宇宙の理

@fua---o0o0o0

第1話

 広い室内に、警報音が鳴り響く。

「何だ! 何が起きている⁉」

「異常な速度です!」

「こちらも異常値を示しています!」

 矢継ぎ早に怒号が飛び交う。

「発射前に止めろ!」

「こちらの入力を受け付けません! 制御できない‼」

 白衣を着た研究員たちが、目の前の大きなパネルに必死に何かを打ち込んでいる。

「このままでは大惨事になるぞ!」

「あと七十五秒で衝突します!」

「もう止められません!」

 研究員の一人が、カウントダウンを始める。

「残り六十秒……三十秒、二十秒……」

 カウントダウンが進むにつれ、叫喚はため息に変わっていった。

「十、九、八、七……」

 残り数秒となると、皆、周囲の人間と抱き合い、神に祈りを捧げた。

「三、二……」

 最後のカウントで、一帯は白い光に包まれた。


 気が付くと私は、見慣れない部屋の見慣れないベッドに横たわっていた。あちこち痛む身体を起こして、左側の窓から外の様子を伺った。見たことのない、のどかな農村の風景が眼前に広がっている。

 ここはどこだ。なぜ私一人なんだ——。あの日、私たちはあの漆黒の球体へと旅立ったはずだった。私から国も家族も人生も跡形もなく奪い去った、あの忌まわしきブラックホールに。

 三十年前、大型粒子加速器の実験施設で事故が起きた。指をぱちんと弾くと全てが消えるマジックのように、ほんの一瞬で一つの国が消し飛んだ。焦土と化した国土に残ったのは、直径一・八キロメートルの巨大な黒い球体だった。あらゆる物理攻撃も効かず、近づくものをことごとく飲み込み、一筋の光すら宿さないその塊は、まさしくブラックホールだった。ブラックホールは誕生したその日から、少しずつ、だが着実に膨張していた。あの貪欲な球は、いずれ地球をも飲み込むだろう。地球滅亡の危機を救うべく、世界中のあらゆる分野のエキスパートが三十年もの歳月をかけて、ある装置——超小型粒子加速器を開発した。この装置でワームホールを出現させ、その先のホワイトホールからブラックホールのエネルギーを吐き出させれば、理論上ブラックホールは消滅する。ワームホールを生み出す条件は、ブラックホールの内部で装置を起動させること。つまり、ブラックホールを消滅させるにはブラックホールの中に入らなければならない。

 私は装置を起動させる兵士として養成された。私は私と同じ使命を負った数名の同士と数多の訓練を潜り抜け、ブラックホールへと出航する船に乗った。地球上のどんな物理法則も通用しないとされる未知の空間において、我々の命の保証などありもしない。それはいわば、漆黒の彼方への片道切符だった。

 私は部屋を見渡した。使い古した絨毯も、こぢんまりとしたチェストも、窓に映る景色も、少なくとも私の生きる現代ではないことを物語っている。そう、歴史の授業で見た十九世紀のスライドによく似ている。私は夢を見ているのか、それとも……。

「おはよう」

 突然の人の声に私はひどく驚いた。その声の主は、コーヒーとサンドイッチを載せたトレーを持って部屋の入口に立っていた。

「隣、いいかな」

 その人物はベッド脇の椅子に腰掛けた。

「君、名前は?」

「……アキラ」

「アキラか。いい名前だ。僕はルカ。この下のカフェのマスターをしている」

 ルカ、と名乗るその人物は、丸い大きな眼鏡を掛けていた。陶器のような白い肌に青い瞳が輝き、すっと通った鼻筋が凛とした雰囲気を漂わせている。銀色の髪はゆるくカールしていて、後ろでひとまとめにしている。シャツからちらりと見える腕は細く、華奢な身体つきを思わせた。

「君はゴシキ湖の浅瀬で気を失って倒れていたんだ。私の娘が見つけてね。それでここに運んだんだ」

 私は湖に打ち上げられていたらしい。だめだ……。船に乗ってから後のことは何も思い出せない。

「その湖に、私のほかに誰かいなかっただろうか」

「いいや。君だけだったよ」

 私は絶句した。皆、散り散りになってしまったのかもしれない。

「それで君、どこから来たの? 家族は?」

 何を話すべきか逡巡していると、彼は何かを察したのか「きっとまだ混乱しているんだね。無理しなくていい。とにかくさ、落ち着いたら下に降りてきて。僕の自慢の娘と店を紹介するからさ」と大袈裟なほど明るく言った。

