第35話 もう、何もかも


「ごめん……」


 部室に入るなり、先に到着していた伊色はそう口にしてきた。


 俺はそんな伊色の言葉に一瞬驚くものの、自分の席に座るとなるべく自分を落ち着かせながら冷静な声で答える。


「……そりゃ何に対しての詫びだ? 今から話すことが部活に関係ないからとかか?」

「……気付いてたの?」


「まあ、部活の話であんなに重い感じにならねぇだろ普通。ただの手芸部だし」

「そっか……。うん、須藤くんの言う通り。……翠とはもう話したんだよね?」

「……まあ」


 どう答えて良いのか分からず、曖昧に返してしまう。


 そんな俺に、やはり同じように困惑した表情を見せながら伊色は話を続けていく。


「……昨日、あの後……須藤くんのお姉さんに言われたこと、二人で話し合ったんだ」

「……あんな奴の言うことなんて聞かなくていい。大方、真っ昼間から酒飲んで酔ってただけなんだからな」


「ううん……あの人の言う通りだと思う。須藤くんに酷いことをしたのに……こうして部活に誘ってるから。……自分勝手だよ、私は」

「自分勝手かどうかは俺が決める。……本当に自分勝手だと思うなら、部活だろうがなんだろうが俺は乗らねぇよ」


「勝手だよ……本当に。私さ、あの頃からずっと後悔してて……その罪滅ぼしみたいにしようとしてるのかもしれない」


 何が『罪滅ぼし』だ……どいつもこいつも、本当に自分勝手だ。


「……言っただろ。それを決めるのは俺だって。お前はただ手芸部をやりたかったんだろ? その部員集めに俺が乗った……ただそれだけの話だろうが」


 まだ俺に未練があるんじゃないかなんて勝手に期待して……そんなわけがなかったんだ。


 こいつはそれ以上に俺への罪悪感を持っていて、それをずっと背負ってる。


 それは依代も同じだ。


 あいつもどうにか昔みたいに俺と接しようとしてるが……やっぱり、どこか違和感がある。


 本当に、今日は最悪の日だ。


 元カノが背負ったものを知れば、憎もうとしても憎めなくなる。


 元カノが負ってる痛みを知れば、文句を言おうとしても言えなくなる。


 ただ、恨むことができたなら、どれだけ楽か。


「……須藤くんの言葉に甘えて、部活がやれてる。本当に……ありがとう」

「……別に。帰宅部よりイメージが良いから入っただけだ」

「それでも……私や翠にとっては本当に嬉しかった」


 やめてくれ……初めての彼女だったんだよ。


「いつもどこか冷たいけど、ちゃんと人のことを考えてくれて……そういうところが本当に優しいなって思ってた」


 自分で突き放した癖に。


 俺が付き合った後のデートプラン考えてたことを知ってたか?


 ネットとか本を使ってひたすらデートスポットを検索しまくって、映画の下調べだってしてたんだぞ?


「そんな須藤くんと居られたら楽しいだろうなって……ずっとそう思ってたんだ」


 デートで待ち合わせした後の会話だってシミュレートして、喫茶店でする会話だってノートにぎっしり書き込むくらい気持ち悪いことしてたんだ。


「でも……ごめん。将来の為に遊んでいるなって……お父さんに反対されたの」


 やめろ。そんなことを聞かせるな。


 お前も依代もただ俺を利用してた―そう思わせたままでいさせてくれよ。


 それだったら、大人になった後に「若気の至りだ」って酒を飲みながら笑い飛ばせたんだよ。


「……ねえ、須藤くん」

「……なんだよ?」

「こんなこと言われても困るだろうけど―」


 そうやって大人になって、俺達の関係はただの『都合のいいトモダチ』にしておけば良いだろ。


 だから―それ以上、俺の感情をかき乱すんじゃねぇよ。


「―私、須藤くんのこと好きだったよ」


 それでも、お前が望んだのは『彼氏』じゃなく、『都合のいいトモダチ』なんだろ。


 だったら望み通りにしてやるよ。


 それがお前達の望みだって言うなら、これからも俺は『都合のいいトモダチごっこ』を続けてやる。


 それがお前達と居られる理由だって言うなら―いくらでも馬鹿を演じてやるよ。


(あぁ……)


