明るい認知症

さるナース

明るい認知症について


「あ、いっけない」と舌を出し、今でいう「テヘペロ」の表情で病室へ戻っていく。 そんなおばあちゃん可愛くないですか?



"認知症" この言葉は誰もが聞いたことがあると思う。


 けれど認知症を患った人と関わったことのある人はどれだけいるのだろうか、昔は大家族も多くおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らしているところも多かったが、今は核家族化が進み高齢者とは暮らしたことの無い人も多いのではないだろうか。



***



 僕は看護師である、病院で看護師として働き出すまでは "認知症" を患った人と関わった経験は無く、自分のことも訳が分からず何も覚えることができずよくわからない行動を繰り返してる、大変だよな、かわいそうだな、という風に思っていた。


 その中でも一番強く思ったのは "かわいそうだな" という気持ちだった、しかし実際に認知症を患った人と関わってみると "かわいそうだな" という気持ちは小さくなった。


 むしろ本人はある意味で幸せなんじゃないか? けれど周りの家族は大変だろうな、と思うようになった。



***



ここは病院である、入院してきた患者さんは高齢の女性である。


 名前は『ナガさん』としよう。


 入院当初から表情は穏やかでニコニコしている、足の骨折をして手術が終わった後の患者さんだ。


 まだ痛みはあるだろうが歩くことはできる、認知症を患っており何度も病室から抜け出し病院の外へ出ようとしたりする、認知症によくある症状の "帰宅願望" だ。


 その都度見つけて「部屋に戻りましょう」と声をかけるのだが、ナガさんはニコニコ笑い「あ、いっけない」と舌を出し、今でいう「テヘペロ」の表情で病室へ戻っていく。


 当時はそんな言葉はなかったと思うが、まさにあれは天然の「テヘペロ」だ。



 そういったことを何度も何度も繰り返すのだ、足の骨折以外には身体能力は高く歩きも速いため、僕たちは気が抜けない。


 ナガさんはいつもニコニコしている、なので僕たち看護師も "可愛い愛されおばあちゃん" という認識でいた。


 けれどこの行動を自宅でやられると家族は眠れなくて大変だろうな、とも思った。


 夜勤中も夜中に何度も起きてトイレに行こうとする、転倒の危険もあり危ないので付き添ってトイレへ誘導し、その後ベッドに戻ると5分後にまたトイレに行こうとする。 それを10回以上繰り返すのだ、しまいにはトイレの中で「おかしいね、出ないね」とつぶやいている。


(そりゃ、そうだろう)と僕は心の中でつぶやく。


 病院外への脱走を何度も試みるも瀬戸際で阻止して、大きな事故もなく入院生活は続き、いよいよ退院の日が迫る。


 家族さんの気持ちを『聞くと足腰が弱まってるのでは?』 『また転倒してしまったら?』 …不安は大きいようだ、足の動きに関しては骨折前と変わらないような状態だ、ただ認知症については入院生活で少し悪化したようにも見える。


 入院中は安全のためにほとんどの時間を病室で過ごす、外からの刺激も少なく、家族とも会えず会話も少ないため認知症が進む傾向にある。


 退院後はしばらく自宅で過ごし、平行して施設を探す方向となった、退院前にソーシャルワーカーが施設の案内をしていだが順番待ちが多いとのこと。



※ ソーシャルワーカーとは、簡単に言うと "患者さんの相談役" 患者さんやご家族さんが不安に思ってること疑問に思ってること等を聞き取り、患者さんと医療従事者との架け橋となる存在である。



 僕たちは普段から多くの高齢者を相手に仕事をしている、退院後の施設が見つからない、施設に空きはあったが病気の関係で受け入れが困難だと言われた、施設に入っても扱いが悪い、などいろんな話を耳にする。


 僕たちはまだ若い、けれどこういった話を聞くと将来が不安だ。



"長寿大国"日本。 医療が発展し、平均寿命は年々延びている、けれど平均寿命が延びているだけであって、健康な人が増えてるとはあまり思えない、むしろ若い世代の方が病気持ちだらけだ。


 医療の発展に対してそれを支える周りの環境が追いついていない、加えて若い世代は少なくなりお世話を必要とする高齢者はどんどん増えていく、自分もやがてはその高齢者になる。


 とある漫画にて、動けなくなった高齢者を仮想空間のマシンに繋ぎ、仮想空間で生活してもらうというのがあった。


 もちろん下の世話や点滴による栄養補給などは現実の世界で行う必要かあるが、認知症による徘徊の対応や、トイレへの誘導、食事の介助、入浴の介助、リハビリ、レクレーション、それらをすることに比べたら支える人員は少なくてすむのではないか?


 実際の身体は動かないが、仮想空間でなら好きなことができるし、会話も不自由なく行えるし、味を感じられるシステムが出来れば好きな食べ物、硬いものだって食べる感覚を味わえる。


 僕が高齢になったらそんな未来の方が希望があるんじゃないのかな、漫画を読んで僕はそう思った。



"認知症" も本人の頭の中は若いままかもしれないし、自由に動けるという認識をもっているのかもしれない、ある意味 "仮想空間" なのではないかと僕は思う。


 技術はもちろんだが人権的な問題も大きく僕の意見は賛否両論だろう、けれど今後そういった分野が発展していけばいいのになと僕はひそかに願っている。




***

 ご閲覧いただきありがとうございます。

 感想、ブックマーク登録 お待ちしています。



この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明るい認知症 さるナース @saru-ns

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