マシューの回想1 揺らめく炎

 ロバートの不思議な色の瞳に、揺らめく炎が映っていた。整った顔立ちからは、表情が抜け落ち、人形めいて、魂も抜け落ちたかのように見えた。


 マシューはいつもどおり、鍋の番をしながら、今朝の調理長との会話を思い出していた。

「お前に頼む」

朝一番の調理長の言葉に、マシューは首をひねった。

「俺にどうにか出来るとは思えねぇ」

「まぁな。お前もあれだけ荒れ狂っていたのに、どうにかなったから、いつかどうにかなるだろうとは思っているさ」

調理長の言葉に、マシューは昔の右の手足を失ったばかりの自分を思い出し、渋面になった。


「うるせぇ」

マシューは、好き好んで調理人のマシューになったわけではない。

「このままだと、体が持たない。待っていられない」

調理長はマシューの暴言を無視した。それは、屋敷の者、皆が心配していることだった。ロバートの替えはいないのだ。“王家の揺り籠”本家の存在が、ライティーザ王国で途絶えてしまう。


「だからって、なんで俺だ。ロバートに一番近いのは、アレキサンダー様だろう」

マシューは、なぜ、自分が頼まれるのか、わからなかった。ロバートとアレキサンダーは、主従の関係ではあるが、赤ん坊の頃からの付き合いだ。厨房にも、時々二人でやってきていた。気心の知れた相手の方がいいはずだ。


「あぁ、お前はあの場にいなかったな」

調理長は周囲を見回し、声を潜めた。

「アリア様の葬儀の後に、アレキサンダー様がロバートを詰った。子供の癇癪だ。その翌朝に、あの事件だ。ロバートには相当こたえているはずだ。しばらく二人が離れる時間を作ったほうがいいということになった」

「詰るってどういうこった」

気まずそうに調理長が言った言葉に、マシューはいきどおった。


「いくらなんでも、言っていいことと、悪いことがあるだろう。王子だからって何だ。誰かちゃんと叱ったのか」

「まぁ、落ち着け。ジャックが小さいなりに、いい仕事をした。もういないってのが、残念だ。ロバートを慕っていたからなぁ。ロバートも可愛がっていた」


 調理長が感傷に浸ったのは一瞬だった。


「お前を選んだ理由は二つだ。一つはお前自身が立ち直ったこと。もう一つは、目の前で調理されたものならば、ロバートは食べられるかも知れない」

「一つ目は意味がねぇ。戦場帰りと、あの件は違う。二つ目は意味がわからん」

「一つ目は、なんとなくだ。二つ目は、昨日、ジャックの実家に行かせたが、そこでジャックの母親が作ったものを、ロバートが食べたからだ」


「冗談だろう」

あのロバートが、他人の家で出されたものを食べるなど、ありえない。

「本当だ。だから、今日は食べられるかと思ったが、朝からやっぱり無理だった。となると違いは一つだ。目の前で作ったか、そうでないか。調理場で一日過ごさせる。そうなると、持ち場が決まっているお前が一番良い。以上だ」

「おい、まて」

調理長はマシューの意向も確認せずに、出ていってしまった。


「おい。知らねぇぞ、こら、勝手に決めるんじゃねぇ」

マシューの声に答えるものはいない。

「俺が立ち直っただぁ。お前らが勝手にそう思っているだけじゃねぇか」

マシューの文句を聞いたのは、愛用の大きな鍋だけだった。


 しばらくして護衛につれてこられたロバートは、調理長に言われたとおり、マシューのとなりの椅子に腰掛けた。椅子の上で全く動こうとしない。火の番をしながら、時折見ていたが、瞬きがなければ、人形だと思っただろう。


「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

視線に気づいたらしいロバートの声に、マシューは現実に引き戻された。


 マシューの仕事は、スープを作ることだ。鳥の下処理をして、香草と一緒に水から煮ていく。途中水を足し、火を調節し、灰汁をすくってスープを作る。この良し悪しで、厨房の料理の味が決まる。目立たない地味な仕事だが、マシューはこの仕事が気に入っていた。


 同じことの繰り返しのようで、同じでない。ちょっとした工夫で少しずつ変わる。思う通りになったり、意図せぬ変化がおこったり、それが面白かった。


 マシューは口下手だ。こういうとき、御屋敷で侍従や護衛の仕事をしている奴らのほうが絶対に何か上手いことを言う。

「椅子が一つ増えて、お前が乗っかっているだけだ。別に何も変わらない」


 散々考えて、マシューはひねり出した言葉を口にした。実際、そこにいるだけで、気配がなさすぎて不気味なくらいだった。


 それ以上は言うこともないので、マシューは黙って火に薪をくべていく。もう少し火が強いほうが良い。

「どうした」


 ロバートがこちらを見ていた。

「いえ」

また火に顔を向けたロバートの目は、どこも見ていなかった。


 その日も結局、ロバートは何も口にできなかった。食卓に腰掛けたものの、カトラリーを持とうとした手が震え、取り落してしまった。石の床に金属がぶつかる鋭い音が響いた。


「申し訳ありません、すみません」

 頭を抱え、背を丸め、小さな声でロバートは何度も繰り返し謝った。

「すみません、本当にすみません、すみません」

泣いてるかのようにも見える背中にマシューはなんと言ってやったらよいかわからなかった。すっかり小さくなって見える背中に、掛ける言葉など、マシューは持ち合わせていない。吟遊詩人たちとは違うのだ。


 護衛達が迎えに来た。

「ご迷惑を、おかけしました」

去っていくロバートを見送っていて気づいた。背中は本当に小さくなっていた。痩せたのだ。無理もない。毒で倒れたあの日から、もう何日もろくに食べていないはずだ。

「体が持たない」

調理長の言葉の先にあるものに思い至り、マシューの背筋が凍った。

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