第106話 ゴメンね


 思った以上に川の流れが激しいわね。

 でもこれくらいなら、何とかなる。

 エリーザはそう思いながら、激流の中で近くの岩に掴まった。

 そして川から身体を引き上げて、岩の上に立った。


「ハアハァハア。 こ、ここまで来たら大丈夫よね?」


 そう言いながら、周囲を見渡すエリーザ。

 周囲には人影はない。 

 それを確認するとエリーザは両足に風の闘気オーラを纏い、岩の上から、川岸に飛び移った。


 ローブを初めてとした衣類がたっぷりと水を含んでいた。

 下着もずぶ濡れで気持ち悪い。 だがその前に体力の回復が先だ。

 エリーザは腰のポーチから、一枚のスクロールを取り出して、天高く掲げて魔力を篭めた。


 次の瞬間、天に掲げられたスクロールが眩く輝き、その光がエリーザの身体を暖かく包み込んだ。 緊急時に用意していた英雄級回復魔法に該当する魔法スクロール。 その効果は抜群で、瞬く間にエリーザの身体の痛みを癒してくれた。


 そして身体を温めるべく、ローブを脱いで地面にある小枝を集めて、初級火炎魔法で火をつけた。


「……ふぅ、これで一息つけるわ」


 暖を取りながら、身体を温めるエリーザ。

 さてこれからどうしたものか。 幸い手元には三個程、転移石がある。

 こういう状況を予想して、予め用意しておいた甲斐がある。


 もう母もこの世に居ないし、エルフの国に未練はない。

 ならばマライア達を頼るべきだろう。 ここからダストア平原に転移して、ダストア平原の東にある港町アバラスに行き、そこからいくつか船を乗り換えて、中立都市リアーナを目指す。


「これで私もお尋ね者か。 あはははっ……落ちたものね」


 自嘲気味にそう笑うエリーザ。

 今回の件でエリーザは行方不明扱い、あるいは戦死扱い。

 だが冒険者ギルドを利用すれば、エリーザが生きている証になる。


 そうなれば自分は文明派のエルフからお尋ね者扱いされるだろう。

 だが別にそれでも構わない。 どうせ、おまけの人生だ。

 ならば精々好きにさせてもらうわ。


 とりあえず衣服を乾かすべく、火と風の合成魔法の熱風を最小威力で生み出した。

 熱風をちょうどいい感じに調整して、冷えた身体や濡れた衣服に浴びせ続ける。

 その時、川の方から叫び声が聞こえてきた。


 条件反射的に後ろを振り返るエリーザ。

 すると視線の先で川に流される犬族ワンマンバルデロンの姿があった。

 一瞬、バルデロンと視線が合った。


 バルデロンは両眼を見開き、何かを言おうとしたが、激流に流されて、エリーザの視界から消えた。


「……」


 今なら助ける事も不可能ではない。

 だがエリーザはその選択肢は選ばなかった。


「……ゴメンね。 バルデロン」


 このまま川に流されたら、いずれ北エルドリア海に出るだろう。

 そうなればバルデロンが助かる可能性はほぼなくなる。

 自ら手を下すのは嫌だが、助けるのも嫌だ。


 そもそも彼の存在自体がイレギュラーなのだ。

 喋る動物は猫族ニャーマンだけで充分だ。

 しかしやはり後味が悪いのも事実。


 これだけでも自分は、地獄行きかもしれない。

 だがそれでも構わない。 エリーザは死後の世界には興味がない。

 彼女が選ぶのは、不様でも生きるという道だ。

 

 ――ゴメンね、母さん。


 ――私はまだ母さんの所へ行けそうにはないわ。


 そしてエリーザは、乾いた衣服を再び身に纏い、

 腰のポーチから転移石を取り出し、頭上に掲げた。


「転移! ダストア平原!」



 結局、ナース隊長の部隊が追撃を中止したのは、翌日の早朝だった。 思いの他、敵の反撃が厳しくて、想像以上の被害が部隊に生じた。


 追撃前の兵数は553人だったが、今回の追撃戦で戦死者56人、負傷者67人といった少なからぬ損害が生じた。 俺達は後方の救援部隊と合流して、怪我の治療や魔力の回復、武具の補修をしながら、ナース隊長率いる本隊の帰りを待った。


 そして半日後。

 出発前は、意気揚々としていた本隊及びネイティブ・ガーディアンの兵士達は酷く疲れた様子で帰還した。


「……レビン団長、ドラガン殿。 今回の追撃は私の判断ミスだ。 関係のない卿らまで巻き込んで、すまなかった。 このとおりだ!」


 馬から降りて、レビン団長とドラガンに謝罪するナース隊長。


「いえいえ我々は気にしてませんので」と、レビン団長。


「同じくです。 終わった事を嘆いても仕方ないですよ」


 と、ドラガン。


 まあレビン団長やドラガンがこう言うなら、俺も我慢しよう。

 本当は嫌味の一つや二つも言いたかったが、これ以上、話を蒸し返すのは不毛でしかない。


 そして俺達は余裕を持って、一日かけてフォリスの森から大聖林に帰還した。

 結果だけ見れば、今回の戦いは穏健派及び俺達の勝利だ。

 だが大聖林に帰還しても、穏健派の兵士達の顔色は優れなかった。


 まあそりゃそうだろう。

 あの追撃戦は、まさに無駄な消耗戦だったからな。

 

 開戦前は650人居た戦力も500人を割るという結果。

 単純計算で100人以上の戦死者が出た事になる。

 

 まあ敵の損害はそれ以上だが、素直に喜べる状況ではない。

 文明派にしろ、穏健派にしろ、とにかく戦争馴れしていない。

 戦力はそれなりに整っていても、やはり部隊を動かす指揮官コマンダーが優れてなければ、意味はない。


 まあこれはウェルガリア全土の各種族、各国に言える事だけどな。

 もしこの状況下で統率された大部隊に襲撃されたら、と、思いながら、俺はとある人物の言葉を思い出す。


 ――その封印結界も解け、魔族が再び地上に降臨しようとしている。 


 ――今こそ六百年の屈辱を晴らす時とな。


 そう。

 これはあのダール島のエルシトロン迷宮に住むあの老魔族の言葉だ。


 もしあの老魔族ジークロンの言葉が正しければ、魔族の復活は近い。 そして魔王率いる魔族の大軍が今の統率力が低い各種族の領土に侵攻したら、どうなるっ!?


 なんて事が頭によぎってしまう俺は心配性?

 まあ俺の杞憂だといいんだがな。

 でも何か嫌な予感がするんだよな。

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