第2話 好き、と伝えたかった
私は小さい頃、父方の祖母のことをあまり好きになれなかった。
(以下、ばあばと記載する。)
ばあばはのイメージは割と高くて良いものを買っているマダムという感じ。
ごはんのおかずもお店で買えるものは買って済ませる、なんてことがよくあった。
(もちろん全く作ってくれていなかったわけではないが)
そしてなにより、ばあばにはしっかり"しつけ"をされている感じがしていて
子供ながらにそこになんとなく苦手を持ってしまったのかもしれない。
対象的に、母方の祖母はなんでも作るし料理以外にも縫い物から書き物までなんでもできる。当時ハマっていたシルバニア人形の洋服でさえ、大人用の服も赤ちゃん用の服も、かわいいのをお菓子の箱からあふれるほどたくさん縫ってくれた。
もちろん"しつけ"がまったくなかったわけではないが、ばあばと比べるととてつもなく接しやすかった、というのが本音である。
ばあばの家にも遊びに行かなかったわけではないが、祖母の家に年に3回遊びに行くとすれば、ばあばに会うのは年に1回とか、そんなペースでしか会ってこなかった。
大きくなるにつれて、自分の心の中のその苦手意識はだんだんに強くなってしまったのかもしれない。
たまに会っておかないと、と半ば義務感のようなものも感じて一人で電車に乗って行くこともあったが、ばあばは毎回とても心配し必ず駅まで迎えに来る。
改札を通るとばあばがいて、私に気づくと細い手を振ってそれから私の頭をなでて「よく来たねえ」と言う。
帰るときもホームで帰りの電車を待つ私の姿を線路横の大型スーパーから探し出し、乗り込むまでずっと待ってくれていた。
よく来てるんだからそんなに心配することないのに。
私はといえば気づいていないような、何も気にしていないような顔で携帯をいじっていたりする。
そんな感じで遊びに行くことが数年続き、ときには会わない年もあったりして。
大学生になって久しぶりに会うと、ビシバシ動いていたばあばは本当に"おばあちゃん"になっていた。
もともと散歩はしていたけど、よく動く方でもなかったから、だんだん弱ってきてしまったのだろう。今までなんとなく尖っていると感じていた部分も気づけばまあるくなっていたように思う。
ばあばはじいじと二人で暮らしていて、じいじの方はまだまともな感じでいたから、私はまだ大丈夫だろう、と安心していた。
そんな感じで母方の祖母ほど会いに行かないまま、日々を送っていたある日、「話がある」と母から突然の呼び出し。私が大学4年生の頃のことだった。
「ばあばは施設に入ることになった」「じいじにはもう会えない」
突然の話はこのふたつである。心臓がどくっと鳴った。あまり理解ができなかった。
私の2つ上の兄は別の機会に聞いていたらしく、その日私は母と二人でこの話を聞かされた。
ばあばのカラダは本当に弱っていたようだが、もともと骨ばって細かったこともあり、会話もおぼつかなくなっていたため、まだ理解できる内容であった。しかし急にじいじに会えないとはどういうことか。
どうやらばあばを施設に入れるためのお金の件で、親族ともめかけたようである。そこで縁を切るしかなかった、とのこと。
じいじは嫌な人じゃない。なのに縁を切らなければならない。ばあばは細く弱っているのに、急にわけもわからないままじいじと切り離される。
大丈夫だと思って冷静に聞いていたのに、いつの間にか溢れ出した涙は止まらなかった。ごめんと思ってももう遅かった。それは自分が今までばあばに冷たい感情を持ってしまっていたことに対しての罪悪感も含めての涙だった。
施設に入ってしまったばあばには、コロナの関係もあってもうほぼ会えないと思っていたほうがいいと。あのときのピンピンしていたばあばはもう本当にいないんだと。その時初めて思い知ったのであった。
馬鹿だなあ。心の底ではわかっていたはずなのに、本当に馬鹿だ。
私の兄もこの話を聞いたとき、泣いていたようだ。
兄は家族も親戚も大好きで長期休みは一番に会いに行こうと言い出す人だから、
