第11話

グラウンドから運動部の声が微かに聞こえる放課後。ここ図書室では険悪な空気が流れていた。

「唯斗くんとみーちゃんが仲良しだったなんて驚いたよ」

空は俺とみーちゃんこと神崎心愛かんざきみらの間に何があったか知る由もないため、この中で唯一穏やかな雰囲気である。

「……先輩、さっきのやり取り見てました? 俺殴られましたけど」

「見てたよ」

どうやら先輩には仲良い故の行動に見えたらしい。

「すーちゃん、私とこいつは全然仲良くないから」

俺がどう説明すればいいか悩んでいると、空の隣に座っていた心愛みらが口を開いた。

「えー。照れなくていいのにな」

何がそんなに納得出来ないのか空は頬を膨らませている。

「照れてない」

「いひゃい、いひゃいよ、みーちゃん」

心愛が空の膨らんだ頬を引っ張るが、本気で引っ張るわけもないので空は笑っている。

こういうのが仲良いって言うんだよな。仲がよくない俺の時とは大違いだ。

「うー、痛いよ」

「すーちゃんが変な事言うから」

やがて二人の時間は終わり、空は引っ張られた方の頬を擦っている。逆に心愛は満足したのか俺の方に顔を向けた。

「あんたがすーちゃんの彼氏だったとはね。……はぁ」

ジロジロと量るように俺の顔を見て、満足した結果最後にため息をつく。

「相応しくないとでも言うんですか?」

馬鹿にされたと感じ、流石に見過ごすことが出来なかった。

「勘違いさせて悪かったわ。今のため息は私へのため息よ」

「自分への? それってどういう?」

「……こんな奴の嘘の告白に一瞬でもときめいたなんて。はぁ」

ぶつぶつと呟いていて何を言っているか聞こえなかった。

「なんて言いました?」

「うっさい」

「いたっ、いた」

「わっ」

心愛が素直に教えてくれる訳もなく、代わりに脛に蹴りを入れてきた。反射的に足が浮き上がり、机に思い切りぶつけてしまう。それによって大きな音が鳴り空が驚く。

なんだこのピタゴラスイッチは。

「やっぱり仲良しだ」

「「仲良しじゃない」です」

俺と心愛の声が被り、空はより嬉しそうになる。

空が嬉しそうならそれでいいかと思い、俺は誤解を解くことを諦める。

「そういえばすーちゃん、こいつ私に告白してきたんだよ」

心愛は時折視線をこちらに向けながら、ニヤニヤした顔で触れてはいけない話題を持ち出してきた。

「本当なの唯斗くん?」

怒ると言うよりは、不安から来る心配の眼差しをこちらに向けてくる。

「確かにしましたけど。あれは防衛本能と言いますか」

「……?」

よく分からないといった表情をする空と、その隣で面白そうにしている心愛。

空は素直な分こういう冗談にも本気になってしまう。心愛はそれを分かって上で、面白がるためにやっているのだろう。

「……このロリが」

「何か言った?」

「痛った、ません」

対面にいる心愛に机の下で足を思い切り踏まれる。耳がいいのか俺が言ったことを聞き逃さなかったみたいだ。

痛みに負けじと心愛を睨むと、頭の位置が少し下がっている。足を届かせようと頑張ったのだろうと思うと痛みはどこかに消えていった。

『お兄ちゃんこれ食べてみて』

「……うんうん」

「なんで笑顔なの。気持ち悪い」

何故か蒼が初めて料理を作ったことを思い出す。

今でこそ俺より蒼の方が料理が上手だが、最初の頃はそれはもう酷かった。調味料の分量が適当過ぎて俺の味覚が壊れそうになったり、レタスとキャベツの区別がつかなかったりなど、今思えば笑い話だが当時は苦労した。

