第3話 私の知らない彼

 事件の翌日、私はデスクで目を覚ました。白いブラインドから光が差し込み、白と黒のストライプがオフィスの床に映っていた。


「そうか……ここで寝ちゃったんだ」


 調査と事件の真犯人の見当がつかないことで、かなり疲労が溜まっていたので、しばらく休んでから帰ろうと思って座っていたら、いつの間にか寝てしまった様だ。

 まだ誰も出勤していないようで、静寂がこの空間を包んでいた。ふらりと立ち上がり洗面所に行って身だしなみを整え、その次に近くのコンビニで軽い朝食を買って食べた。その頃になると、まちまちと人が来だした。


「今日も一番乗りー!」


 午前七時、最初に出勤してきたのは響子ちゃんだ。スキップをしながらご機嫌に扉を開けて、満面の笑みで中に入ってきた。なるほど、いつもこんな感じで出勤してるのか。初めて見た。

 彼女の身なりはキッチリと整っており、その紺色の制服姿はとても様になっていた。そして、相変わらず可愛い。


「残念ながら私が一番乗りよ、響子ちゃん」

「あっ、いたんですね……えっと、おはようございます!」


 先に来ていた私を見て少し驚くと、顔を赤らめながら、慌てて挨拶をしてペコリとお辞儀をした。さっきのを見られて恥ずかしかったのだろう。


「真白さんは今日もあの事件の調査ですか」

「そうなるわね。なんだか……誰が犯人なのかわからないのよね、この事件は」

「金田って人は違うんですよね」

「住人のほとんどがそう思ってるし……私もあいつが人を殺せるとは思えない」


 こんなことを言ってしまうと、身内だから贔屓目に見てるように思えて小っ恥ずかしい。ただ、この事件には、誰一人として動機がないのは事実だ。それがとっかかりになって頭がこんがらがっているのかもしれない。


 気分を紛らわすために書類を整理していたら、八時にはジョージ先輩を除く全員が出勤していた。髪が薄くなってきている課長は、いつもの事だと気にしていなかったが、何もないのもあれなので、九時半に出勤してきた先輩を蹴り倒してやった。


