第14話

今日以降彼女と会うことは無かった。そう勝手に思っていた。

一つ目のドーナツが食べ終わるのを横目で確認し、これ以上迷惑をかけられないので家に帰ることにする。

「本当にごめんなさい。俺先に帰ります」

頭を下げ、もう二度とここには来ないと自分に誓う。

この人の笑顔を奪ったんだ、彼女にとっても俺にとってもそれが一番いいだろう。

「優しくしてくれてありがとうございました。さようなら」

席を立ち、出来る限りの笑顔を作った。

「……」

彼女は何か言うことも、ましてや視線を俺の方に向けることもなかった。

当たり前だ。こんな愛想も礼儀もないやつ、嫌いになるのは当然だ。そして嫌いな人とは話したくないだろう。

早くこの場から立ち去るべきだ。足早に公園の出口へと向かった。

「……明日。明日またドーナツを持って待ってるから」

後ろから声が聞こえてくるが、耳を貸すことはない。どうせもう会うことはないのだから。

「明日がダメなら明後日。明後日がだめでも、君が来るまで私は毎日ここに来るから」

話しかけないで、声を聞かせないで、誘惑してこないで、俺は決めたんだここには来ないと。

途中から耳を塞いで走り出した。元々家までの距離は短かったが、走っていたこともありさらに短く感じた。

「はぁ、はぁ、はぁ」

息を整えて家に入ると、リビングの明かりがついていた。

つけたまま外に出た記憶はないが、その答えはすぐに分かった。

「お兄ちゃん、どこ。お兄ちゃん」

外に漏れてきた声は聞き馴染みのある声だった。

「蒼」

リビングに入り、テーブルに顔を伏せ泣いている蒼の近くまで行く。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」

俺に気づき胸に飛び込んでくる。リビングに響く泣き声に、俺は頭を撫でることしか出来なかった。

俺が急にいなくなったことに不安を感じて、一人が寂しくて、怖くて泣いていたのだろう。

「ごめんな」

「勝手にどこにも行かないで。私を置いていかないで」

「あぁ、約束するよ」

守れないとわかっていながら身勝手な約束を結ぶ。そんな俺の心など知る由もない蒼は、涙はもう出尽くしたのか、顔を胸から離して目を擦っている。

「お兄ちゃん一緒に寝よ」

「いいよ」

甘えてきた蒼に断ることはしなかった。

素早く寝巻きに着替えて、二人でベットに向かう。横になると蒼は、俺の腕を両手で抱きしめてくる。

蒼はもしかしたら気づいているのかもしれない。もうすぐ俺との別れがあることに。

俺と暮らすことが蒼の幸せになると思っていた。けど本当は俺が一人になるのを怖がっていただけだ。

一人になるのが怖かったから、あの時蒼を理由に二人で暮らすことを口にしたのだ。

最近になって気づいたことがあった。蒼の心から笑った姿を見ていなく、いつも作った表情を見ていると。

そんな顔しかさせていないなんて、兄として失格だと思う。だから決めたのだ、蒼を親戚に預かって貰うと。

最近疲れてたのはこのことについて悩んでいたからだ。いつ蒼に伝えるべきなのか、本当にこれでいいのか。

でももう決めなければいけない。これ以上蒼の幸せを奪う前に。

「蒼。こんな情けない兄でごめんな、俺のために一緒に暮らしてくれてありがとう」

隣で寝ている蒼に俺の言葉は届かない。

暗闇のなか、後悔や感謝を胸に抱きながら俺は眠るのだった。



「…ちゃん。起きてお兄ちゃん」

目が覚めると目の前には最近見たような天井が映っていた。

「……ここは?」

寝たまま視線を動かし、今いるのが自宅のリビングだと分かる。

「やっと起きた。心配したよ、もう」

「蒼」

隣に座っている蒼の顔は、少し疲れているように見えた。多分ずっと声をかけてくれてたのだろう。

「蒼、お前は今幸せか?」

「どうしたの急に?」

「悪い、忘れてくれ」

昔のことを夢に見たせいでおかしくなってしまった。この話はもう終わっていて、今更蒸し返すことでもないだろう。

「懐かしいね、その質問。去年の正月だよね確か」

正確にはちょっと日付が違うが、蒼も覚えているみたいだ。

「あの時も言ったけど、私はお兄ちゃんといれて幸せだよ」

少し恥ずかしそうに、けれど作ることのない可愛いらしい笑顔でそう言った。

「そうか」

「それよりお兄ちゃんこそどうなの?」

「ドーナツ明日辺り食べるか」

「あー、露骨に話題逸らした」

俺の幸せなんて決まってるだろ。お前がいて、しかも幸せだと言ってくれて、尚且つ今はそらもいてくれる。これを幸せと呼ばずなんて呼ぶのだろう。

「ぶー、ぶー。ケチ、バカ、アホ」

最後の方は罵倒になっている気がするのでほっぺをつねっておく。

「いひゃい、いひゃいよ。おひい様」

「そう言えば空先輩はどうした?」

つねっていた手を外し、倒れる前に空と一緒にいた事を思い出す。

「あー、それね」

蒼は頬を擦りながら困ったような、どうすればいいか分からないと言った顔をしている。

「何を隠してる?」

「な、何も、隠してないですよ」

急に敬語になったり、息だけしかでてない口笛を吹いたりと怪しすぎる。

「言わないと小遣い無しにするぞ」

「わー言います。言うのでそれだけは勘弁を」

自分の妹ながらこの程度で屈するのかと呆れてしまう。

「えぇと、お兄ちゃんの、部屋で、瑠愛さんと、喋ってる、みたいな」

たどたどしく、自分の指をいじくりながら言う。

「先輩と瑠愛を二人きりにしたのか」

驚きのあまり大声を出してしまう。

「お前なにしてんの」

「だってしょうがないじゃん。お兄ちゃんが倒れたせいで、空ちゃん家に来たんだから」

蒼の言う通りだ。俺が原因でこうなったのだから、蒼に当たるのはお門違いである。

「先輩と瑠愛が二人になってどれくらいたった?」

「十分くらいかな」

思わず手を頭に当ててしまう。

十分ということは今更行っても色々遅いだろう。俺が倒れなければ、そもそも瑠愛を家に入れなければ、なんて今更後悔したところで過去は変わらない。

「はぁ」

「お兄ちゃん大丈夫?」

蒼が声をかけてくるがそれどころじゃなかった。

せめて自分で伝えさえ出来ればまだ気は楽だったのに。

「どうすれば許してもらえると思う?」

「お兄ちゃん、どんまい」

肩にポンと手を置かれる。

彼女に秘密で女と同居してました、なんて許されるわけないか。俺が例え言おうとしていても、空から見ればそんなの分からないわけで。

「蒼、お茶くれない?」

自分で立ち上がる気力も出ないので頼む。

「分かった。祝杯だね」

「死体に蹴り入れるのやめてくんない」

とりあえず今は待つことしか出来ない俺は、お茶を飲みながら二人が降りてくるのを待つのだった。

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