新説巌流島~宮本武蔵はなぜ佐々木小次郎を殺さなかったのか~

デバスズメ

~宮本武蔵はなぜ佐々木小次郎を殺さなかったのか~

宮本武蔵はなぜ佐々木小次郎を殺さなかったのか。その答えは、誰もが知っている巌流島の決闘に隠された歴史だけが知っている。


「遅いぞ武蔵!」

「待たせたな小次郎!」


佐々木の待つ砂浜に宮本の小舟が到着する。あえての遅刻という作戦が功を奏したのか、すでに佐々木の心は落ち着きがない。


……いや、佐々木の心は別の意味で落ち着いていなかった。

「はぁ……」

「どうした小次郎、決闘に挑むにしては覇気が無いではないか?」

「犬が……」

「犬……?」


「世話をしていた犬が、今朝成仏しおってな……」

「お、おう、そうか……それは、たいそう心境辛かろう」

「いつの間にか村にふらりとやってきた犬でな。始めてみたときは、それはひどいもんだった。やせ細って今にも倒れそうでな。何があったかは知らぬがたった一匹でふらふらと……」

「そうか……」


「村の皆で助けてやろうということになってな。しばらくは毎日ほとんど身動きもせなんだが、日に日に少しずつ、少しずつ、元気になってきてな……」

「うむ……」


「一月もした頃だったか、毛並みも良くなって顔つきも凛々しくなりおってな、いよいよ元気に走りわまるようになりおった。その時は村のみんなで大喜びしてな。まるで祭りのようであったことよ……」

「うむ……」


「それからも皆で可愛がった。子どもたちの遊び相手になったり、畑を荒らす狐を追っ払ったりと、実に働き者であったことよ。だが、もう年だったのであろうな。段々座っている時間が増えてきて、そして今朝……」

「うむ……」


「今日の決闘、犬に勝利を伝えるつもりであったが、もはやそれも叶わぬ。しかし、勝負は勝負、いざ尋常に……」

「あいや、待たれよ」


「どうした武蔵?」

「今のお主にまともに刀が震えるとは思えぬ」

「なにを?この佐々木小次郎を侮辱するか!?」


「否。剣術とはつまるところ殺しの技。いまのお主は死の悲しみに飲まれている。そんな状態で剣を振るっても、死の悲しみが横切る。思考は止まり、剣は止まり、そしてお主の命も止まる」

「……」


「小次郎よ。今日はまず帰れ。そして村の皆で犬を供養してやるのだ。今日ここで決闘する手はずだったのも何かの縁。儂も一緒に供養させてはくれぬか」

「かたじけない……」


「そうと決まれば決闘はしばし水入りだ。ゆくぞ、小次郎」

「ああ……、武蔵」


……その後、武蔵と小次郎は犬の冥福を祈るためにしばし剣術から離れるのであるが、どれほどの売れ行きだったのかは隠された歴史だけが知っている。



宮本武蔵はなぜ佐々木小次郎を殺さなかったのか。その答えは、犬が死んだからである。


おわり


(諸説あります)

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