雨宿り

 ぽつり、ぽつり。今日もまた、雨がひっきりなしに降っている。僕はずぶ濡れになった身体を鬱陶しく思いつつ、とあるバス停で雨宿りをする事にした。

 ――ん?

 そこには僕以外にも一人の女の子がいた。艶のある黒く長い髪と同色のセーラー服、そして赤いリボンが似合う、どこぞのテンプレートよろしく、その制服を身に纏った女の子はとても清楚なイメージで、僕は何となく興味をそそられた。とは言えそれは無論言葉の綾で、決して性的な意味などではない。単なる友人欲しさの好奇心である。僕はその子に思い切って声をかけてみる事にした。

「おはようございます。今日もすごい雨ですね?」

 そう声をかけた僕に気づいたらしく、その子はゆっくりと顔を上げた。彼女は蒼白の顔と虚ろな双眸でこちらを見つめつつ、「そうですね」と返答してくれた。

 ――元気ないみたいだけど、でもそれは抜きにして、けっこう、いや、かなり美人

だな。

 というのはさて置き、僕は本題であるこの天気の事について考えてみる事にした。 

 天気予報によれば、この雨は酷ければ今日の夕方頃まで続くらしく、今現在の時刻は午前八時半少し過ぎ。それから数えると、酷ければもう八時間以上もここにいなければならない計算になる。僕は今日は財布こそ持っているものの、適当に済ませればいいやという軽い気持ちでいた為、それ以外何も持ってきていないのだ。

「それにしても、ほんとうに酷い雨ですね?」

 そんなふうに、またその子に声をかけてみた。するとその子は、「そうかし

ら?」と言って小首を傾げた。

「私はそうは思いませんよ? だって――」

 彼女の口が何か言葉を紡いだ。けれどその言葉は聴き取れず、僕は、「今何て?」と訊ねてみた。彼女は、しかし質問には応えず、代わりに微笑を浮かべた。

「それにしても、何だか落ち着きますね?」

 彼女はおっとりとした口調でそう言った。やはりどこかのお嬢様学校にでも通って

いるのだろう。そんなふうに思いつつ、今更ながら僕もそこにあったベンチに腰を落ち着かせることにした。

「隣、失礼します」

 一言断り、そこに腰を落ち着かせ、いつも持ち歩いているタオルハンカチで頭を

拭いた。

 ――けっこう濡れちゃったな。

 内心で「あぁあ」と思いつつ、まぁいいやと気持ちを入れ替える事にした。

「ところで、そちらさんはどちらの学校に通われているんですか?」

「学校、ですか。そうですね……」

 彼女は曖昧に微笑み、お茶を濁した。

「そういえば、そろそろバスの時刻ですね?」

 彼女は右方向に視線を向けた。やや山道にあるこのバス停は向こう正面は、本来であれば見栄えがいいであろうもので、うっすらとだが水平線が窺えた。幸いそこまで曇ってはいなかったからである。

 ――自分で言っておきながら、よくよく考えてみると何だか不思議な天気だよな?

「ところで」

 少女が僕に声をかけてきた。先程のように前髪で表情は見えないが、機嫌はそれなりによさそうだった。

「何ですか?」

「例えば、あなたがもし、誰かのお願いを一つだけ訊く事になったとしたら、快く

それを受け入れる事が出来ますか?」

 意味深なその発言は、僕には何の事だかさっぱり解らなかった。

「失礼ですが、それはどういう意味ですか?」

「それはですね?」

 その時、少女はゆっくりと立ち上がった。そして僕に右手を差し出し、こう言った。

「私と一緒に、来てください」

 その声は耳にではなく脳に伝わってきているような、そんな感覚だった。透き通るようなその声は、しかし僕の頭を砕いてしまいそうな重みのあるもので、何かとても拙い事になりそうな、そんな予感がした。

「それは、それでこそどういう意味なんですか? 一緒にって、一体どこに行くっていうんですか? 今はこんな大雨で――」

 それ以上の言葉は、もう出てこなかった。理由は簡単だった。

 ――マジかよ。

 先程まであれ程大降りだった雨が、しかし今では嘘のように止んでいた。僕は驚きの余り一瞬だけ少女の事を忘れていた。そしてハッと我に返った時、僕の手には、

が握られていた。

 ――これは、

 それは赤いリボンで、先程あの少女が身に着けていたものと同じものだった。だが何か違和感があり、それはねっとりとした何かが手に付着したかのような、そんな感覚だった。僕はゆっくりと、その手を開いた。

「……っ」

 にちゃり。そんな嫌な音を立てて開かれた僕の手に付着していたのは、紛れもない

赤い血液だった。それが誰のものなのかは……言うまでもない、ような気がした。

 ――一緒に来てくださいって、まさか、

 僕の足は自然にそのバス停の向こう側、ガードレールの更に向こう、崖の底へと向かっていた。

 ――まさか一緒に死ねって、そう言いたいのか?

