マシューの回想3 己の足で立つ

 素直についてくるロバートを連れ、マシューは薪割りをすることにした。左手でも薪割りが出来るようにはなったが、若い者の手を借りても罰はあたらない。


「薪割りだ。手伝え」

じっとしていても、何も変わらない。体を動かしたほうがいい。振り返ったマシューは、大切そうに椀を持ったままのロバートが目に入り、笑いだしてしまった。食べ物を粗末にしてはいけないと思ったのだろう。ロバートらしい。


 そういうものは、そういうものなのだ。


 マシューはまた、あの戦場の悪夢を見るだろう。泥だけの猫の夢も見るだろう。義手と義足に苦労した日のことも、義足でようやく走れるようになった日のことも、左手で剣や斧が扱えるようになった日のことも夢に見るのだ。これからは、人形のように炎を見ていたロバートの夢も見るかも知れない。椀をもってついてきたロバートのことを思い出すかも知れない。


 生き残った者は、全てを抱えて生きていかねばならないのだ。そういうものなのだ。マシューは立ち直ったわけではない。右の手足を失った絶望は今も心の中にある。だが、人生には、絶望以外のものがあることを知った。それだけだ。


 ロバートは覚えていないだろう。

「マシュー、マシューの右手は不思議ですね」

大人の背丈の半分程度の幼い頃、厨房に遊びにやってきたロバートは、マシューの右の義手を遠慮なく触った。見た目はただの棒きれだが、中には剣が仕込んである。

「マシューの右手は何が出来るの?カーティスの手とは違います」

カーティスも義手だ。屋敷には戦争で、手や足を含め、体のあちこちを失った者が多く暮らしている。屋敷で育ったロバートにとって、義手や義足は珍しくないのだろう。


「それはなぁ、秘密だ」

「どうして」

「秘密は、誰にも言わないから秘密だ。お前に言ったら秘密じゃなくなる」

「はい」

「だから、言わない」

ロバートは素直に返事をしたが、小さな手はしっかりマシューの右手の義手を撫でまわしていた。


「秘密は、いつ教えてくれるの」

「ロバート、教えたら秘密じゃなくなるから駄目だと言っただろう。秘密は誰にも言わないもんだ。そういうもんだ。あきらめろ。人にはみんな、それぞれ秘密がある。お前もそのうちそういう秘密を持つんだ」


 幼いが、当代の長であるアリアの一人息子だ。いずれ一族を背負って立つ身なのだ。この国最古の最大の秘密を引き継いでいくのだ。

関わっていたマシューですら、断片を知るだけだ。


「秘密はな、誰にも言っちゃいけない。大切な大切なものだ。わかったか。俺の右腕の秘密は俺の秘密だ。内緒だ。お前が何回聞いても言わない。それが秘密だ。わかったか」

「はい。わかりました」

ロバートは笑顔で返事をした。

「でも、ちょっと知りたいです」


 ロバートの手は未練たらしくマシューの右の義手から離れない。

「こら、俺の右腕で遊ぶな」

しつこいロバートの手を、軽く払い除けたとき、マシューは、義手を“俺の右腕”と言った自分に気づいた。


 戦争で失った、切り落とされた腕でなく、義手を俺の右腕といったのだ。失った手足は戻ってこない。だが、義手と義足が“俺の腕”であり“俺の足”であることに気づいたのが、あの日だった。


 マシューは立ち直ったのではない。元に戻ったわけではないからだ。今のマシューなりの立ち方を得たのだ。


 だから、ロバートにも立ち直ってほしい。いや、これから生きていくために、立ち上がってほしい。元に戻る必要はない。立ち上がって、前に進み、己の立ち方を手に入れてほしい。


「やっぱりいいな。一人と二人じゃ全く違う。ロバート、明日も厨房に来てくれ。ちょっと気になる棚がある。修理を手伝え」

「はい」

「あー、腹減った。なんか食うか」

マシューが何気なく口にした言葉に、ロバートの顔から表情が消えた。

「お前はお前で好きにしろ。俺は腹が減ったから食う。どちらにしろ、今日の薪割りはこれでおしまいだ。ついてこい」

「はい」


  無理に食べなくていい。さっきはすこし食べた。少しずつでいい。まだ若い。体を動かせば、それなりに腹も減るだろう。そういうものだ。


 立ち上がって、歩き出せばいい。


 焦らなくていい。少しずつ、立てるようになる。かつて、マシューもそうだった。マシューに、義手と義足が、自分の手足となっていたことに気づかせてくれたのは、幼い頃のロバートだ。


「お前は当面、俺の助手だ。気分転換と思って俺に付き合え」

お互い様だ。俺がお前にとことん付き合ってやる。マシューの真意をロバートが察したのかはわからない。

「はい」


 振り返ったマシューは、空になった椀を、ロバートが雑に片手に持っているのを確かめた。 


 それでいい。少しずつでいい。お前が、立ち上がって歩き出せるまで、俺がお前に付き合ってやる。

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