9 聖女との邂逅

 クリフォードは女性に跪かれるなど初めての経験に困惑していた。

 最初は、彼女は男装しているのかと思った。

 だが、男性の着る服とは色合いが違う。馬に乗るなど、活動しやすくするための格好だろう。

 ズボンのようなものを履いて膝から下は布を巻き付けて裾を絞っている。

「顔を上げてください」

「はい」

 答えて身を起こした彼女の表情は、凛としていて意思が強そうである。


「是非、我が家へお越しください。さ、この馬に乗られませ」

 言うが早いか、自身が乗ってきた馬を指し示す。馬の背丈の小ささに、可愛らしさを感じる。足は太いので、よく走りそうではあった。


「俺の名前は、クリフォード。あなたの名前を教えてください」

「千佐です」

「千佐様」

「千佐、とお呼びください」

「いや……」

「千佐、です」

 クリフォードは彼女を敬いたいが、それを許さんとばかりに呼び捨てをするよう強く言われる。

 クリフォードは結局、彼女の押しに負けた。

「千佐、俺がこの馬に乗ってしまうと、君は何で移動するんだ」

「私は馬を引いて歩きますゆえ」

「いやいやいや」

 女性に家臣のように馬を引かせるなど、クリフォードの常識ではあり得ない。

「君が乗ってくれないか?」

「嫌です。あなた様は馬に乗ったことがないのですか」

「いや、あるけどね」

「ならば、お早く」

 千佐は本当に気が強かった。譲る気など全くなく、とりつく島もない。

 押しに負けて、馬に乗ったが情けない気分になる。

「こちらは、どうしました?」

 千佐がクリフォードの袖口を指差して聞く。

「ああ、金がないから換金しようとしていて」

「返しなさい」

 クリフォードが言うが早いか、すぐに行商に向き直って要求している。

「もちろん、お返ししますよ」

 千佐の剣幕に苦笑しながら飾りボタンは返された。

「あとで繕います」

「クリフ様……」

 馬を引いて歩き出した千佐のすぐ後ろを、夜十彦がついてくる。

「失礼、こちらの子供は?」

「この子は、昨日森の中で出会ったんだ。助けてくれたから、できれば連れていきたいんだけど」

「かしこまりました」

 夜十彦を抱えて持ち上げる。クリフォードは受けとると、前に乗せてやった。

「うわあ、高い。俺、馬に乗るの初めて!」

「そうか」

 頬を染めて喜ぶ夜十彦の頭を撫でる。



「屋敷へは、そう遠くありませんので」

 遠くないと聞いて、心底ほっとする。集落を抜けて田畑の中をゆっくり歩いていく。

 よく晴れていて、長閑で暖かい。昨日までの魔物との戦いの日々が嘘のように感じられる。


 聖女と出会えば、元の世界に帰れるのではと考えていたが、帰れる気配がない。

 ならば、この地でやるべきことがあると言うことか。昨日出合ったので、この地にも魔物が出ることはわかっている。

 ならば、あれらを倒していかなければならないのだろうか。

 帰れないとなると、元いた世界のことが心配になる。魔物討伐を途中で放り出す形になってしまったことに、苦々しい気持ちになってくる。

 前方から悲鳴が聞こえた。畑の中を疾走する百姓の後ろを巨大な二つ首の烏が追いかけている。

 千佐は気づくが早いか、道端の石を数個拾うとたもとに放り込み、馬に飛び付いた。

「失礼!」

 夜十彦の前に乗ると、手綱を握り、馬を走らせる。魔物との距離を詰めると、石を投げつける。

 魔物は、石の攻撃など意にも介さず百姓を狙い続ける。

「すいません!私、武器を何も持ってきておりません!このまま、屋敷に急いで帰って、武器を取ってきますので、しっかり捕まっててください!」

「はい!」

 夜十彦が返事をして、千佐の腰にしがみつく。

「ちょっと危ないから、少し屈んでくれないか」

 クリフォードは千佐の背をそっと押して、馬の首に体を預けさす。


 指を立て、火魔法を発動させると矢の形に伸ばす。弓のように構えると、化け烏に向かって飛ばす。

 火の矢は、烏の羽を貫き、打ち落とすことに成功する。羽を燃やされ、動く術を無くした化け烏はその場でのたうち回った。

 さて、どうやってとどめを刺すか、と思っていると、鍬を携えて戻ってきた百姓が化け烏の頭に振り下ろした。

「えぇ、強……」

 予想外に果敢に戦う百姓の姿に、思わず呟く。

 とうとう倒しきると、百姓はありがとうと叫びながら手を振ってくる。手を振り返してやりながら、ほっと息をついた。

「まだ、弱い魔物でよかった」

「弱い、ですか……」

 クリフォードの言葉に千佐が反応する。


 屋敷に着くと、下男が迎えてくれた。

忠克ただかつ様がお見えです」

「大叔父上が?」

 告げられた千佐は暫し考えると、クリフォードに向き直る。

「あの、会って話して欲しい人達がいるのです」

「あ、はい」

 美人に真剣な顔で告げられ、クリフォードは条件反射的に頷いてしまったのだった。

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