第8話 少年の旅立ち
妻が食事を作る間、少年は手紙を見ていた。最初は遠慮したが、妻が強引にその手に押し付けた。手紙を読みながら、懐かしいことでも思い出しているのか、穏やかな顔をしていた。
「綴りが違う」
突然、厳しい声がした。
「ジャック、何度言ったら」
そういって、少年の声はとまった。そう、ジャックはいないのだ。
手紙を読み進めていった少年の手が止まった。
最後の一通だ。そこに書いてある内容は知っている。Rの母親が亡くなった。お葬式をするから、休暇の予定を後にする。そう書いてあるのだ。そして息子は帰らぬ人となった。
「ジャック、フレディ、ジェフ、アル、ローワン、みんな」
付き添ってきた男が、涙を流す少年の肩に手をおいていた。二人だけのほうがいいだろう。台所にいる妻が、そっとエプロンで涙を拭っていた。
「ほら、できたわ」
妻が作ったのは、なんてことのない田舎料理だ。
「温かい間におあがり」
「ありがとう、ございます」
ここ最近、食事ができていないという少年を気遣い、野菜が柔らかくなるまで炊いてあった。
食前の祈りを捧げ、少年はゆっくりとスープを口にした。
「味はどうかしら?」
「おいしいです」
心配そうに見ていた男の表情が緩んだ。そのあと、少年はゆっくりとはいえ、スープを食べ、お代わりまでした。
「ありがとうございました」
丁寧にお礼をいって少年と男は礼をした。
「あの」
帰ろうと馬に乗った二人に、妻は声をかけた。
「あの、よかったら、来年、またうちに来てくださいな」
「なぜ、お邪魔でしょうに」
「あの子のお墓に来てくれたら、きっとあの子も喜ぶわ」
「まぁ、私たち二人だけになったらつまらんからね。また来てくれ」
少年は困ったように傍らの男を見上げた。
「いいんじゃないか?許可をもらう必要はあるだろうが」
「では、主の許可をいただけましたら、また来年参ります」
少年はそういって去っていった。
礼を言うかのように振り返る二人に手を振り、妻と家に戻った。
「なんで来いといったんだ」
「よくわからないわ。自分でも。ただ、ジャックが言わせたのかもしれないわ。あの子、お母さんを亡くしたばかりなのでしょう」
「あぁ」
「お父さんは?」
「愛人がいて、いないほうがいいくらいだと、あの付き添いの男が言ってたな」
「では、あの子は一人なの」
「まぁ、心配する大人はいるみたいだけどな」
「じゃあ、一人息子を亡くした私たちにとっては、ちょうどいいじゃない。年に一回くらい、息子がいる気分を味わうのも」
妻はそういってほほ笑んだ。
しばらくして屋敷からは、死んだ息子が十六歳になる年まで、給金は支払うという連絡があった。半年に一回、村のものではない男が訪れ、金を置いていった。
翌年、少年は一人でやってきた。
息子の墓を訪れ、妻に贈り物だといって、前掛けを差し出した。
「何がいいかわからなくて、侍女頭に用意してもらったのです。お気に召しますか」
恐る恐る聞いてきた少年に、妻は微笑んでお礼を言った。
年一回やってくる少年は、もとから背が高かったが、会うたびに背が伸びて、すぐに見下ろされるようになってしまった。妻が二人目の子供を身ごもったときは本当に喜んでくれた。
ある年、まだ幼い息子ジェフに肩車しながら、少年はいった。
「来年から、こちらへ来ることは控えさせていただくことになります。申し訳ありません。主の身の回りが、以前より危険になってまいりました。このままお邪魔していては、お二方とご子息にいずれ累が及びかねません。落ち着くまでは、一切の関係を絶たせていただきます」
年一回だけ来る少年は、相変わらず名前は言えないと名乗らなかった。袖の長い衣服を着て隠しているが、あちこちに傷があることも知っている。ジャックの奉公先の屋敷で育てられていた王子が、王太子になるため王都に戻ると村で噂になっていた。
「落ち着いたら、いずれまたと思います。ですが、相当長い間難しいと思われます。お二人には大変お世話になりました。」
息子を下すと、青年になりつつある少年はお辞儀をした。
「あー」
肩車からおろされて不服そうな息子を、少年はもう一度、肩に乗せた。
「残念ですけど、また、落ち着いたらぜひ来てくださいな」
「ありがとうございます」
「いい娘ができたら連れてこい」
「どうでしょうか」
少年はそういって笑うと、去っていった。一切の関係をもたないといった少年は、言葉通り手紙も送ってこなかった。
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