 彼が部屋を去ると、私はコーヒーでサンドイッチを流し込み、手早く身支度を整えた。サイドテーブルには見慣れた腕時計が置いてあった。よかった……。私は、命よりも大切なその腕時計に軽くキスをして、左腕に嵌めた。

 一階に降りると、ルカはテーブルの拭き掃除をしていた。私に気付いたルカは、作業の手を止めて私に駆け寄った。

「もう大丈夫なのかい?」

「ああ。コーヒー、ありがとう」

「いいって。じゃあ紹介するね。まず、ここが僕の城、カフェ・ミルキーウェイだ。それから、あそこに座っているのが僕の娘、シャキーラ。皆シェイキーって呼ぶんだ。シェイキー、おいで。お客さんだよ」

 シェイキーと呼ばれたその女の子は、ぴょんと椅子から飛び降りると、パタパタと音を立てながらこちらに走ってきて、ルカの横で立ち止まった。柔らかそうな黒い髪は肩にかかるくらいの長さで、前髪は眉の上で真っ直ぐに切り揃えられている。小さな顔にある大きな目は、子供ながら意志の強さを感じさせる。私の視線を感じてか、シェイキーはしげしげと私を見上げている。

「君は今いくつかな? この人に教えてあげて」

 ルカに歳を聞かれたシェイキーは、指で三を示した。

「そうだね。三歳だね。でも明日には四歳になるんだよね?」

 こくこくと頷くシェイキーは嬉しそうだった。明日はこの子のバースデーパーティーが開かれるのだろう。

「この人はアキラ。しばらくお家にいるから仲良くしてね」

 シェイキーはルカの足元に隠れてしまった。どうやら嫌われてしまったようだ。

「ごめんね。この子、人見知りなんだ」

 ルカが申し訳なさそうに頭を掻いていると、突然、バン、とドアが開く音がして、店内に野太い声が響いた。

「ルカ! いるかい!」

「ネイサン! いきなりどうしたんだい?」

「アンドレアが産気づいたんだってよ! すぐ出られるか?」

「え? 予定日よりだいぶ早いな。分かった、すぐ行くよ」

「馬車で来たから乗っていきな。俺は外で待ってる」

 ルカはくるりと私を振り返った。

「アキラ、僕たち今からお産の介助に行かなきゃならない。悪いけど留守を頼むね」

「あなたはドクターなのか?」

「いや、僕は医者じゃない。この村には医者がいなくてね。多少知識のある僕が医者のまね事をしているだけ。それでも割と重宝されてるんだ。ほら、シェイキー行くよ! アキラ、外に出たかったら馬を使うといい。じゃあ、頼んだよ!」

 ルカは早口でそう言うと、瞬く間に準備をしてシェイキーと馬車に飛び乗った。

 がらんとした店内に一人残された私は、自分のなすべきことを考えた。まずは情報収集だ。本棚を漁ると、本と本の間に折り畳まれた、この村のものらしい地図を見つけた。地図には大きな円が描かれていて、その円の中にはおたまじゃくしのような形をした湖と平地が、互い違いになってすっぽりと収まっている。見たことのない、とても奇妙な地形だった。

 ほかの仲間も、私と同じように湖に打ち上げられているに違いない。仲間を探さなくては……。私は急いで馬を連れ出し、地図を片手に湖の周辺を駆け巡った。しかし、どこまでも鮮やかな群青が広がるばかりで何も見つからない。