「いきなり何すんだよ!」

「何をぬけぬけと……小学生でも遅刻したらちゃんと謝りますよ」

「いやー……不真面目が俺のアイデンティティだからさ、仕方ねぇよ」


 ふらりと立ち上がり、そんな事を言っている先輩にもう一発蹴りをお見舞いしてやろうとしたが、今はこんな事をしている場合ではないと思い直し、グッと堪えた。


「そういえばお前ら、鑑識から新しい情報が出たらしいぞ。あとほら、お前が昨日知りたがってた情報。ほい、これだよ」


 私たちに、課長が書類を手渡してきた。そこに書かれていたことは、凶器の出所とさらに詳しく検査した結果だった。

 そして、そこに書かれていたことは私達をさらに混乱させた。


「凶器は始の私物!?その上、持ち手から軍手の繊維が少量検出された!?」

「どういうことなの……」


 凶器が始の私物なら指紋がついていて当たり前だし、繊維が検出されたということは手袋をして犯行に及んだということ。

 つまり、何者かが始の包丁を盗み出して犯行に使ったと考えられる。わざわざわ手袋をしているのに、指紋を残すような犯人がいるわけ無い。


 始が犯人である可能性が低くなって少し安心した一方、逆に誰が犯人なのかわからなくなった。誰も動機がない中、始にのみ、唯一犯人であるという証拠があったのだ。

 だが、それの力が弱まった以上、誰それが犯人だと断定できるようなものがなくなってしまった。


「そして木山に借金はなかった、銀行に出入りしていたところも目撃されたことがない、親からも見放されていたから仕送りもなかった……こりゃまた面倒になってきた」

「木山の謎の収入源ねぇ……」


 この事件、やたらと分からないことが多い。犯人の可能性がある者はいるが、決定的な証拠がない。被害者の木山も何故殺されたのか、収入はどうしていたのか分からない。


「とりあえず始に話を聞きにいきましょう。包丁がいつなくなったとか、それで何かわかるかもしれません」

「お、おう」


 流石の能天気な先輩も、今回ばかりは混乱しているようだ。何はともあれ、事件解決のため、急いで始を取調室に呼び出した。

 ヨレヨレのコートは取り上げられて、警察から渡された地味なシャツをきている。そして、何故か最初会った時より身だしなみがキッチリしていた。


「いやー、こんな規則正しい生活したのは久しぶりだよ」

「呑気ね、私たちはそれどころじゃないっていうのに」


 始は再会したときとは対照的ににこやかな表情をしていた。


「豚箱なんて言われてるけど、結構環境いいね」

「はいはい。あんたの生活リズムがどんだけ壊滅的かはどうでも良いのよ。それより、今回の犯行に使われたあんたの包丁について、できるだけのことを話して」

「やぱっりあの包丁、僕のだったんだ。で、結論から言うと、僕の包丁を盗めた可能性があるのは、青子さん、公亮さん、真弓さん、神瀬くん、白梅ちゃんだよ」

「……やたら多いわね」

「事件の前日は忙しくて朝以外は家を空けてたんだ。それで、深夜に帰ってきて起きたら逮捕されてたってこと」

「それでも鍵はかけてるでしょ、なんでそんなに候補が多いのよ」

「だって、今言った全員合鍵持ってるもん」

「バッッッカ!!」


 思わず立ち上がって大声をだしてしまった。いや、それにしても……馬鹿なのかこいつは、本当に!


「いや、だって……みんないい人だし……」

「あんたって奴はホント……そんなホイホイ合鍵作って!もうちょい防犯意識とか持ちなさいよ!だがら今回もこんなことになったんでしょうが!」

「ご……ごめんなさい……」


 始は子犬のように弱々しく謝った。子供じゃないんだからもっとしっかりしてもらいたい。

 しかし、これは痛い。凶器を手に入れられたか手に入れられないかで少しは犯人が絞れると思ったのだが、期待外れだった。そんな事を考えていたら、始は座り直して私にこう言った。


「それより、事件の調査はどれくらい進んだ?」

「多分ほとんどのことはわかってる。でも、決定的な証拠はどこにも無かったし、住人の中で木山を殺す動機を持っていそうな人間もいなかった。……つまり、今は手詰まりなのよ」


 椅子に深く座ってため息をつく。おそらく、このまま行けば始が送検されるが、証拠が不確定であるから起訴されない……もっと言えば証拠不十分ですぐに釈放もあるかもしれない。

 そして、犯人は闇の中、事件は迷宮入りと……正直言って、木山の人格を考えるとこれでもいい気がしてきた。


「真白ちゃん。今、どうでもいいって顔してたよ」

「はは、当たり。あと、真白ちゃんって言わないで。一応取り調べなのよ」

「わかったよ、刑事さん」


 始はニコリと笑って、そう訂正した。にしても、なんでここまで上機嫌なのだろうか。そんなにここの弁当がうまかったのだろうか。


「刑事さん、事件について僕にも教えてくれないかな」

「もう言っちゃうけど、あんたが刑務所に送られることはないと思うわよ。ここまで決定的な証拠がない以上、検察はそうそう起訴することはないからね」

「僕がどうなるとかじゃないんだ。事件の犯人は、絶対に捕まえないといけない」

「なに?ミステリーの探偵気取り?」

「ハハッ、そうかもね」

「……まぁいいわ、一応教えてあげる」


 私の「探偵気取り」と言うセリフに、始は笑って返した。しかし、その表情は笑っていても、今までの子供のようだった彼。もっと言えば、私の知っている彼とは別物のようで、どこか哀愁が漂っているように感じた。


 事件のあらましを伝えると、始は立ち上がって、髪を摘んでチリチリと擦りながら、取調室を右往左往し始めた。これは昔からの癖のようなもので、考え事をするときに彼はこうするのだ。

 それを見ていたら、横からジョージ先輩が話しかけてきた。


「俺たちの方で、状況を少し整理してみないか」

「あぁ、確かにそうですね。新しい情報も含めて色々考えてみましょうか」


 始から目を離して、ジョージ先輩と向き合った。


「まず、犯人候補から外れるやつを考えてみるか」

「それなら、合鍵を持っていない北地さん、鉄壁のアリバイのある神瀬くんと白梅ちゃんあたりですね」

「あぁ、北地さんはアリバイも第三者からの証言があるから信用できる。だとすると、残りは大家の青子さん、吉山公亮と吉山真弓、金田の四人か」

「なら、それぞれが犯人だった場合の犯行の手順を考えてみましょうか」


 頭の中で情報を整理し、容疑者四名の犯行の道筋を数分で考えた。


「まずは始ね。犯行の手段は至ってシンプル、誰もいない瞬間を狙って木山を訪問、その場で刺し殺して家に戻った。凶器についていた指紋と軍手の繊維は捜査の撹乱のためとか、人を殺すということに動揺して、せっかく手袋をはめているのに、最初から指紋がついている包丁を使ってしまったっていう説明は一応できるわ」

