第36話 ガキの特権だろ


「……なんか、どっと疲れた」


 その日、部活を終えた俺はそう言って玄関を開いて自宅に入る。


 いつものように鞄を置く前にコーヒーでも飲もうかと思っていると、酔っ払いから声が掛けられた。


「お帰り、愛しの弟」

「……俺は姉を愛するような趣味は無いんだが?」

「ヒロのそういうとこ、嫌いじゃないよ」


「俺は絡み酒する女は嫌いなんだよなぁ……」

「嫌いの反対は好きって言うでしょ? 無関心が一番キツイんだよね」

「嫌いが好きに反転するなんてのは理想論だっつーの」


 そう返しながら居間へと入ると、すでに酒で酔っ払い薄着と短パンというだらしない姿を晒す緋由の姿があった。


「お前な……だらけ過ぎ。女なんだからせめてもう少し服装どうにかしろよ」

「ヒロしか居ないんだし、へーきへーき」

「姉貴のそんな姿見ても喜ばねぇよ……」


「お? じゃあ、彼女なら喜べるの?」

「俺がそんなだらしねぇ彼女作るわけねぇだろ……」


「え~、でもヒロってば料理も作ってくれたりするし、彼女は絶対私みたいなタイプになるって」

「だらしねぇ女に興味はない」


「ヒロが興味なくても、向こうが興味抱くかも?」

「ンなもん、彼女じゃなくてガキだろ……。子供が産まれても俺しか子育てできねぇじゃんか」


「わお、彼女イコール奥さんってこと? ヒロってば大胆」

「……うるせ、ただの言い間違いだよ」


 俺は相変わらずな姉の言葉にため息を吐くと、コーヒーを取り出して淹れようとする。すると、それを待っていたかのように注文が入ってくる。


「私、お水ね。冷蔵庫に入ってる天然水で」

「……そこから動いて数メートルも無いところに冷蔵庫があるな」

「でも、そこに君が居るわけだ?」


「……ったく、動けよ。牛になるぞ、マジで」

「こんなバランスの良い体持った姉ちゃんに、そんな嫌味が通じると思う?」

「……遺伝子間違えたんじゃねぇのか、こいつ」


「もしそうなら、ヒロと血が繋がってなかったとか? やば、そのシチュエーション激アツじゃん」

「逆にこっちは駄目な姉貴がヒロインとか、ガン冷めだよ」


 緋由のコントに付き合わされ、辟易としつつも冷蔵庫から天然水を取り出すとコップに入れる。


 こういう時、家でのカースト下位に選択権はないのだ。


「……ほら」

「わお! ヒロ大好き!」

「……俺は今、大嫌いになったが?」


「ヒロの言うことは九割が嘘だからね」

「アホか。人を勝手に詐欺師にすんじゃねぇよ」

「まあ、ヒロって傍から見たら何考えてるか分からないだろうし、案外天職かもよ?」


「詐欺師は職業じゃねぇだろうが……」

「うん、確かに」


 あまりにも頭の悪い会話に俺が頭を抱えていると、緋由は手渡されたコップの水を勢い良く飲み干しながら「く~!」と言って机の上に思い切り叩きつけていた。……おっさんかよ、こいつ。


 かと思えば、突然年上の貫禄を醸し出した訳知り顔を向けてきた。


「……もうちょっと落ち込んでるかと思ったけど、そうでもないね」

「はあ? 誰の所為でこんなことになったと思ってんだよ」

「う~ん……分かんない?」


「……じゃあ、その酒に浸った頭で考えろ」


 わざとらしく首を傾げる緋由に呆れ、俺は自分の飲み物を淹れるべく台所へと戻る。そんな俺のことを見ながら、緋由は相変わらず本気なんだか冗談なんだか分からない声音を向けてきた。


「仲直りできたんだ?」

「……ガキの喧嘩じゃねぇんだから、仲直りも何もねぇだろ」

「いくつになっても仲直りは仲直りでしょ? 私もヒロと喧嘩して仲直り出来なかったら死んじゃうもん」


「……それなら死因は餓死とかそんな理由か」

「料理を作ってくれるヒロが居ないと、そうなるよね」

「俺はお前の世話係じゃねぇんだぞ……」


 そう返しながらポットで沸かしたお湯でインスタントコーヒーを淹れると、ゆっくりと口に運ぶ。


 相変わらずクソ不味く苦い味が口に広がり、思わず顔をしかめるが、その最中も緋由から視線を向けられていることに気付いてため息を吐く。


 そして、コーヒーを入れたカップから口を放すと、そのカップに視線を落としながら小さく言葉を返した。


「……俺はあいつらと―伊色と依代との関係を両方無くしたくない」

「ふ~ん……」

「……そういうことだろ、聞きたかったの」


 俺が不貞腐れたようにそう言って顔を上げると、緋由は「まあね」とニッコリと笑みを見せる。だが、同時にどこか品定めするような目と冷静な声を返してきた。


「でもさ、二兎を追う者は一兎をも得ず、って言うじゃない? そんなこと言ってると、今度は本当に二人とも失うかもしれないよ?」


 その言葉は突き放すようなものでありつつも、やはりどこか俺のことを心配するような雰囲気を感じた。


 こいつなりに俺を心配して、あいつらとの関わりから手を引いた方がいいって言ってるんだろう。


 そんな姉の気遣いを受け、俺は再びカップを口に運ぶ。


「バ~カ、そういう無邪気なことが言えるのが―」


 そして、そんな状況の打開策も見つからないまま、大した言葉も見つからなかった俺は、我ながら酷い言い訳を口にするしかなかった。


 今はまだ、この状況を保留にしておかなければならない。


 あいつらとの関係が終わらないなら、俺は馬鹿なままで良い。


 だから、俺はこんな下らない言い訳を口にするのだ。


「―ガキの特権だろ」

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