 そんなふうに、今になって恐怖心が込み上がってきた。

 そして僕はそこに視線を向け、

 絶句した。

「やっぱり」

 崖の底、岩と岩との間に、一人の死体が横たわっていた。それは瞼を閉じ、頭から

出血した姿のまま、少女らしい綺麗な姿勢で空を仰いでいた。

「もしかして、キミが言っていたわたしと一緒に来てくださいって言うのは、「私に気づいてください」っていう意味だったの?」

 だとしたら、僕はキミを救ったことになるのだろうか? 内心でそう思いつつ、僕は今のうちにと思い、急いでその場をあとにし、警察へ向かった。


「――要するに、第一発見者はキミ自身だ。と?」

 お巡りさんは僕の話を聞きつつメモを取りつつ、そう訊ねてきた。しかし、そのお巡りさんは、「そういえば」と言って、ちらりと僕の手に視線を向けた。

「ある女性からの通報で、一人の男がとあるガードレール沿いから少女を転落させていたのを目撃した。という話を聞いているんだが……まさかそれをおこなったのはキミかい?」

「え」

 まさか。そう思い、僕は先程から握り締めていたの存在に気づく。

「これは、その……」

「どうやら図星みたいだね? まさか犯人が自らここに出向くとは、自主とも呼べないよ」

「……はい」

 もう、諦めるしかなかった。

 ――私と一緒に来てください。

 ――わたしといっしょにきてください。

 ――ワタシトイッショニキテクダサイ。

「……ああ、なるほど」


渡死(と)遺志一緒(よ)に、来てください。


 ――要するに、一緒に死んでくれ。って言いたかったのか。

「とりあえず、今はゆっくり独房で休んでくれ。一応キミの事も考慮して、新しいタオルと布団くらいは出してあげるから」

 連れていけ。そう言われ、僕は肩を支えられたままそこへ向かい、その場所へと着いてから、一つだけお願い事をした。

「ご遺族の方に、これを渡してください」

 そう言って、僕はそのリボンを手渡した。その人は、「解った」とだけ言って、「反省はしているね?」と訊ねてきた。僕は「はい」とだけ言って、大人しく独房内に設けられた椅子に腰を下ろした。

 ――本当は僕じゃないんだけどな。

 内心では不本意極まりなかったけれど、でも、他の人は僕がやったという場面を目撃したらしく、尚且つ仮にそんな事をした僕に対して、この人達は、確かに決して優しい訳ではないが、頭ごなしに怒鳴り散らすことなく、こうして接してくれている。

「それじゃあ、僕はもう行くから、ちゃんと反省するんだよ? キミはまだ若いから、やり直しはいくらでも出来る。いいね?」

 昼食時にまた来るよ。最後にそう言い残して、その人は独房を後にした。

 ――独房っていっても、思っていたのと何か違うな。

 僕がイメージしていたのはもっと薄暗く、とても硬い場所だったが、ここはコンクリート造りには変わりないが、しかしどちらかと言えばまだマシな普通の個室という

表現が出来そうなものだった。

 ――それなりに室温も調整されてるしね?

「それにしても」

 どうして僕はこんなに落ち着いているのだろう? そんな疑問が先程から頭の中で

グルグルと渦巻いている。

「ん?」

 ぽたり。唐突に天井から一粒の雫が垂れてきた。

 ――雨漏り?

 はじめはそう思った。しかし、

 ――違う。これは雨漏りなんかじゃない。これは、

「血だ」

 ぽたり、ぽたり、ぽたり。

 ぽたり、ぽたり、ぽたり。

 ぽたぽたぽたぽたぽた。

「……やめろ……」

「やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


「っ!」

 勢いよく飛び起きた僕がいた場所、そこは病院の一室だった。そしてそこにはお医者さんと幾人かの看護師さんがいた。その人達の話によると、どうやら僕はあるバス亭で唐突に貧血を起こして倒れたらしく、そこを通りかかった一人の女子高生がこの

病院に電話をかけてくれたらしい。

「……?」

 女子高生。

「あの、その女子高生というのは?」

「ああ、その子なら、そこにいますよ?」

 そう言って先生は病室の隅のほうへと身体を向け、そのほうへと右手を示した。示した先を目で追って、僕は息を詰まらせた。

「もう大丈夫みたいですね?」

 そこにいたのは、先程僕の夢の中に現れた、あの女の子だった。

 ――まさか、そんな……、

 少女はうっすらと微笑み、声には出さずにこう言った。


「一緒に、来て」


 一緒に来て。その意味が解るまでに要した時間は、さほどかからなかった。

 翌日、僕は無事に退院し、自宅に戻った。その時、ふと頭の中にある事が浮かんだ。

 ――また、あの場所に行ってみようかな?

 僕の足が自然に玄関へと向かっていた。

 ――そういえば、今日も雨か。


 道中の花屋で買った花束を、あの時僕が立ち寄ったバス停にお供えした。手を合わせ、瞼を閉じる。その時、ゾワリという感覚が僕を襲った。それはいわゆる金縛りのようなものに近く、身体が動かない。それに何より、何故だか背中が重い。まるで何かがのし掛かっているみたいだった。口が開かず、姿勢を戻す事も出来ない。

 ――これって、かなり拙いんじゃ……?

「来てくれたんですね?」

 僕の背後からそんな声が聞こえてきた。

 ――キミは、あの時の。

 頭の中でそう訊ねてみる。それに対して少女は、「うれしいです」と応えた。

「私の弔いをしてくれたのは、あなただけでした。だから――」


「――これからも、ずっと一緒にいて下さい。ずっと、ずっと……」

 ゆっくりと首が圧迫されていく。そして、徐々に捻じれていくのが解った。でも、何故だろう? 一切の痛みが感じられなかった。

 ――どうして?

 ――どうして殺すなら殺すで、こんな曖昧なやり方を?

 念じるように、頭の中で彼女に訊ねてみた。

「……ぼ……くの……こ、と……」

 ベキリ、ベキリ、ベキベキベキ。

 永遠にも感じるその一瞬、最期の最期に届いたその子の声、それは悲痛で、それでいて、しかし僕にとっては優しいとすら思えてしまう、そんな言葉だった。


「来世では、普通のお友達になってください。あなたの命を奪って、本当にごめんなさい。あなたの事が大好きです、愛しています。ずっと、ずっと……」


最期にその場に残されていたのは、両腕を枕の代わりにしてその場で眠るように絶命

した、穏やかな表情を浮かべた一人の少年だった……。

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怪談―どこか優しい、儚げな恐怖― 三点提督 @325130

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