心愛には引かれているが、足を届かせようと頑張ったのが当時の蒼と重なり、兄心というものが芽生えてしまった。

「よく頑張ったな、偉いぞ」

「ちょ、なに? やめて」

俺は心愛の頭を撫でようと身を乗り出すが、それを手で弾かれ拒絶されてしまった。

「ついに妹に反抗期が来たか」

嬉しいような悲しいような何とも言えない感情が胸に湧き上がってくる。

こうして妹も大人になっていくんだな。

「すーちゃん、こいつ大丈夫?」

「唯斗くんブラコン気質あるから」

「私妹じゃないんだけど」

「んー、蒼ちゃんって妹がいるんだけど、何か被ったのかも」

「はぁ」

心愛は意味が分からないといった表情をするが、それもそのはず。唯斗の心の中を読めない限り、なぜ彼が妹扱いし始めたなんて誰にも分からない。

「それよりも唯斗くんがみーちゃんに告白したのって本当なの?」

唯斗のことはほっといていいのか、身振り手振りをつけて慌てた様子の空が言う。

「こいつこんなのだけどほっといていいの?」

「いいの」

唯斗のことは気にしなくてもいいのか空は即答する。

こんなの扱いされた唯斗は、未だに自分の世界に入っていて二人が言うことを聞いていない。

「早く教えて?」

いつになく真剣な表情になっている空に心愛は驚いている。本当に唯斗のことが好きなのが伝わる。

唯斗が正気だったらすごく喜んでいたであろう。

「告白されたのは本当。でも安心して、こいつは本気じゃなかったから」

心愛は元々からかうために言っていたので、からかう対象がいなくなった今、本当のことを伝える。

「ほんと?」

「ほんとだよ。私はすーちゃんに対して冗談は言っても嘘はつかない」

「よかった」

空は心配そうに聞き返したが、心愛の一言を聞いて安堵したみたいだ。

「それよりこいつそろそろ起こさない?」

こいつとはもちろん唯斗のことである。時折ニヤついたり、ぶつぶつと何か言っていたりと、傍から見たらすごく気持ち悪い人になっている。

「そうだね。私に任せて」

そう言った空は今の席を離れて唯斗の隣へと座った。

「何するの?」

「んー、内緒。あ、みーちゃん目瞑ってて」

「わかった」

とは言っても何をするのか気になるのか、心愛は目を少しだけ開いて空を見る。

空はそんなことに気づくこともなく、一回心愛を見て確認すると唯斗の顔を見た。

肝心の唯斗はと言うと近くに空が来たのにも関わらず気づいた様子はない。

いつの時代も恋人の目を覚ます方法はひとつしかなく、空も例外ではなかった。

「唯斗くん、好き」

「えっ」

耳元で囁かれた言葉に唯斗の意識が戻る。

記憶が曖昧でどうして空が隣にいるのか理解が追いつかない。

「空せん、っ」

どうなっているのか聞こうとしたが、最後まで言葉を言い切ることが出来ず、途中で空に口を噤まれた。俺の頭の中ははてなだらけだったが、今はこの幸せに身を任せることにした、

いつまで続いただろう。長かった気もするしあっという間だった気もする。やがてどちらからとも言えず口を離し、幸せの時間は終わってしまった。

「えへへ、自分からするのって恥ずかしいね」

今まで空は自分から求めることはあっても、自分からすることはなかった。

こうして自分からしてきてくれて嬉しいし、恥ずかしがっている空を見ると、可愛くて抱きしめたいと思ってしまう。

「空先輩、もう一回」

「だめ」

我慢が出来なくなりもう一度顔を近づけるが、空は人差し指し一本でそれを止めた。

「何でですか」

「目を瞑っているとはいえみーちゃんがいるから。だから今はこれで終わり」

俺は不満げだったが空に言われて心愛がいたことを思い出す。心愛を見ると、空が言う通り目を瞑っていたが顔を赤くしていた。

ロリっ娘先輩薄目で見てただろと思ったが、口にすることはしない。多少の恥ずかしさはあっても、見られて減るものでもないしな。

「みーちゃん目開けていいよ」

空は心愛がずっと目を開けて、キスを見ていたことに気づいていない。

「え、あ。そう、分かった」

「大丈夫なんか顔赤いけど?」

「あ、大丈夫大丈夫。なんか暑いからかな。ははははは」

これ以上ないくらい慌てていて、手で顔を扇いで誤魔化している。

相手が空でなければ誤魔化せないだろうな。

「……流石ロリっ娘先輩。期待通りの初心さ」

「うっさい、馬鹿、死ね」

「いたっ」

そうだった、忘れてたけどこの人耳がいいんだった。

机の下で上履きを飛ばし、俺の脛へと攻撃してきた。

「どうしたの唯斗くん、大丈夫?」

隣の空が心配そうにこちらを覗いてくる。

「だ、大丈夫です」

俺は脛の痛みを我慢して心配ないと伝える。

「それよりも先輩、告白の話本気じゃないですからね。あれは、その」

「大丈夫、わかってるよ唯斗くん」

告白の件がまだ解決してないことを思い出すが、空にとってはもう終わった話のようで優しい声でそう伝えてきた。

「帰ろうか、みーちゃんも紹介できたし」

「そうですね」

時間を見るとそろそろ部活などが終了する時間帯だ。

「私はやりたいことがあるから少し残るわ」

俺と空が帰ろうと席を立ったところで、心愛は気を利かせたのかそんなことを言ってくる。

「そう、分かった。またねみーちゃん」

「はいはい、また」

空は心愛の気遣いに知ってか知らずか素直に聞き入れる。

「ロリっ娘先輩」

「ロリっ娘言うな」

「ありがとうございます」

俺はそれだけ言うと背を向け空と一緒に歩いた。

「何がありがとうなの?」

「秘密です」

やはりというか気づいてなかったことに笑みがこぼれる。

「……あいつの事は嫌いだけど。……お似合いだな」

後ろから何か聞こえた気がしたが、振り返ることをせず俺たちはそのまま帰路につくのだった。

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