第3話 マシューの矜持

 悪くない。目の前に倒れ伏した男をマシューは見ていた。久しぶりにしては、悪くない成果だ。問題はマシューも倒れていることだ。ジェームズなんぞより先に逝くことが悔しい。あいつめ、俺より後になった以上、絶対に、そう簡単には天の国になんぞいれてやらん。追い返してやる。


 マシューが、自分と同じくかつて影だった庭師のジェームズに、胸の中で毒づいていた時だった。


「マシュー」


 返り血を浴びたロバートに助け起こされた。若いのに、なかなか立派なもんだ。まぁ、長がこれならこの国も安心だろう。

「坊、主」

「マシュー、どうしてあなたが、こんな無茶を。義足でも逃げられたのに」


 マシューの片足は義足だが、歩ける。恰好にさえ拘らなければ走ることもできる。確かに他の調理人に少々遅れるが、逃げられただろう。


 だが、マシューは影だ。今は調理人だが、マシューは、自分が影であったことに誇りをもっている。影には影の意地がある。戦いの場から逃げるなど、まっぴらだった。手元にあった火かき棒で応戦してやった。刺客も、まさか片腕片足の料理人に反撃されると思っていなかっただろう。打ち取ってやった。こちらを素人と思っていた奴は、驚いたことだろう。


 マシュー自身は、残念ながら無傷とはいかなかった。

 

 長に見送られるとは、俺も影として随分出世したもんだ。視界の隅に、つるはしを担いで走ってくるジェームズも見えた。つるはしが塗れて光っている以上、ジェームズもまだまだ現役だ。奴より先に、永遠に引退するのが気に食わないが仕方がない。

「どうだ、俺も、なかなか、やる、だ」


 ロバートの目に涙が浮かんだ。

「マシュー、あなたに来て欲しいなど、言わなければよかった」

それは違う。確かに国王アルフレッド様から直筆の手紙を頂いたが、ここに来ると決めたのはマシュー自身だ。違うといってやりたいが、声が出そうにもない。


「お、さ」 

ようやく声となったマシューの囁きにロバートの表情が変わった。マシューは満足した。そう、それでいいロバート。お前が長だ。成長を見届けてやれないのが残念だが、それはジェームズに任せた。一足先に逝くが、共に戦った先々代様、お美しかった先代様にいい報告ができる。


 マシューの耳元で微かなロバートの声がした。

「我ら共に王国の礎とならん」

懐かしい古代語の一節にマシューは微笑み頷いた。影が影たる所以を伝える口伝の大切な一節だ。若い長からの手向けの言葉を最期に、年老いた影の意識は途絶えた。


「マシューは」

駆け付けたアレキサンダーにロバートは首を振った。

「立派に戦って亡くなりました」

戦ったなど、調理人に捧げる手向けの言葉ではない。だが、マシューは影として戦って死んだのだ。長と呼ばれるまで、マシューが影だったとは知らなかった。影として手向けの言葉を送ったが、マシューに聞こえたのか、ロバートにはわからない。


 右手の木製だった義手の代わりに、血に濡れた剣が光っていた。これがマシューの秘密だった。最期に秘密を教えてくれたマシューが、仕方ねぇなぁと、笑っていそうな気がした。


「マシュー」

アレキサンダーがそっと、見開いたままだったマシューの目を閉じた。

「ありがとう。もうマシューのチキンスープが無いと思うと寂しいよ」

 

 翌朝。使用人が死んだところで、王太子宮の日々は変わらない。食事に口をつけたロバートは首を傾げた。同じ味がする。

アレキサンダーも気付いたらしい。

「マシューの味だ」

マシューはいないのに、マシューのチキンスープの味がした。

 

 アレキサンダーとロバートは厨房に向かった。


 刺客とマシューの血に染まった厨房は、綺麗に清められていた。わかっていたことだが、厨房には、マシューはいなかった。だが、マシュー愛用の大きな鍋は、いつも通り火にかけられていた。


「殿下、どうされました」

突如現れたアレキサンダーに調理長がやってきた。

「マシューのチキンスープの味がした」

「えぇ、マシューに教わった通り、作ってますから。味が一緒で良かった。食べなれた殿下におっしゃっていただけると、我々も嬉しいです」

調理長の言葉に、調理人達が賛同するのが見えた。

「お前達に礼を言う。ありがとう。とても助かる」

「ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします」

礼を言ってアレキサンダーとロバートは頭を下げた。

「あの殿下、そんなですね、もったいない」

調理長の慌てた様子に、厨房全体で笑いが起こった。


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