 湖畔で馬を休ませていると、一人の老人に声を掛けられた。

「見ない顔だね。旅行かい?」

「いや……」

「ああ、あんた、今朝湖に打ち上げられていたっていう、べっぴんさんじゃないかい?」

 もう噂になっているらしい。ベッピンサン、というのが何か分からないが、とりあえず頷いた。

「日が落ちる前に帰らないといけないよ。夜になると反対人間に喰われちまうからね」

「反対人間?」

「ああ。姿形は自分とそっくり、夜の闇の中に現れる怪物さ。気を付けな」

 老人はそう言うと、笑いながら去っていった。

 もう日が暮れかけていた。反対人間のことはさておき、灯りのないこの村では暗くなれば捜索はできない。私は何の戦果もないことに落胆しながら、来た道を引き返した。

 店に戻ると、ルカが夕食を振舞ってくれた。食事を終え後片付けを申し出ると、ルカは「いいって。アキラはお客さんなんだから、ソファでゆっくりしてて」と固辞した。私は言われるがまま、ソファに腰掛けた。明日はどこを捜索しようか……などと考えていると、次第に意識が遠のいていった。

 翌朝目が覚めると、ルカは昨日と同じトレーを持って、昨日と同じように部屋の入り口に立っていた。

「おはよう。隣、いいかな」

 ルカの態度はぎこちない。私は怪訝に思いながら頷いた。

「君、名前は?」

 私は耳を疑った。彼は記憶を失っているのか? 混乱しつつも、とりあえず質問に答える。

「……アキラ」

「アキラか。いい名前だ。僕はルカ。この下のカフェのマスターをしている」

 彼の口調は、昨日のそれと全く同じだった。その後もひとしきり、昨日と同じ会話が繰り広げられた。シェイキーの話題になったとき、私はすかさず聞いた。

「シェイキーは今いくつだ」

「三歳だよ。明日には四歳になるけどね」

 私は絶句した。間違いない、ループしている! この空間は、明らかに我々の生きる地球とは異なる物理法則が働いている。時間的閉曲線——未来が過去に戻ってくる状態——は、理論上、ブラックホールで生じ得るとされる。やはり、私はたどり着いていたのだ、あの漆黒の球体に。

 それから私は、ルカにできるだけ昨日と同じ反応を返して、その場をやり過ごした。ルカとシェイキーが出産介助に出掛けると、私は本棚から乱暴に地図を引っ張り出して机に広げた。

 仲間は見つからないだろう。彼らは事象の地平線を越えられなかったのだ。散っていった仲間のためにも、務めを果たさなければならない。私は左手の腕時計を右手で強く握りしめて地図を睨んだ。

 装置は、磁場が極めて弱い場所——磁気異常帯で起動させる必要がある。一刻も早くそのエリアを探し当てなければならない。私は来る日も来る日も村中を駆けずり回り、あらゆる地点の磁場を測定した。しかし、一向に磁場の「むら」は検出できない。私は徒に過ぎていく時に焦りを感じ始めていた。

 そんな最中のある日のことだった。探索を切り上げ店に戻ろうとしたとき、ゴシキ湖に反射する茜色の光があまりに美しくて、馬を止めてその様にしばらく魅入っていた。ふと腕時計に目をやると、見たこともない数値を指している。私は驚きのあまり、「あっ!」と声を漏らした。ついに磁気異常帯の「しっぽ」を掴んだのだ! ようやく一筋の光が見えた気がした。

「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である……」

 私は二十世紀を代表する、偉大な宇宙飛行士の名言を独りごちた。 

 その日、いつもよりも遅く戻った私を、ルカはいつものように迎え入れ、いつものように三人で食卓を囲んだ。そしていつものように片付けを申し出たときだった。

「ちょっとアキラ、どうしたんだいその腕!」

 腕まくりをした左腕を見ると、生傷があった。探索中に怪我をしたようだ。ルカは私の腕を掴んでソファに座らせると、慣れた手つきで手当てをした。ルカは救急箱を閉じながら「君さ、もしかして誰かに追われてるの?」と、心配そうに聞いた。私は予想外の質問に驚き、思わず吹き出してしまった。

