第3話 暁の会敵

1941年7月22日


 22日の夜明け前に台湾の台南飛行場から発進した新型偵察機「海雲」16機の内、第4索敵線を担当している田辺庄一飛曹長を機長とする機体は午前6時前、南シナ海に差しかかっていた。


 南シナ海は西のインドシナ半島、マレー半島、東のフィリピン、南のボルネオ島に囲まれた海域であり、珊瑚礁が多いということもあって自然豊かな海であったが、この海域が間もなく硝煙の匂いに浸食されるのだろうということは、下士官の田辺にも十分に察しが付いた。


「岸本飛曹、現在の本機の速力はどれくらいだ?」


 午前5時59分、田辺は海雲の操縦桿を握っている岸本拓也飛曹に聞いた。


「現在の本機の速力は丁度288ノット(時速533.376キロメートル)です。燃料にもまだ余裕があるので、万が一、敵戦闘機が出現したとしても振り切る事ができますよ」


 岸本は陽気な声で返答した。


 新型偵察機「海雲」が正式採用されたのは、日米関係が急速に悪化し始めていた今年3月の事であった。


 海雲の特筆すべき点は、離昇馬力1300馬力を誇る三菱「木星」エンジンから生み出される高速力であり、量産に移行する前の試作機の段階では、311ノット(時速575.972キロメートル)もの速力を叩き出していた。


「南シナ海に北から侵入しようとする米艦隊が発見できるとしたら、もう少し行った先でしょう。もう少しで折り返し地点ですが、燃料ギリギリまで索敵ラインを伸ばしましょう」


 岸本は田辺に索敵ラインの延長を申し出た。岸本も田辺と同様、この索敵が持つ意味の重要性を十二分に理解しているのだろう。


「いいだろう、お前に任せる。今日は何か胸騒ぎがするしな」


 田辺はそれを了承し、田辺と岸本の2人を乗せた海雲は南へ南へとひたすら飛行してゆく。


 異変が起こったのは、約20分後の事であった。


 水平線上の向こうに、ごま粒ほどの艦影を岸本が発見したのだ。最初に発見した艦影は1つだけであったが、彼我の距離が縮まるに連れてその数は2つ、3つ、4つと増えてゆき、艦影の大きさも大きくなっていった。


「飛曹長! 米戦艦4隻確認! 間違いなく米艦隊です!」


「了解! 4戦隊司令部宛に打電する!」


 田辺がキーボードを叩いて暗号電文を作成し始めたが、半分程度が完成した所で、海雲の後ろから急速に接近してくる黒い影に気づいた。


 米空母から発進した機体か、それとも、アジア艦隊所属の機体かは知らなかったが、田辺機の存在に気がついた搭乗員が、田辺機を撃墜しようとしているのは明白であった。


「岸本っ! 敵機だ!」


「了解! 離脱開始します!」


 田辺が叫び、それを聞いた岸本が海雲のエンジンをフル・スロットルに開いた。


 敵機が両翼に発射炎を閃かせ、青白い機銃弾の奔流が海雲に殺到してきたが、その時には速力300ノットを突破した海雲はそこにはいない。敵機の搭乗員は海雲の速度性能を見誤り、未来位置の計算を間違えたのだった。


 敵機は急速に小さくなってゆく。敵戦闘機も必死に海雲に最高速力で追いすがっているようであったが、海雲の方が優速であった。


「左前方、敵機!」


 田辺が新たな敵機の出現を報せた。田辺機に気づいた敵機は1機だけではなかったのだ。


 岸本が操縦桿を右に倒し、海雲の機体がゆっくりと旋回を開始する。海雲は偵察機という特性上、旋回性能が良好とは言えなかったが、それでも2機目の敵機が距離を完全に詰め終わる前には、旋回を終え、機首を反転させていた。


「打電完了!」


 田辺が4戦隊司令部へ送る暗号電文を完成させ、送った。


 三菱「木星」エンジンが咆哮し、旋回時に失った速力がみるみるうちに回復する。


 エンジンの轟音が搭乗員席の中を満たし、それに負けず劣らずの声で岸本が3機目の敵機の接近を報せた。


「まだいたか!」


 もう完全に敵機を振り切ったと思った田辺は思わず罵声を漏らした。


 これまでは、回避と打電に必死で敵機の機種などに意識が回らなかったが、今、敵機と正面向かい合って始めて、敵機の機種が分かった。


 日本軍機とは対称的な樽のような胴体――グラマンF4F「ワイルドキャット」で間違いない。この機体は既に戦争の渦中にいる英国に多数が供与されていると聞いたが、太平洋にも既に相当数の機体が配備されていたのだろう。


 海雲とF4Fの距離が詰まり、F4Fの機銃が発射される直前、岸本は操縦桿を前に倒し、機体をF4Fの下腹の死角へと巧みに滑り込ませた。


「今度こそ大丈夫だな」


 F4Fの機影が小さくなってゆき、田辺は笑い混じりの声で呟いた。


 敵艦隊発見時に計3機のF4Fに襲われたのにも関わらず、自慢の高速性能を十二分に生かして自力で窮地を脱したのだ。


 海軍期待の新型偵察機として立派な初任務をしたと言える。


 後は、台湾まで帰投するのみであった・・・


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日本海軍 偵察機「海雲」


全長 10.4メートル

翼幅 12.3メートル

発動機 三菱「木星」 離昇1300馬力

最大速度 305ノット(時速564.86キロメートル)

兵装 7.7ミリ旋回機銃×1挺

乗員 2名

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次回、レキシントン級巡洋戦艦対伊勢型戦艦の戦いが幕を開けて――?


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2022年4月3日 霊凰より








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