「一番あり得るのがそれだな。ただ、住人のほとんどが凶器の入手が可能であったこと、指紋の他に軍手の繊維がついていたことの説明が弱いことが問題か」

「全員共通にあるのが動機がないってことね。後、これは個人的な話だけど、あいつは人を殺せるような人間じゃないし」


 個人的に始が犯人であるという線は切っているが、それはあいつの性格によるところが大きい。「金田始は人殺しをできる人間じゃない」これは、あいつと関わりのある人間の共通認識だ。


「次に吉山公亮と吉山真弓だな。この二人が共犯ならアリバイは意味をなさない。つまり、この二人の共犯だと考えればいくらでも木山を殺す方法はある」

「公亮には動機らしきものもありますしね。ただ、それが動機の場合……なんか違和感ありますよね。子供もできたっていうのに、仕事だって上手くいってるんですよね?」

「あぁ、わざわざ幸せな生活を壊すようなことは誰であれしないだろ。それに、公亮は個人的な好き嫌いで人を殺すほど短絡的な人間じゃないと思うぜ」

「あの時の印象ですか?」

「まぁな。これでもベテランだからな、少し話せばどういう奴かは見当がつく。そんで、同じ父親……正確に言えばあっちはまだだが、同じ立場な者同士シンパシーみたいなもんを感じてな」


 なるほど、私が始を犯人じゃないと感じるのと同じようなことか。アリバイを崩せはするが、やはり動機の面から考えると、あの二人が犯人だとは考えられない。


「次は青子さんですね。彼女は八時半から北地と話しているから、犯行は八時からの三十分の間に行われた。そして、その間に近隣住人に数度目撃されている。ただ、土曜の朝早くってこともあって人通りは少なく、木山を殺しに行く時間がなかったわけではない……ってかんじかしら」

「……なんか、いうことねぇな」

「ありえないことは無いけど、これも証拠も動機もないし、彼女の憂鬱なかんじをみると無いって考えるのが普通かしら」

「事故物件になっちまったもんな……」

「多分そうことではないと思います」


 一通り話し合ったあと、私たちの間に沈黙が続いた。そして、その沈黙を破り、ジョージ先輩は第一声を放った。


「よぉし!わからん!」

「自信満々に言わないでください」


 外れててもいいからわかったと言って欲しかった。やはり手詰まりかと考えていた時、始が動きを止め、こちらを向いてこう言った。


「調べてほしいことと、頼まれてほしいことがあるんだけど、いいかな?」

「……え?」


 その声を聞いた時、私は彼が一体誰なのか分からなくなった。彼の顔を目の前にしているにもかかわらずだ。それは、彼の醸し出す雰囲気が、十数年共にいた私でも一度も感じたことがないものだったからだ。

 それはまるで小説の超人探偵のような、絶対的な安心感と頼りがいであり、先ほどまでの子犬とまで形容した彼とは別物であった。


「金田、お前は何かわかったのか?」

「そうですね。なんとなく推理はできてます。刑事さん達にしてほしいのはその確認です。まぁ、容疑者の僕がいうことをアテにしてくれるならですけど」

「……真白、お前はどう思う」

「え?あっ……私は、信じます。どの道手詰まりです。それなら、少しでも可能性がある方に賭けます。それに……」

「それに?」

「それに、今の始なら信じてもいいと思うから」


 口をついて出た言葉。考える前にそんな言葉が出てきた。それを聞くと、始とジョージ先輩は頷いた。そして、先輩は始のほうに向き直ってこう言った。


「ってこった。頼むぜ、名探偵」

「はい。任せてください刑事さん」


 始は優しく微笑んでジョージ先輩と握手を交わした。その顔は、よく知っている彼のものであったが、やはり気配は違っていた。

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