 もう、何もかも―どうでも良い。


「……それでも付き合うわけにはいかない、か」

「うん」

「……相変わらず、勝手な女だな」


「本当に……自分でも最低だと思う。だから、本当に嫌だったら部活を辞めても良いよ。……正直言うとさ、無理矢理須藤くんを誘って後悔してる。本当は嫌だったんじゃないかとか、私達に同情して入部させて迷惑だったんじゃないか、とか……毎日そればっかり考えてた」


「それで退部しても良い……か」

「高校生って三年間しかしてないのに……それを私達の都合だけで縛って良いわけないって……そう考えてる」


 それこそ、今さらだろうが。


 人の気も知らないで、好き勝手言いやがって……。


「……じゃあ、俺の本心を伝えてやろうか?」

「……うん」


 自分で言っておいて、そんな顔すんじゃねぇよ。


 散々人の人生狂わせて、それで悲しそうな顔なんてするな。……一番の被害者は俺だろうが。


 だから―


「退部なんて、意地でもしてやるかよ」

「え……?」


 俺の声に驚いて顔を上げる伊色を見ながら、俺は強い口調で続けていく。


「テメェの人生だ。もういちいち元カノだなんだなんて関係なく、俺の意思で決める。だから部活には残るし、頼まれても今さら退部なんてしねぇよ」

「そんなことしないけど……良いの?」


「何が?」

「だって、私達と居ても……楽しくないし、嫌かなって……」

「勝手に決めるなよ」


 これだから女っていうのは……何も男のことを分かっちゃいない。


 俺がここに居たい理由なんて、一つしかないだろうが。


「好きだった奴の近くに居たいだけだ。気にすんな」

「あ……」


「俺は馬鹿は馬鹿でも、筋金入りの馬鹿なんだよ。それ以上の理由はなくても、それだけで動ける人間だ。それが分かったら、もう二度とそんな面倒くさい話するんじゃねぇよ」


「須藤くん……」

「話はそれだけか? それなら俺は昼飯食いたいんだが?」

「あ、うん……」


 驚く伊色を横目に買ってきたパンを口に入れ、ブラックコーヒーで流し込む。


 味も何も分からなくなるが、それで良い。


 我ながら恥晒しな上にダサいことを口にしたことを考えれば、さっさと昼飯を済ませて忘れたいんだからな。


 そんな俺の様子を見ていた伊色だったが、やがて椅子から立ち上がると突然俺の目の前に弁当箱のフタを置いた。そして、その上に串の刺さったウインナーや唐揚げを置くと、再び自分の席へと戻っていく。


「……何これ? 食って良いの?」

「……うん、迷惑掛けたお詫び」

「はあ……? まあ……いただきます」


 そうして串を掴んで口に入れると、旨味が広がっていく。


 あの時、一度だけ中学の頃に弁当を分けてもらった時も同じ組み合わせだった。


 俺が肉類が好きだと言ってくれたウインナーと唐揚げ……その時よりもさらに美味い。


 しかし―


「そういや、お前……あまり肉が好きじゃないとか言ってなかったか?」

「……たまには良いかと思って」


 そうして答える伊色はいつもと変わらない。


 でも、箸の使い方が悪くなっているらしく、上手くおかずを掴めていないようだった。


 そんな伊色の様子を見た後、俺はパンと一緒に残りのおかずを口に入れると何気ない様子でこう答えた。


「ちくしょう……美味ぇな」


 俺のそんな言葉に、一瞬―ほんの一瞬だけ伊色が微笑んだ気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る