それでもやっぱり"出社しろ人間"しかいなかったので、毎日出社をしていた私にとっては、どんなにしんどい仕事があったとしても徒歩で帰宅できて、なおかつ彼氏にも会えるという好条件すぎるおうちに魅力を感じないはずがなかった。
そして私はついに彼氏の合鍵をありがたく頂戴したのだが、
そのあたりから家族との関係にややヒビが入り始める。
同棲するならその前にまずは一人暮らしをしろ、という方針のもとであった。
なんで一人暮らしをする必要があるのか、私にはあまりわからなかったが
離れるという選択肢だけはどうしても考えられないほどに彼にのめり込んでいた。
もう大人なんだし私の勝手でしょ、そう思っていた。
もやもやした関係が続いていた頃、母からのLINE。
「はっきりさせなさいよ」の一言。いつものように怒るわけではない、ただ心のうちにぐさっと突き刺さるものがあった。
仲の良い家族であるはずが私のせいでもやもやしてしまっているということにも、悲しさともどかしさを感じた私は、親に家を出ると伝える決意をようやくしたのである。二人目の彼氏と付き合ってから考えると一年弱くらい過ぎていた頃だったのではないかと思う。
いざ決着の日。心が重い。唯一安心できる居場所であるはずなのに気が進まない。
いつもよりずっしりとしたドアを恐る恐る引く。
リビングは2階なので、もちろんそこには誰もいない。
その空間が余計に私の気を重くさせる。
リビングにいた母とは何気ない会話をした。
父は3階の自分の部屋にいてそのとき降りては来なかった。
「自分で言いなさいね。」
いい加減ウジウジしていた私にしびれを切らしたか、諭すように母が言った。
怒るわけではなくて、決めるのは大黒柱の父だから、というように。
その言葉が最後のきっかけになりそうで怖くなった私は、ついに3階につながる階段を登っていく。2階には母がいるからもう戻れなかった。
そして私の発する言葉すべて母に丸聞こえという事実が、私の勇気を削いでいく。
ふうっ、と息を吐いてこっそりドアをたたく。父は趣味のギターを弾いており、ドアをたたく音が聞こえなかったようで中からの返事はなかった。
私はそっとドアを開け、中を覗く。その気配を察したらしい父が後ろを振り向く。
もの言いたげで不安げな娘の顔から察したであろう、イヤフォンをとって私の目を見た。
「…家を、出ようと思う。」
心の底から振り絞った声は、空気に虚しく溶けた。父は何も言わずに下を向いていた。それから静かに話しだした言葉ひとつひとつはこれまたずっしりと重くのしかかってきたのだった。
「急に行ってきますって行ったきり帰ってこなくなって。心配しない親がどこにいる?」
泣きじゃくってしまった私は何を話されたのか詳しくは覚えていない。だがこの言葉はずっと耳に残っている。
私は自分の身勝手で、勝手にほとんど家に帰ってこなくなった。
彼氏に心配をされても、大丈夫大丈夫~と軽く受け流していた。
私は彼氏のみならず、誰よりも大切な家族からの心配の気持ちも、愛情も、受け入れることが出来ていなかった。
家族が怒っていたのは、私を心配してくれていたのだ。ただ愛してくれていたのだ。
何が大人だ。何もわかってないただの子供じゃないか。
「本当はちゃんとお祝いしたかったけど」
と父が最後に言った。思い返せば仕事で関西に引っ越すことになった兄が家を出るときは、ちゃんと家族でお祝いをして手紙ももらって、涙と頑張れで送り出されていた。
対して私はどうだろう。育ててくれた父と母に感謝の気持を伝えられただろうか。
頑張るから、と話す時間をとれただろうか。
私は結局、訳あって一人暮らしもしたのだが、今では彼氏と同棲をしており両親は私たちを温かく見守ってくれている。
(引っ越し早々に遊びに来てご飯を食べたり、一緒に買い出しに行ったぐらいだ)
後悔の気持ちは消えていない。だが後悔してもどうしようもないのであれば、これから少しずつ、今までの恩を返していこう。ありがとうを伝えよう。たくさん家に帰って家族との時間を大切にしよう。
これがクズな娘の償いなのである。
題名を訂正しよう。"怒られた"のではない。"心からの愛をもらった"のだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます