終章2

 夕食後、執務室の扉を叩くと、アレキサンダーとロバートがいた。

「どうぞ」


 ロバートに勧められるままに椅子に腰かけた。

「あなたにお渡ししたい物があったのです。保管庫にあるより、あなたが持っている方がよいと思いました」

アレキサンダーが頷いたことを確認したロバートが、卓の上に掛けられていた布を取り除いた。


 ティモシーは驚いた。


 ジェニファーと叫びかけ、慌てて口を押さえた。


 肖像画だった。妹ジャネットがジェニファーだったころの肖像だ。セドリックだったティモシーがジェニファーの座る椅子の隣に立っていた。

「保管庫にあるより、あなたが持っている方がよいでしょう」

「どうして」

「貴族には、ほぼ毎年、家族全員の肖像画を提出させています。当時のものが、保管庫にありました。最早、私達には必要のないものです」

「クレアと、君の妹は亡くなったときいている。絵は兄の君が持っていたほうがいい」


 驚きすぎて、言葉が出てこないティモシーの様子に、ロバートとアレキサンダーが顔を見合わせた。

「もしかして、私たちが気づいていないと、思っていましたか」

「はい」

ティモシーの肯定に、アレキサンダーとロバートが苦笑した。

「君の母となったクレアを、子爵家に紹介したのは誰だ」

「子爵様には、あなた方は母子だとだけ説明しました。ただ、先方からお気遣いいただき、毎年あなた方ご家族に関して、ご連絡をいただいていたのです」


 ティモシーの体から力が抜けた。

「では、最初から、ご存じだったのですか」

ティモシーは、父親だった男の、敵を討ちにきたなどと思われないようにと、気を使っていたのに。最初から知られていたとは思わなかった。


「見るか」

子爵からの毎年の報告書と紹介状を渡された。


 子爵の目からみた、ティモシーのことが書かれていた。懐かしい母と妹の様子もつづられていた。


 紹介状もあった。

―王太子様からご紹介を頂いた一家の息子、母と妹を失ったティモシーが、母の仕事先を手配してくれた恩人である王太子様にお仕えしたいと言ってー

あとは、気恥ずかしくなるような、子爵からの褒め言葉が並んでいた。


「あなたが、私達が知っていることを、気付いているのかいないのか、今一つわからなかったものですから。様子を見させていただいたのですが。本当に、気付いていないと思っておられたのですね」

「もう一つ、驚くことをおしえてやろうか」

アレキサンダーが悪戯っぽく笑った。

「ロバートは、あの提案をしたことを覚えていないぞ」

「え」

ティモシーは、もう一度、心底驚いた。


「あの時、適当な理由を考え出した本人が覚えていない。あのあと、ロバートは熱を出して数日寝込んだ。熱が下がったときには、お前達に会ったことを何とか覚えている程度だった」

「正気であれば、あのような、適当な理由など口にしません。無理がある話であることなど、誰が考えてもわかるではありませんか」

ロバートの言う通りだと、ティモシーも思う。成長するにつれ、ティモシーは、自分の顔が、記憶の片隅にある父親のカイラー伯爵に似てきたと自覚している。


「それが、今まで誰も疑っていないようだが」

「覚えていないとはいえ、自分が口にしたことが信じられません。それをいまだに疑うものがいないというのも信じられないのですが。ティモシー、もし、この件で、あなたに何か言うものが居たら、私達に報告してください。事情を知る者は極めて限られます。この件を口にする者など、怪しいと言わざるを得ません」


