第7話 少年の涙
夫婦の存在など忘れたかのような二人の言い争いに、だんだん事の内容がつかめてきた。
ジャックは予定の休暇に突然帰れないと連絡してきた。兄のように面倒を見てくれている人の母親が亡くなった。葬式に出てから帰るから予定より遅くなると、手紙に書いてあったのだ。最後の手紙だった。ならば彼は母を失い、その後に仲間を失ったのだ。もしかしたら、彼自身も命を落としかけた。
「あなたが、ジャックが、お兄さんの様と言ってた人かしら」
妻が、少年にいった。
「名前は書けないから、と手紙でいつもRという人のことを書いてきていたわ」
見開いた少年の目から涙が零れ落ちた。
「ありがとう。ジャックと仲良くしてくれて」
妻がそういってその胸に少年を抱きしめると、少年が声を上げて泣いた。
男に促されて部屋の外に出た。
「すまないが、何か、食べるものをと所望してもいいか」
男は真剣だった。
「屋敷にお住まいの方に出せるようなものなど」
「なんでもいい。本当に何でもいい。あの子は生き残りだが、ほとんど何も食べられなくなった。毎日水ばかりだ。無理に食べても、吐いてしまう。あれでは身が持たん。本当に何でもいい。食べてくれたらなんでもいい」
「食べられないって」
思わず繰り返しただけだったが、男は質問ととったらしい。
「食事に毒が盛られていた。食べている途中であの子が気づいて、周囲に知らせたが、もう小姓の全員があらかた食べていた。あなたの息子のジャックは、彼の一番近くにいて、彼が何とか吐かせていたが、それでも助からなかった。彼が、ちゃんと吐かせたといって、ジャックの死だけは信じようとしないから、つれてきた。突然押しかけて申し訳ない。申し訳ないが、さっきの山羊の乳が、水以外であの子が口にしたものと言っていいくらいなんだ。頼むから、何か出してくれ、お願いだ。金は払う。なんでもいい」
「息子は苦しんだのか」
「いや、ほぼ、その場で亡くなった。助かった彼だけが苦しんだ。今は、助かったことに苦しんでいる」
「母親の葬式って」
「あぁ、あの子の母親は亡くなったばかりだ」
「父親は」
「愛人と、よろしくやってる。かわいそうに。あんな父親、いないほうがいい」
男は吐き捨てるようにいった。
「頼む。押しかけたのに申し訳ない。ただ、あのままだと飢え死にする」
「ほんとうに大したものはないのと、作るのは俺じゃない」
息子と同じ目にあいながら助かったという少年を、妻がどう思うかわからなかった。
部屋に戻ると、少年は座っていた椅子から立ち上がりお辞儀をした。
「お騒がせして、取り乱しまして、本当に、申し訳ありませんでした」
少年は礼儀正しく謝罪した。
「ご子息のことは、本当に申し訳ありませんでした。一番近くにいたのに、力及ばず、残念なことになってしまわれました。申し訳ありません」
「いいえ。ご一緒の方がおっしゃるように、あなたのせいではないでしょうに。あの子が悲しみますわ。どうか、ご自分を責めるのはやめてください」
隣に座った妻が慰めてやっていた。
息子の手紙には、毎回Rという人のことが書いてあった。先輩で頼りになって、強くて賢くて。一番小さくて、失敗ばかりの自分に、まだ仕えて間がないのだから仕方ないといって、いろいろ教えてくれる。いつかの休みに一緒に家にいこうと誘ってると書いてあった。
「息子はあなたのことが大好きでした。いつも手紙に書いてくれていたのよ。あなたが元気がないなんて知ったらきっと息子は悲しむわ」
「ジャックが」
「そう。せっかくだから、大したものは出せませんけど、少し食べていってくださいな。息子の手紙はとってあるわ。せっかくだから見て行って」
世話焼きな妻は、こちらが何か言う前に、食事を出すことにしたらしい。
「あなた、手紙を取ってきてくださいな」
妻の笑顔は久しぶりのような気がした。
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