純粋な涙がそこにあったのだろう。
私の涙は濁っていたのだろうか。情けなく、悲しく、申し訳なく、なんとも言い難い複雑な感情は今も私の心を支配している。
それから何ヶ月か、1年ほど経ったのだろうか。なんとかばあばに面会できることになった。私はそれでもばあばに会うのが怖かった。
どんな顔して会えばよいのだろう。まだ私の存在を覚えていてくれているのだろうか。不安が押し寄せた。
そんな思いを旨に、でもきっと冷めた気持ちのまま会って別れてしまうのかな、なんて思いながら車の後部座席から外を眺める。何十分か走った山奥の、きれいとは言い難い施設に車は留められた。
小学校や幼稚園のような雰囲気の作りで、正面はガラス張り。その一番左にだけ同じくガラス張りのドアがついていて、横に小さなインターフォン。
もちろんきれいとは言えないそのガラスには、施設の中じゃなくて、私や兄や父や母や、一緒に来ていたおじたちの姿しか写っていなかった。
ほどなくして施設の担当の人がやってきてドアを薄く開ける。それしか開けてくれないの?と拍子抜けした。おじと何やら話をしている間に、私達は外にあったパイプ椅子をガラスの前に並べて座り始める。
コロナなのでガラス越しにしか会えない、とのこと。まるでよくドラマなんかで見る、囚人と会うときのようじゃないかと、私はまた複雑な気分でどんな顔をしたらいいかわからないまま、自分の指を眺めていた。そして、、
ばあばは施設の人に車椅子で押されながらガラスの向こう側にやってきた。
面会用とは思えない、分厚いガラスは正常な人間の声でさえ、薄っぺらくしか聞こえないだろう。か細くなってしまったばあばの声はもちろん通してくれなかった。
ガラスのそばまで駆け寄って、ばあばの姿を必死に覗いてみるが、痩せこけて傾いているばあばの姿はもう私の知っているばあばではなかった。
兄の、ばあば、の呼びかけに力なく笑う顔。いつもは無口な父が懸命に窓の向こうのばあばに話かける。私はといえば、これまた力なく、笑っているしかなかった。
「今しか会えないからな。名前呼んでやって」
とおじに背中を押され、こんな状況でも恥ずかしく思いながら「ばあば」と呼んで見る。ばあばには伝わったのか、伝わっていないのか、よくわからなかった。
今度は、施設の人が開けていてくれたドアの少しの隙間から私達は代わる代わる声をかけた。ばあば、元気?俺だよ、わかる?そんなことを聞いていると、ばあばは突然ゆっくりとまがった人差し指を私と兄に向けながら、また力ない微笑みを浮かべ、そしてばあばの目から涙がこぼれた。
ばあばと初めて目が合った。その瞬間、また複雑な感情が押し寄せる。そして私はドアの横に倒れ込み大号泣した。
ごめんね、ごめんね…。全然会いに行かなくてごめんね。連絡しなくてごめんね。
一人で寂しいよね、ごめんね。ごめんね…。
ばあばもそこでいろいろなことを思い出したのか、骨ばってしまった腕で、泣きながらそのドアを開けようともがいていた。開けられるわけがないドアを必死に開けようともがいていた。
会いたい。触れたい。行かないで。一人にしないで。
私にはばあばがそう言っているように見えてならなかった。
幸いなことに、2年以上たった今も、ばあばはあの施設の中で生きてくれているようである。
あれからというもの、忙しく毎日が過ぎてしまっていることもあり、私はまだばあばに会いに行くことが出来ていない。結局、成長出来ていないようである。
だけど、私は今日もばあばを思い出す。思い出して忘れて、そしてまた思い出す。
ばあば、ごめんね、大好きだよ、もっとたくさんそばにいてあげたかったよ、、。
どうか施設の中までばあばに会いに行ける日が来ますように。
隣にかがんで手をとって、ここにいるよ、大好きだよって言える日が来ますように。
それまでどうか、元気で生きていてね。私は今日も祈っています。
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