あなたは裏切らない。そう、ロバートに言われているような気がした。

「はい。あの、僕が裏切るとか思わないのですか」

ロバートがほほ笑んだ。


「裏切るならば、いくらでも機会などあったでしょう。それこそ、あなたが王太子宮に来た頃、私はまだ自由に動くことができませんでした」


 確かに、執務室に現れた頃のロバートは、自由に動くことができなかった。でもそれは、ロバートが、医者ハロルドの制止を振り切って執務室にきたからだ。


「小姓は私達の身の回りの世話もするから、機会などいくらでもあった」

アレキサンダーの言うとおりだ。だが、アレキサンダーは身の回りのことを、ほとんど一人でこなしてしまうため、小姓が世話することは限られる。


「最初、しばらくは様子を見ていたのです。そのうちに、子爵様からのお手紙のとおりだと判断し、あとは特には。普段通りに警戒していた程度です」

ロバートとアレキサンダーの言葉に気が抜けた。


「では、心配していたのは私だけですか」

ティモシーは損をした気分になってきた。

「そこまで気を張っているようには、みえませんでしたが」


 ロバートが首を傾げていた。確かに、ロバートの言うとおりでもあった。

「私も最初だけです。何もおっしゃられないので、気付かれていないと思ったのです。まさか、最初からご存じだったとは思いませんでした」

「あなたが忠誠を誓ってくださるのであれば、親が誰であろうと関係はありません。あと、残念ながらクレアの絵はありません」

「いえ。妹の絵があるだけで、十分です。本当に、ありがとうございます。大切にします」

ティモシーがセドリックだったころ、妹ジャネットが、ジェニファーだったころの貴重な絵だ。


「その頃が懐かしいですか」

ロバートが言うのは、貴族だったころのことだろうか。ティモシーは考えた。

「私の記憶にある限り、私と妹を育てていたのはクレアでした。乳母だと思っていたのです。子爵家で暮らすようになってから、実母だと打ち明けられました。私達は、父が使用人の母に産ませた子供でした。父は、私のことも妹のことも顧みませんでした。伯爵夫人には子供はいなかったそうです。夫人の子として、貴族籍に登録され、伯爵夫人を母と呼んでいました。育ててくれたのはクレアです。確かに、贅沢は出来ませんでした。でも、私と妹は、母を母と呼び、愛されて幸せでした」


 初めてクレアを「お母様」と呼んだ時のことは忘れられない。母は、涙を流して喜んでくれた。

「そうでしたか」

ロバートは穏やかにほほ笑んだ。

「そうなると、全く覚えていないとはいえ、私の提案は全くの出鱈目というわけでもなかったようですね」

「はい。ありがとうございました」

「ティモシー、明日からまた、職務に励んでください」

ティモシーはティモシーなのだ。そう言ってもらえたようでうれしかった。

「はい」

ティモシーは布で丁寧に絵をつつみ、部屋に帰った。たった一枚だけれども、妹の絵だ。


「優しい人だよね」

王太子宮の外では、ロバートは、王太子の鉄仮面と呼ばれている。アレキサンダーが王太子になる以前から、何度も刺客を退け、政敵を排除してきた。その功績がありなら、決して叙爵を受けようとしない。貴族達からは、さすが王家の揺り籠と畏敬の念をむけられ、同時に、家名なしの一族と蔑まれ、いずれをも全く意に介さず、淡々とアレキサンダーの忠臣としてひたすらに主に仕えている。近習の鏡とも言われるほどだ。


 忠義心のみの冷徹な男というのが、ロバートの王太子宮の外での評価だ。


 王太子宮で、ロバートとともに、アルフレッド国王陛下、アレキサンダー王太子殿下、グレース王太子妃殿下に忠誠を誓う者達は知っている。立場上必要だから、そう振る舞っているだけで、本当は優しい人だ。


 ティモシーも知っている。

セドリックだった頃、病室から聞こえてきた声は、生き地獄を味わうことになるのだから、極刑にすべきだと言った。


 二度目に病室に連れて行かれた日、初めて声の主をみた。整った顔立ちには表情がなく、作り物のようだった。優しい乳母のクレアの必死の命乞いを、淡々と切り捨てる様に恐ろしい人だと思った。


 言葉を続けられなくなり吐いて苦しむ彼に、いい気味だ。優しいクレアに意地悪を言った罰だと思った。


 意地悪な人だと思ったのに、セドリックとジェニファーを助けるために、倒れ伏したまま作り話をでっち上げてくれた。アルフレッドに礼を言うクレアを優しい顔で見ていた。直前に、クレアの喉元に剣を突きつけ、命が無いものと思えと脅した人と同じとは思えなかった。無作法に顔に触った幼いジェニファーに怒ることもせず、舌足らずな会話にも応じてくれていた。

 

 アルフレッドがあの無理な作り話を受け入れてくださったのは、母の誓いの後だった。その順序に意味があるのではと、ティモシーが思い至ったのは、何年も後だ。ロバート本人が覚えていないらしいから、確かめようもない。


 そもそも、ロバートが命懸けでアレキサンダーを守ったから、あの異例の助命がされたのだ。


 万が一、父親だった罪人ダニエルの計画通りになり、アレキサンダーが命を落としていたら、助命などあり得なかっただろう。


 なぜか、アレキサンダーは粘り強く助けようとしてくれた。自分を殺そうとした男の子供たちを助けたいという、アレキサンダーの酔狂を、ロバートとアルフレッドは叶えた。そういえば、その理由も聞いていない。


 いつか、理由をきく機会はあるのだろうか。


「普通に笑う人だなんて、知らなかったな」

今、あのときよりも、優しい微笑みを、ロバートはローズに向けている。二人一緒に、声を上げて笑ったりもしている。アレキサンダーは、あれが本来のロバートだと言って、驚く面々に苦笑していた。


 庭師のジェームズは、儂の祈りが神様に届いたと自慢している。

「母さん、ジャネットも。神様に、僕に素敵なお嫁さんをくださいってお願いしてくれないかな」


 絵の中のジャネットが笑ったような気がした。

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