第13話

これは空と出会う前の物語。


「さむっ」

冷たい風が顔に当たり思わず呟いてしまう。

大抵の人は盛り上がったであろうクリスマス。そんな日の真夜中だというのに、俺は家で幸せに浸ることも無く、近くの公園のベンチに座ってただただ夜空を眺めている。

綺麗だ、なんて感想は街灯やほかの家の光のせいで出てくるはずもなく、ただただボーと上を向いている。

今頃空は家で夢の中であろう。心配をかけないよう、寝ているのを確認して外に出てきた。

両親が亡くなってから約四ヶ月。バラバラになりたくはないからと二人だけで暮らし始めたが、心が限界を迎えているのかもしれない。

「疲れた、か」

理由は分かっている。別に蒼と暮らすのを苦痛に感じてるわけでは無い。それに反対していた親戚も、今では色々な面で手助けしてくれている。

ならどんな理由で疲れているのか。

「死にたい」

死んだところで解決にならないのは知っている。それに本気で望んで、口に出したわけじゃない。ただこういう時にどんな言葉を出していいのか分からず、思い浮かんだ言葉がこれだっただけだ。

「死んだらだめだよ」

俺の声ではない誰かの声が、急に目の前から聞こえてくる。

「誰ですか?」

視線を夜空から声の方に移すと、そこには綺麗な女の人が笑顔でしゃがんでこちらを見ていた。

彼女を一言で表すなら、それこそ綺麗だろう。全体的に黒くしているが、前髪の一部分が赤い髪、整った顔立ちに、暗い夜でも輝いて見える瞳。

綺麗という言葉がこれ程似合う女性は、彼女しかいないだろうと錯覚してしまうほどに美しい。

「ドーナツ。一緒に食べよ」

そんな彼女が、手に持っていた箱を俺の顔の前に突き出しそう言った。

「はい」

どんな理由だったのか分からないが、俺は特に断ることもせず頷いてしまった。


これが俺の初恋相手、そして今は亡き人、そらとの出会いだった。


「さぁ食べよ。君はどれ食べる?」

隣に座った彼女は持っていた箱を開けて、中身が見えるように俺に見せてきた。

「いや食べませんよ。大丈夫です」

さっきは頷いてしまったが、特別お腹が空いているわけでもドーナツが好きという訳でもないので、遠慮することにした。

「えー。……さっきは食べるって言ったのに」

ぶつぶつと小さい声で不満のようなことを垂らしているが、隣にいるので全て聞こえてしまっている。

ただ元々そこまで勧める気はなかったのか、それ以上俺に何か言うことはなく、自分の分を一つとって口に運ぶ。

「おいしい」

この人は本当にドーナツが好きなようで、すごく幸せそうな顔をしている。

「じゃあ俺は帰るので」

横目で食べてるのをずっと見ているわけにもいかないので、そう言って立ち上がり、歩き始める。

「ま、待って」

後ろから声が聞こえ、俺は足を止め振り返る。しかしこれは彼女の声に振り返ったのではなく、伝え忘れたことがあったからだ。

「心配しないでください。死にたいなんて言いましたけど、死ぬ気は全くないので」

伝えたいことを言い改めて歩き出す。

後ろから彼女の止める声が聞こえたが、もう二度と会うことはないだろうと思い、その日は無視をして家に帰った。


次の日、俺は昨日と変わることのない深夜の時間帯にまた公園に来ていた。

あの時は夜空を見ると落ち着く、なんて取ってつけた理由で公園に行っていた気がするが、今思えばそらに、他の誰かに、見つけて欲しかったのだと思う。

見つけてもらって、話を聞いてもらって、凄いねって言って欲しくて、辛いねって共感してくれる人を待っていたのだ。

「君はまた夜空を見て、今度は何を願っているのかな」

聞き覚えのある声に、視線を上から下に移す。そこには昨日と同じようにしゃがんで、俺を見る彼女がいた。

「ドーナツ。一緒に食べよ」

昨日聞いた台詞をまた言ってくる。

「いらないです」

俺は昨日とは違い、今日は初めから断りを入れた。

「なんでよ」

俺の袖を掴みふくれ面になる。昨日とは違い今日はどうしても食べさせたいみたいだ。

「お願い?」

思わず顔を背けてしまった。彼女は上目遣いで頼み込んでくる。

天然なのか狙ってなのか分からないが、彼女からこんな頼まれ方をして誰が断れるか。

「分かりました、食べます。食べるんで」

「やった」

横目で見た彼女は本当に喜んでいるように見えた。

自分で言うのもなんだが、こんな奴と食べるのの何がそんなに嬉しいのか。

「どれ食べる? 四つあるから二つずつ食べよ」

俺の隣に座った彼女は、箱を開けて俺に中を見せてくる。

「余ったの貰うんで先に選んで下さい」

「遠慮しなくていいよ。ほらほら選んで」

よっぽど嬉しかったのかグイグイと箱を押し付け、選ばせようとしてくる。

「分かりました。……。げ」

箱の中身に視線を移し、驚きのあまり変な声が出てしまった。

「どうかしたの?」

この人は自分の異常性に気づいてないみたいだ。

選ばせようとしていたが、箱の中身は形やまぶしてある材料は違えど、どれもチョコレートがベースのドーナツであった。

普通こういうのって色々な味を楽しみたいものじゃないのかな。

「チョコ、好きなんですか?」

「うん、好き」

俺に言われた訳じゃないのに、少しドキッとしてしまった。

「あ、もしかしてチョコ苦手だった?」

「大丈夫です。こっちの二つ貰っていいですか?」

「うん、食べて食べて」

箱から一つドーナツを取り、自分の顔の前に持っていく。

ドーナツを食べるのは何時ぶりだろうか。少なくとも両親が亡くなってからは食べていなかった。

「んー、おいしい」

横目で見た彼女は、俺に選ばれなかったドーナツの一つを食べて、本当に幸せそうな、美味しそうな顔をしていた。

「君も食べなよ」

見られていることに気づいたのか、少し恥ずかしそうにしている。

「……食べていいのかな」

気づいた時にはもう遅く、口から出た言葉は途中で止めることは出来なかった。

隣の彼女にも俺の声は聞こえていたみたいで、困った顔をしていた。

優しくしてくれたこの人に、こんな顔をさせて自分は最低だな。

「すみません、やっぱり全部はいらないです」

せめてもの罪滅ぼしのために、ドーナツを箱の中にあった紙ナプキンでちぎり、自分が触ったところ以外を元々あった箱の中に戻した。

罪滅ぼしとは言ったもののこの人はそんなことを望んではいなかっただろう。

「これだけいただきます」

そう言って箱に戻さなかったドーナツを食べる。

甘い、苦い、美味しい、不味い、食べたドーナツには味がしなく、そんな感想は出てこなかった。

「ありがとうございます。美味しかったです」

心とは裏腹の言葉と、精一杯の笑顔を彼女に向けた。

彼女が何か言うことはなく、幸せそうな顔は何処かに消え、黙々と手に持っていたドーナツを食べていた。

申し訳ないことをした、と思ったがこれでよかったのだ、とも思った。

呆れられて、嫌われて、そうして俺から離れていく。ただでさえ一人の幸せを奪っているんだ。だからこれでいい。

その後は何も喋ることはなく、今日以降彼女と会うことは無かった。

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