第1話 泣かない少年
深く掘られた穴に棺が安置され、参列者たちにより、土がかけられていった。真新しい土の上に、墓石が置かれる。名前と生年と没年、「多くの者を愛し、愛された女性、ここに眠る」という碑文が刻まれた墓石だ。
ロバートが考えた碑文だった。言葉の通り、アレキサンダーの乳母アリアはこの王領にある屋敷で、多くの者に愛を与え、多くの者から慕われた。多くの者が突然の死に涙した。
アリアの一人息子ロバートだけが、泣かなかった。
アリアのたった一人の息子、喪主であるロバートが墓石の前に膝をつき、その碑文を撫でていた。ロバートの筆跡を真似て刻まれた文字だ。碑文を指でなぞったロバートは、小姓見習いのジャックに促され、参列者たちに礼の口上を述べた。参列者といっても、全員同じ屋敷に暮らすものだ。ロバートの口上を機に葬儀は終わり、三々五々人は散り、日々の務めに戻った。
司祭としてはまだ若い男は、去り際、ロバートを抱きしめ、耳元で何かを言っていた。頷いていたロバートの背を叩き、司祭は去っていった。目に涙を溜めた司祭を、ロバートはいつもと変わらない、穏やかな微笑みで見送った。
「アレックス、戻りましょう。お風邪を召されてはいけません」
アレキサンダーの涙で歪んだ視界には、いつもと変わらぬロバートがいた。黒い喪服に身を包んでいること以外、普段と何ら変わらない。アリアそっくりの口調もそのままだ。
「わかった」
アレキサンダーは、幼子のように泣いていた自分が急に恥ずかしくなった。
死者を悼む晩餐は沈黙が支配していた。何を思い出したのか、すすり泣き始めたジャックの涙を、隣に座るロバートがそっとハンカチで拭いてやっていた。
「ジャック、食事が冷めてしまうよ」
涙一つ流さないロバートの声は、いつもと同じ穏やかなものだった。アレキサンダーにはそれが、我慢ならなかった。
「ロバート、お前は母親が死んだというのに、涙も流さず冷たいやつだ」
アレキサンダーの言葉に、周囲に静寂がおちた。微かに聞こえていた食器の音や、衣擦れの音すらなくなった。
「お前みたいな冷たいやつが、実の息子で、アリアはかわいそうだ」
続けて叫んだアレキサンダーに、ロバートは、アリアそっくりの目を大きく見開いたが、何も言わなかった。
「アリアが死んで、なんでお前が生きている。お前が代わりに死ねばよかったんだ」
微かにロバートの口が何か言おうとするかのように動いた。
「殿下、それはあんまりです」
すすり泣いていたはずのジャックが叫んだ。
「ジャック、いい。大丈夫だ」
ロバートは、小さなかすれた声でそう言っただけだった。
「アレックス、言葉が過ぎます」
小姓のなかでも年かさのローワンが、顔をしかめていた。
「いくらあなたでも、言ってよいことと、悪いことがある」
「ローワン、お気遣いは結構です」
ローワンを止めたのもロバートだった。
「だが、しかし」
「やめてください」
ロバートの鋭い声が飛んだ。
「君がそういうならば」
ローワンはそう言うと、黙って食事に戻った。
「故人を悼む席です。言い争いを、故人は望んではおられないでしょう」
ロバートは、静かにそういうと、茶に口をつけた。
ロバートの隣に座るジャックが、気遣うようにロバートを見上げ、卓上のロバートの手をそっと、両手で包むようにしたのが見えた。
「私は大丈夫だよ。ジャック、心配してくれてありがとう」
ロバートがほほ笑んだのが見えた。
「いい加減にしろ!」
アレキサンダーの怒鳴り声が食堂に響き渡った。立ち上がり、ロバートに詰め寄ろうとしたアレキサンダーを、周囲の大人達が慌てて止めようとした。その手を振りほどこうとした時に、卓の上の料理が目に入った。
しまったと思った。気づくのが遅かった。ロバートの食事は、一切手を付けられていなかった。
何と言ったかは覚えていない。ただ、アレキサンダーはばつが悪くなり、捨て台詞を残して、自室へ戻り、内側から鍵をかけた。
追ってきた護衛の足音は、部屋の前で止まった。
ひどいことを言ってしまった。
アレキサンダーは後悔した。子供っぽい自分が情けなくなった。だが、実母の死でありながら、涙一つ流さなかったのはロバートだ。
冷たいロバートが悪い。
アレキサンダーは無理やり自分を納得させ、眠りについた。
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