「ルカは私を逃亡犯だと?」

 ルカはバツが悪そうに頷いた。

「どこかの国の脱走兵かな、って。自分のことを話したがらないし、訳ありに違いないって思ったんだよ」

「今朝は記憶が混乱していただけだ。すまなかった」

 私が素直に謝ると、ルカは慌てて「いいんだ」と両手を振った。

「じゃあ君のことを教えてよ。家族は? 君のこと心配してるんじゃないかな」

「家族はいない。昔、大きな事故があって……。みんな死んでしまった」

 ルカは、一瞬はっとした表情を浮かべ、「すまない……」と申し訳なさそうに言った。私は、いいんだ、というふうに首を振った。

「僕で力になれることがあったら言ってほしい」

 ルカはコホンと小さな咳をして続けた。

「今日会ったばかりの君にこんなこと言うの変だと思うんだけどさ……。アキラのこと、他人とは思えないんだ」

 切なげに笑うルカはとても自然で、そして美しかった。私はまるで精巧なジオラマを眺めている気分だった。

 私はこの世界について、ある仮説を立てていた。全てはプログラムなのではないか、と。

 ブラックホールに飲み込まれた物質は消えてしまうが、情報は失われず蓄積されると考えられている。このブラックホールは、飲み込んだ時空の情報から数百年前の一日を選び出して、繰り返し実行するプログラムだ。風景も人間も何もかも、この村を構成する全ての物体に初期値が与えられ、実行とデバッグをひたすら繰り返している。私というファズ——予測できない異常なデータ——を取り込んでも、村を円滑に機能させる精緻なプログラム。私は、これから自らの手で破壊しようとしているそのプログラムに、惹かれ始めていた。

 翌日もいつもどおりの一日が始まった。そしていつもと同じ時間に店の扉が開いた。しかしいつもの勢いはない。村人は二言三言ルカに何かを話して帰っていった。ルカは閉じたドアの前に呆然と佇んでいる。様子がおかしい。ルカのもとに駆け寄ると、眼鏡の奥の瞳に大粒の涙を湛えていた。

「アンドレアが、死んだ……」

 私は驚愕した。これまで何十回と同じシーンを繰り返してきたが、こんな展開は初めてだった。この世界にバグが発生しているのかもしれない。不気味な胸騒ぎを抑えながら、私は崩れ落ちそうになるルカを支えた。

「約束したんだ。彼女の子供は僕が取り上げるって……」

「そうか……それは残念だ。本当に」

 私はルカを抱き寄せ、子供をあやすように背中をさすり、落ち着くのを待った。

 

「シェイキーの母親——僕のパートナーもね、あまり身体が丈夫じゃなかったんだ」

 落ち着きを取り戻したルカは、自分の淹れたコーヒーを啜りながら、訥々と語り始めた。大きな青い瞳は窓の外の景色を映している。

「シェイキーを産んで数日で亡くなった。子供を産むっていうのは、命懸けなんだ」

 こういうとき、どんな言葉をかけたらいいか分からない。私はあえて率直な質問をぶつけた。

「そんなに危険なのに……自分が死ぬかも知れないのに、どうして子供を産むんだろうか」

 私の返事が思いがけないものだったのか、ルカはちらりと横目で私を一瞥した。その目はとても切なげで憂いを帯びていた。

「アキラは難しいことを聞くね」

 視線を窓に戻すと、少し間を置いて、そしてよく通る声で言った。

「命をつなぐ——そうプログラムされているからさ。このプログラムがあらゆる次元、レベルで機能してきたから世界は続いてきたし、これからも続いていく。これは、抗いようのない宇宙の理なんだ」

 ルカの返事は、神がどうとか愛がどうとか、この時代の人間が言いそうなこととは真逆の、科学的で哲学的な返事だった。

「味気なかったかな」

「いや、むしろ……とてもロマンティックだ」

 ルカはくすっと笑った。私はその笑顔を見て、胸騒ぎの正体を悟った。私の仮説は間違っているのかもしれない。この世界がプログラムなどではなかったとしたら? 今私の目の前で泣き、笑い、誰かを愛し、悼んでいるこの人が、私と同じ生身の人間だとしたら?

 私は人殺しをしなくてはならないのか——。項垂れる私を見て、ルカは優しく声を掛ける。

「お悩みかい?」

 全てを見透かされたような気がした。それと同時に、何もかも打ち明けてしまいたい衝動に駆られた。どうせ今日もリセットされるのだ。半ば投げやりな気持ちで話し始めた。

「その……ある友人のことでアドバイスがほしい。すごく突飛な話をするけど、驚かないで聞いてほしい」

 ルカは目を瞬いて、こくりと頷いた。

 私は、あくまで友人の話として、この世界と私のこと、私が果たすべき使命、そして今直面しているジレンマについて、できるだけ正確に、かつシンプルに話した。ルカは茶化すこともなく真剣な表情で私の話に聴き入っていた。

