第5話

「……お邪魔します」

家についた俺たちは玄関で靴を脱ぎ、リビングの方へ向かう。

「ただいま、蒼」

「おかえり、お兄ちゃん」

リビングに入ると俺の唯一の家族である妹、橘蒼たちばなあおがソファーでくつろいでいた。

青みがかった短い黒髪を振り、薄紫の瞳で俺を、正確には俺の後ろの人物を見て驚いた顔をする。

「うわ、新しい女連れ込んでる」

声を荒らげ、実の兄に対して向けていい顔でないくらい引いている。

「……まぁそうなるよな」

軽蔑の視線を受けながら、ため息をつく。

蒼は空のことを知っている。最近顔を合わせたばかりで、俺の彼女だと紹介している。

そんな俺がたかだか数日で新しい女を家に入れたらこんな反応になるのはおかしくない。

ただ予想はしていたけれどこれはこれで面倒である。

「蒼、風呂沸いてる?」

とりあえずこのまま立っていても埒が明かないため話を変える。

「ん? 沸いてるけど」

「そか」

素直な妹で助かった。

俺は瑠愛にこっちと指を指しリビングから出ていく。後ろから「こらー、空ちゃんに言いつけるぞ」と聞こえた気がしたが今は無視をする。

早いところ戻ろないと本気で空に言いそうだ。

「いいの?」

瑠愛が心配してそうな声で聞いてきた。ここまで感情らしきものを見せてこなかったので少し驚く。

「気にすんな。それよりちょっと待っててくれ」

瑠愛を階段の前で待たせて、俺は風呂場に行く。素早く風呂に入れる準備をして階段に戻る。

「行こうか」

二階に上がり、三部屋あるなかの真ん中にある俺の部屋に入る。

「とりあえずここに荷物は置いてくれ」

瑠愛は言われた通りに荷物を置いた。

「俺はやることがあるから、その間風呂に入っててくれ」

蒼にこの状況になった説明をしなくてはならない。でないと俺より先にあることないこと空に言ってしまうかもしれない。

「私は必要ないの?」

「あぁ、いてもいなくても変わらんからな」

「分かった」

俺の言葉を聞いた瑠愛は、ほんの一瞬だが寂しげな顔をしていた気がした。

「風呂場に色々用意したが足りないものがあったら言ってくれ。家にあるものだったら渡すから」

俺は必要なことを言い終えたので部屋から出ようとする。扉に手をかけ、そこでまだ聞いてないことを思い出す。

「風呂後は飯だが食べられないものとかあるのか?」

「……ピーマン」

教えるのが恥ずかしかったのか顔を逸らす。

恥ずかしがってでも伝えるということはそれだけ嫌いなのだろう。

「りょーかい」

それだけ聞くと俺は自分の部屋から出てリビングに向かう。

両親は俺が中学二年生の夏に亡くなった。そこから約二年間、妹の蒼と二人で暮らしている。二人別々で暮らす可能性もあったが色々な苦労を経て今の暮らしがある。

そんな大事な唯一の家族だから妹の蒼には嘘をつきたくない。けれどだからと言って今日のことを話す訳にもいかない。

話してしまえば蒼がどう思うか分からない。納得してくれればいいが最悪の場合瑠愛を追い出しかねない。

「ははっ」

あんなことをされてまで瑠愛の心配をする自分が馬鹿らしく笑ってしまう。

それでも約束したから、助けてやると。

俺はただ一つの外見的特徴である、一部分が赤く染めっている前髪に触れる。

「悪い、蒼話があるんだが」

「うん、待ってた」

リビングに入るとソファーから声が聞こえた。

俺が出ていっても、動いていないのかと思ったがよく見ると手には、さっきまでなかったマグカップが握られていた。そして奥にあるテーブルには俺用のマグカップが置かれているのが見える。

