マシューの回想2 猫は猫、人は人
次の日も、ロバートは護衛に連れられて調理場にやってきた。
「すみません」
ロバートは、昨日と同じ椅子に座ると、俯いたまま顔をあげようとすらしなかった。
「どうにもならないこともある。そういうもんだ」
マシューは、鍋をかき混ぜた。
「俺だって、未だに悪夢で飛び起きる。夢から覚めて、あぁ終わったことだと思い出す。この手と足がこうなったのは、お前が生まれる前に終わった戦争だ。お前が生まれる前だ。それなのに、体はあの頃を覚えている。右手が掴んでいた剣の重さも、右足が踏んでいた地面の
マシューは味見をした。今日も味は悪くない。
「思い出すのは悪いことばかりでもない。お前が、あの猫を抱いてきた日のことも思い出すからな」
マシューは義手で、調理場の隅に陣取る猫を指した。
「あいつめ。餌を恵んでもらおうなど図々しい。真面目に鼠を捕まえれば、食うには困らないはずなのに」
マシューは義足で石の床を叩いた。猫は素知らぬ顔で毛繕いしている。
「いらぬ知恵ばかり身につけやがって。昔は、音に驚いて逃げたというのに。けしからん猫だ」
ロバートの返事はない。
「覚えてないか。お前、雨の日に泥まみれになって、泥だらけの子猫を連れてきたろう。そうだな、そうか随分昔だ。五歳くらいか?雨の日だ。雨に濡れて可哀想だ。大きくなったら鼠を捕まえるだろうから、厨房で飼ってくれといってつれてきたろう。泥だらけだから洗ってやったら、まぁ暴れること暴れること、噛み付くわ、ひっかくわ。この世の終わりみたいな声で鳴くわ。風呂が嫌なら出ていくだろうと思ったが、すっかり居着いちまって、このとおりだ。全く。子猫のときは、少しは可愛げもあったが、今じゃ我が物顔だ」
少し顔を上げたロバートが猫を見ていた。
「あいつめ、何の断わりもなく、俺の寝台に入ってくる。そういうときは、あの猫の夢だ。それも子猫の時の泥だらけだ。冗談じゃねぇ。人様の食い物を掠め取る上に、人の安眠まで妨害するなんぞ、図々しい猫だ」
猫は自分の話題であることをわかっているのか、いないのか、毛繕いの真っ最中だ。猫はそういうものだ。
「味見するか」
まだ途中だが、スープはそれなりに味が出ている。椀に少しスープをよそって差し出した。
「まだ煮込むが、少しは味がある」
ロバートは手を出さずに椀をじっと見ていた。
「ほれ」
マシューが促すと、ロバートは、ようやく手にとった。両手で椀を包むように持ち、じっと見つめるだけだ。
マシューは鍋の番に戻った。
「水に火を入れたら湯だ。そこにいろいろ入っているだけだ。片手片足の俺が一日中張り付いている湯だ。そう悩むな」
灰汁を丁寧に掬っていく。そのほうが、味がいい。他の料理の味も、マシューの仕事で決まるのだ。単純だが手を抜けない。
鍋に水を足し、火に蒔を|焚(く)べて、鍋をかき混ぜる。
「味が、よくわかりません」
「まぁ、そうだ。まだ薄い。おまけに塩もなにも入れてない。味を付けていないからな」
「そうですか」
「そんなもんだ」
このスープはそういうものなのだ。
猫はまっすぐに立てた尻尾を揺らしながら出ていった。猫はそういうものなのだ。
「そろそろか」
マシューは味を確認した。
「今日もまぁまぁいい出来だ」
ロバートの手から、空になった椀を取り上げ、出来上がったばかりのスープを入れた。
「これを作るのが、俺の仕事だ」
ロバートが、ゆっくりと椀のスープを飲んだ。
「さっきとは、少し違います」
「そうだ。煮込んだ。これに具を入れ、塩で味を整え、出来上がりだ」
マシューは、鍋の中の鶏をすくい上げた。適当に裂いて肉をとると、ロバートの椀にいれた。
「まぁ、食ってみろ」
ロバートが素直にその肉を口にした。黙ってゆっくりと噛んでいる。
「味がしねぇだろう」
「はい」
「全部こっちだからな」
マシューは鍋を叩いた。
「しばらく噛んでいると、それなりに少しは味もする。俺は嫌いじゃない」
マシューも裂いた肉を口にした。素っ気ない味で、歯ごたえばかりだ。味付けをしたほうが旨い。だが、面倒だ。それよりも、こうやって、つまみ食いしたほうが旨い。マシューにとって、このつまみ食いは、そういうものなのだ。
「あんまり食うとな、調理長が怒る。これはこれで、食材だ」
ロバートの椀に、少し肉を足してやった。ロバートはまだ行儀よく、最初の一口を噛んでいる。
「出来たぞ」
「おう」
マシューの呼びかけに、他の調理人達が応じた。いつもと同じ光景だ。
今日は、マシューなりの考えがあった。昨日と同じようにして、ロバートを追い詰めたくはなかった。
「ついてこい。別の仕事を手伝ってくれ」
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