 私が一通り話し終えると、ルカは腕を組んで何やら考え込んでしまった。しばらくして、ルカはカップをそっと持ち上げ、一口コーヒーを含んだ。こく、と小さな嚥下音を立て、静かに話し始めた。

「兵士はその世界を愛してしまったんだね」

 彼はカップをテーブルに置き、私に視線を戻した。

「僕は与えられた任務を全うすべきだと思う。その任務はきっと、兵士の生きる世界にとって必要なものなんだ。ほかの世界の価値観で自分たちの正義を歪めちゃいけない。ましてや、情動なんかで揺さぶられるべきじゃない。……だからやりなよ。〝兵士さん〟」

 この人に嘘は通用しないな、と心の中で苦笑した。ルカの言うとおりだ。私がどれだけ逡巡し罪悪感を覚えようとも、地球が危機に瀕していることに変わりはない。私はやはり、私の使命を果たさなければならない。

「……そうだな。それが兵士だ。だが実は少し問題がある。装置を起動させる磁気異常帯……まあとにかく特殊な場所なんだが、それがまだ見つからないんだ」

「特殊な場所、ね……」

 ルカは顎に手を当ててしばらく考え込んだ。すると急に「あっ!」と声を上げて、慌てて地図を引っ張り出して机に広げた。

「この村には言い伝えがあるんだ。反対人間って言ってね」

「夜になるとゴシキ湖から現れるモンスター……」

「なんだ、知ってるの。さてはマクスウェルさんだな」

 私ははっとした。

「反対人間……反物質か! じゃあ、その反対人間を捕まえて対消滅のエネルギーを利用すれば——」

「アキラは本当に素直だな。反対人間なんて実在しないよ。だけど、アキラの言う特殊な場所ってのがこの村にあるとすれば、それはゴシキ湖だと思う」

 ルカは地図に目を落として言った。

「ゴシキ湖は時間や季節によって色が変わる、世界的にも面白い性質を持った湖なんだ。でも、それだけじゃない」

 そう言うと、ルカは湖の南の、ある地点を指さした。

「ここ、この辺りだけ、夜になると光るんだよ。言い伝えでは、ここは始まりと終わりをつなぐ場所とされていてね。反対人間はここから生まれるって言われているんだ。今でこそただの寓話になってしまっているけど、反対人間はもともとは神聖な存在なんだ」

 始まりと、終わりをつなぐ——まさにウロボロスの蛇だ。

 ルカはふっと窓を見た。

「そろそろ日が暮れる……。今から船に乗れば、絶好のタイミングでたどり着ける」

「い、今から?」

 私は急転直下の展開に動揺した。

「ここは同じ一日を繰り返しているんだろう? いつだって同じだよ。ナウオアネバー、さ」

 確かに、最初に磁気異常帯を発見したときも夕暮れ時だった。当たらずとも遠からず、かもしれない。私は「それもそうだな」と頭を掻きながら答えると、ルカは居住まいを正して言った。

「それでだ、アキラ。僕からひとつだけお願いがあるんだ。シェイキーを連れて行ってほしい」

「え…⁈ ルカ、分かっているのか? それがどういう——」

「もちろん危険は分かっているよ。でも、可能性はゼロじゃない。そうだろう?」

 そもそもワームホールを出現させること自体、そう簡単ではない。仮に出現させることができたとしても、ワームホールというのは非常に不安定な代物だ。人が五体満足で通過できる保証はない。シェイキーを連れて行くなど無謀としか思えない。

「シェイキーはね、特別なんだ。きっと必要になる」

 見慣れたはずのその瞳には、見慣れない冷徹な闇が宿っていた。ルカという人間の奥底を垣間見た気がして、一瞬、背筋が薄ら寒くなった。

「分かった。連れて行こう」

 私が折れるとルカは緊張を解いて、満面の笑みで「ありがとう」と礼を言った。

 船着場に着くと、ルカは手際よく船の用意をしてくれた。ルカは不機嫌な顔をしたシェイキーをぎゅっと抱きしめて「大丈夫、また会える」と耳元で囁いた。シェイキーを船に乗せ、出航の準備が整うと、私はルカに最後の挨拶をした。ルカは「幸運を」と言って手を振った。