「なんだかな」

出来すぎた妹の行動に何とも言えない気持ちになる。

そしてこれから起きることに、より罪悪感を持ってしまう。

「サンキューな」

蒼の隣へと移動し用意された飲み物を飲む。

「さっきの人なんだけど……」

言葉が喉に引っかかりすんなりと出てこない。俺は出てこない言葉を飲み物と一緒に一旦飲み込み、整理する。

蒼に嘘をつかないで、尚且つ瑠愛を泊めることになった経緯を言わない。改めて整理してみるとどうしようもない。

どんなに考えたところで俺から出た答えは一つだった。

「今は何も聞かないで仲良くして欲しい」

一度飲み込んだおかげか今度はすんなりと言葉にできる。

俺が出した答えは何も言わないことだ。都合がいいのは自分が一番理解している。けれどこれしか思いつかない以上どうしようもなかった。

「……」

蒼は無言のままマグカップの中の飲み物を見つめている。

「お父さんとお母さんが亡くなった時バラバラになりそうだったの覚えてる?」

蒼は口を開いたかと思えば突然昔の話をしてきた。

「あぁ」

忘れることの無い出来事。両親が亡くなった際、親戚に引き取られることになったがどこの家も一人しか引き取れない状況だった。

俺はそれでもいいと思った。一生会えなくなる訳では無いし、連絡も全然取れる。それに遅かれ早かれ一緒に暮らさなくなる。だからしょうがないと思うことにした。

「私、その時何も言ってないのに助けてくれた」

俺は蒼のあの顔を一生忘れない。悲しいけど泣く訳にもいかずに我慢しているあの顔を。

俺はその顔を見た瞬間、いてもたってもいられなくなりこのままバラバラにされるくらいならと二人で暮らすことを決意した。

もう二度とあんな顔をさせないため。

「それから色々あったけど、お兄ちゃんは私を第一に考えて、自分は二の次だった」

反対されまくった二人暮らしだけど色々な人の手助けで今がある。

「だから空ちゃんを連れてきた時は自分の事のように嬉しかった。あのお兄ちゃんがやっと幸せにって」

そこで言葉を止め、手に持ったマグカップを傾ける。一口飲むと顔をこっちに向けてきた。

「一つだけ教えて、あの人はお兄ちゃんの幸せを壊さない?」

そう言った蒼の表情は真剣で俺の事を思ってくれてるのが分かる。

「正直分からん」

瑠愛がなぜ俺の家に泊まるのか、何を考えているのか、分からない。だから何をするかも予想がつかない。

「だけど壊させない。お前と空を悲しませることはしない」

もう二度とあんな顔を見たくないから。

「そっか」

マグカップに残った飲み物を一気に飲み干す。

「それであの人の名前なんて言うの?」

「小鳥遊瑠愛。なんか苗字が嫌いなのか名前呼びしてくれって言われたからお前もした方がいいかも」

「るあ、瑠愛さんか、分かった。それでそれで瑠愛さんとは付き合ってるの?」

さっきの真面目な雰囲気はどこへやら、いつも通りの陽気な妹に戻る。

「さっきの話し聞いてた?」

「聞いてたよ。だけど付き合ってないとは言ってないじゃん」

「普通話の流れで分からんか?」

「そこはほら、『俺が蒼と空と瑠愛を幸せにしてやる』みたいな」

俺の似ていないモノマネをされて若干イラッとくる。

「蒼、おでこだせ」

「やー」

おでこを出させてデコピンでも入れてやろうとする俺と、意地でもおでこを守ろうとする蒼で、バタバタしているとリビングの入口から音がなる。

「あー瑠愛さん」

瑠愛が来たことによりソファーからするりと逃げ出す。

「瑠愛さん、瑠愛さん。ご飯どのくらい食べます? あっ、ちょっとあっためるのでソファーで待ってて下さい」

蒼はそのままキッチンに向かい、代わりに瑠愛が言われた通りこちらに来る。

「隣座っていい?」

「どうぞ」

隣に座った瑠愛は風呂上がりということもあり熱気が漂っている。

「仲良いのね」

「そりゃあ環境上普通よりはな」

俺はすることも無いので蒼の準備ができるまでスマホを触る。

隣の瑠愛は何をするでもなく座っている。そこで初めて瑠愛を見たことにより気づく。

「ドライヤー置いてたろ、使わなかったのか?」

瑠愛の髪は乾いてなく、拭いただけのしっとりと濡れている状態だった。

「どうせ意味ないから」

「……。そっか」

少し瑠愛の言葉に引っ掛かかったがそれ以上は何も言わなかった。

俺の約束がなかったらこいつはどうなっていたのか、そんなありえないことを考えながら夜飯を待つのだった。

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