第3話 墓場の人影

 夜、屋敷の中にはほとんど明かりが無い。暗い廊下をジャックの白い寝間着を目印について歩いた。後ろから無言で護衛が付き添ってくる。夜中にアレキサンダーが部屋から出ることを、護衛が許すなどありえない。小姓見習いの中でも一番幼いジャックの企みに、護衛も加担していると思うと、アレキサンダーは内心穏やかではなかった。


 月明りの中、屋敷の庭を歩き、その行き先に気づいたアレキサンダーの足取りは重くなった。今日、皆で集まった場所、墓場だ。月の明るい夜とはいえ、近づきたい場所ではない。幼いジャックよりも意気地ないとは思われたくない。不承不承に足を運んでいた時だった。庭に別の護衛がいた。


 立ち止まるようにという合図に、ジャックが止まった。ジャックに促されてその場に腰を降ろした。


 静かにしろと言うように、指を一本口の前で立てて見せてから護衛が墓場を指した。


 黒い何かが、墓石の上に伏していた。


 アレキサンダーは、恐ろしいものを想像し、叫びそうになって気づいた。風にのって微かに人の声が聞こえた。聞きなれたロバートの声だった。


「かあさま」

切れ切れに聞こえてきた声の、ようやく意味を成した一言がアレキサンダーの耳を打った。アリアの墓にロバートが、取り縋っていた。嗚咽が微かに聞こえてきた。

「かあさま、どうして」


 随分と久しく聞いていなかった呼び方だった。アレキサンダーの胸中に、幼い日の思い出がよみがえってきた。


「おまえだけ、かあさまとよぶのはだめだ。おまえも、みんなとおなじ、アリアさまとよべ」

アレキサンダーがロバートに命じたのだ。今の今まで、アレキサンダーは、そんな命令をしたことを忘れていた。ロバートは、命令をずっと守っていたのだ。

 

 死んだアリアに、どんなに呼びかけても、答えてくれることはない。切れ切れの嗚咽をもらしながら、押し殺した声でロバートは、答えることのないアリアに呼びかけていた。


 アレキサンダーは動くことができなかった。護衛に身振りで何度も戻るようにと促され、ジャックと二人で館に戻った。館の中をアレキサンダーは無言で部屋まであるいた。いつの間にか、ジャックと手を繋いでいた。自分より小さな手だが、誰か人がいるというだけで安心感があった。


「ロバートのことは、あの者にお任せください。刃物は取り上げています。ご安心ください。では、お休みくださいませ」

護衛はそういうと、一礼して部屋を出て行った。


 ジャックと二人、自室に残されてから、アレキサンダーは、護衛の言葉の意味に気づいた。


 感情のままに、母を喪ったロバートに、代わりに死ねといったのは、アレキサンダーだ。母の死の責任をとり、自害するようにと命じたのと同じだ。


 まだ成人していないアレキサンダーに、生死にかかわる重要な命令を出すことは許されていない。まだ子供でよかったと思った。


 ロバートを罵ったことを、アレキサンダーは心底後悔した。

「ロバートを責めないでください」

アレキサンダーの沈黙をどう解釈したのか、ジャックが口を開いた。


「アリア様のことは、ロバートのせいではありません。あの時から、ロバートはほとんど何も食べていません。多分、ほとんど休んでもいません。僕らには、大丈夫って言うだけです。今日、僕はずっとロバートの手を握っていました。アリア様の棺を埋めている間、ロバートは手が震えるくらい、強く拳を握っていたんです。ロバートだってつらかったはずです。僕らの前で泣かなかっただけです。だから、ロバートに酷いことを言わないでください」


 ジャックが鼻をすすった。

「僕がもっとしっかりしていたら、アリア様のお葬式の準備のお手伝いとかできたら、ロバートも悲しむ時間があったと思います。でも、僕は何もできなかったから。自分が、情けないです。アリア様にもロバートにも、お世話になっているのに、何もお手伝いできない自分が、情けなくて」


 ジャックの目から涙がこぼれた。

「アレキサンダー様、どうか、ロバートを責めないでください。僕らがもっとしっかりしていたら、よかったんです。お願いします。本当なら、ロバートが一番泣きたかったはずです。だって、一番つらいのは、きっとロバートです。どうか、ロバートに酷いことを言わないでください。お願いします」


 一礼すると、ジャックはすすり泣きながら、部屋を出て行った。


 部屋に一人残され、アレキサンダーは心底後悔した。言ってしまった言葉は戻らない。母を母と呼ぶなと言われ、母の代わりにお前が死ねば良かったと罵られたロバートは、何を思っていたのだろう。護衛達はロバートから刃物を取り上げたと言っていた。何か、あったとしてもおかしくない。


 ローワンが言ったとおり、言ってよいことと、悪いことがある。ローワンの言葉を、もっとちゃんと聞けばよかった。あのとき謝ればよかった。


 どんなに後悔しても、時は戻ってこないのだ。

 

 アレキサンダーの部屋のとなり、ロバートの部屋からは物音ひとつしない。ロバートは、まだ、墓場にいるのだろうか。


 アレキサンダーは重い体を引きずりながら寝台に戻った。朝、アレキサンダーを起こしに来るのはロバートの役目だ。明朝、ロバートになんと言って謝ればよいのだろうか。そもそも、ロバートは、あんなひどいことをいった自分を、起こしにきてくれるのだろうか。


 ロバートは、今夜、ちゃんと眠るのだろうか。

「すまない。すまなかった、ロバート」

聞くもののない謝罪の言葉を、意味がないと知りながらアレキサンダーは口にした。

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