 風のない湖面を、船は静かに進んでいく。どんどん小さくなっていくルカを、シェイキーはいつまでも眺めている。しばらく進むと、遠くに青白い光が見えた。あれが〝始まりと終わりをつなぐ場所〟か……。その場所に近付くにつれ手の震えが激しくなり、気を抜くとオールを離しそうになる。私の緊張が伝わったのか、シェイキーは不安そうに私を見つめた。

 青白い光の輪から、一メートルほど手前で船を止めた。音のない、光と闇だけの世界。私は腕時計の蓋を開いてスイッチを入れ、光の中に投げ入れた。腕時計は小さな波紋を広げて沈んでいく。波紋が消えた瞬間、湖面に小さな渦が発生し、船が揺れた。いよいよ始まる……! 私の緊張は極限まで高まっていた。しかし、私の期待とは裏腹にその渦は次第に縮まり、そして消えた。湖面は凪に戻った。

 私は言葉を失った。失敗したのだ……。私は地球を救うことができなかった。言いようのない絶望感が私を襲い、そのときシェイキーが何をしているか全く気が付かなかった。

 シェイキーが湖面を覗き込んだときだった。船はバランスを崩して転覆し、シェイキーと私は湖に投げ出された。いけない……! この子だけは助けなくては‼ 私は無我夢中で沈んでいくシェイキーの腕を掴んだ。その瞬間、とてつもない衝撃とともに奇妙な形をしたトンネルが現れた。私たちは何かに導かれるようにそのトンネルをゆっくりと下降していく。トンネルを進むにつれ、シェイキーを抱いた私の身体が少しずつ光の粒に変わっていった。それと同時にトンネルの形が歪み、閉じ始めた。人間二人が通り抜けられる穴ではない。でもシェイキー一人なら……。私はシェイキーを突き放し、大声で叫んだ。

「シェイキー、行け‼」

 シェイキーは一瞬宙に浮き、次の瞬間、物凄い速度で向こう側へ引き寄せられていく。

「アキラー‼」

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔がどんどん小さくなり、そして消えた。


「命をつなぐ——そうプログラムされているからさ。このプログラムがあらゆる次元、レベルで機能してきたから世界は続いてきたし、これからも続いていく。これは、抗いようのない宇宙の理なんだ」

 ルカの言葉がこだまする。今なら分かる気がする。ルカ、私はちゃんと命をつなげただろうか……。

 

「こちらチャーリー、目標、キタカミ研究所消失」

「ブラボー、ブラックホール出現を確認」

 ジジ、とノイズの入った抑揚のない声が、無機質な空間に響き渡る。映画館のスクリーンのような超大型ディスプレイに、焼け野原と巨大な黒球が映し出されている。

 ディスプレイの前では、スーツを着た大男と白衣の細身の男が和やかに談笑している。

「それにしても、あなたは悪魔のような人間だな。自分の実験に娘を利用するなんて」

 大男が嫌味ったらしく言った。

「なんだよ急に。人をマッドサイエンティスト呼ばわりしてさ。モデルを構築したら、テストを重ねて高度化する。それが僕ら科学者の流儀だろう?」

 白衣の男は丸い大きな眼鏡を外して、小さな布切れで拭きながら答えた。

「僕は宇宙の理を追求しているんだ」

 白衣の男は眼鏡をかけ直した。その眼鏡の奥には、冷徹な闇を宿している。大男が肩をすくめると、新たな情報がもたらされた。

「こちらエコー、アルファを確認」

 画面に、うつ伏せに倒れている子供が映し出された。 

「ブラボー、ブラックホール変化なし」

 その報告を聞くと、白衣の男は頭を掻きむしりながら「うーん、やっぱり対消滅により生成されるエネルギー量は不安定だな……。次は情動のパラメータをもう少しあげてみるかな」と、テストでケアレスミスをした学生のような口振りで言った。

「次って、また三十年後か?」

「どうかな。それはあの子次第だよ。さ、おしゃべりはこのくらいにして、迎えに行こうか。Shakira(シャキーラ)……いや、Akira(アキラ)をね。十一回目の四歳の誕生日を祝わなくちゃ」

「今度はあの気味の悪い緑色のカップケーキはなしだぞ、ルカ」

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