第63話 オーロラパールの効果


 アレスの転移魔法でスレイド伯爵領に一瞬で移動した。

 以前と変わらない佇まいに、ホッと心が安堵する。久しぶりの帰省だったけれど、体調が悪いと心配させるのも嫌だからお土産を渡したらすぐにラクテウスに戻るつもりだ。


 屋敷の扉を開いて玄関ホールにはいると、すぐに家令のブレスがやってきた。


「ロザリア様! アレス様も……よくお戻りになられました」


 いつもはキリッとしている目元を下げて、いつでも心から歓迎してくれる。アレスに対しても、私の夫になってから敬意を示してくれていた。


「ブレス、元気にしてた? 今日は新婚旅行のお土産を持ってきたの。みんなはいるかしら?」

「左様でございますか。あいにくスレイド伯爵は外出しておりますので、奥様にお伝えしてまいります」

「そう、ではお母様をお願い」


 セシリオはすでに成人し国のために出仕しているので、私が王太子妃教育の時に使っていたタウンハウスで暮らしている。今は両親だけがこの屋敷に住んでいるのだ。


「ロザリア、先に客間で待たせてもらおう。ブレス、準備を頼む」

「承知しました」


 実家に戻ってきてリラックスできたのか、幾分吐き気は和らいでいた。こんなに長期間に渡って旅行したことがないから、身体がついてこれなかったのかもしれない。

 勝手を知るアレスに先導されて客室のソファーで、背もたれに身体を預けた。


「なにか飲みたいものはあるか?」

「……冷たくてさっぱりしたものが欲しいわ」

「わかった。待ってて」


 アレスはすぐに柑橘が入る果実水を用意して、私にグラスを手渡した。ひと口飲むと、爽やかな飲み心地の果実水が喉通っていく。


「ありがとう、落ち着いたわ」

「よかった。他に欲しい物はないか?」

「大丈夫、きっと長旅の疲れが出ただけよ」

「そうか……気が付かなくてすまない。ロザリアとの新婚旅行で浮かれすぎていた」

「アレスのせいじゃないわ。旅行は本当に楽しかったのもの」


 いつもはほんのわずかな顔色の変化も見逃さないアレスが、しょぼんとしている。私とて自分がこんなに疲れていることに気が付かなかったのだ。

 そこへ急いだ様子のお母様がやってきた。


「ロザリア! アレス! よく来たわね」

「お母様、お元気そうでなによりです」

「義母上、ご無沙汰しておりました」


 お母様は目ざとくテーブルの果実水を見つけて、問いかける。


「あら、珍しいわね。いつも温かい紅茶なのに」

「そうなの、ちょっと長旅で疲れてしまって、船酔いが治らなくて……」

「申し訳ありません。俺がついていながら、ロザリアに不調が出るまで気が付きませんでした」

「船酔いが治らない……?」


 お母様は私の顔をジッと見つめて、なにか思案している。


「ロザリア、それなら数日ここでゆっくりしていきなさい。お父様も喜ぶし、セシリオも二日後に戻ってくる予定があるの。体調が戻ってからラクテウスに戻るといいわ」

「でも……」

「義母上に従おう、ロザリア。あと数日伸ばしても変わらない」

「わかったわ、無理に帰っても余計心配させてしまうものね」


 ふたりの助言に従い、実家に滞在することにした。私の部屋は今もそのままだったので、そちらに移動してベッドに入ると途端に睡魔が襲ってくる。

 アレスがなにか話しかけてきた気がしたけれど、そのまま眠りに落ちてしまった。




 目が覚めると、アレスの優しく光る夜空の瞳が私を見つめていた。ベッドサイドに椅子を置いて、ずっと様子を見てくれていたようだ。


「ごめんなさい、眠ってしまってわ」

「大丈夫だ。もうすぐ医者も来るから、念のために診てもらおう」

「そうなの? 眠ったからスッキリしたけれど……」


 ひとりで寝ているのがなんとなく寂しくて、アレスの温もりも求めて手を伸ばす。それに気付いたアレスが月のように優しく微笑んで、私の手を握りしめた。


「俺を安心させるためだと思ってくれ。義父上にもお伝えして、医者の手配を頼んだ」

「……心配かけてごめんなさい」

「謝ることはない。俺はロザリアの隣にいられれば、それだけでいいんだ」


 それからお土産はお母様に渡したとか、セシリオが予定を早めて明日帰ってくるとか、他愛のない会話を続けた。すると知らせを受けたお父様が、医者を連れて帰ってきたとブレスが案内してきた。


「ロザリアッ! ああ! いいんだ、横になったままでかまわないから! 調子はどうだ? なにか食べられるか? 欲しい物はなんでも言うんだぞ、お父様がどんな物でも用意するからな」

「ふふっ、お父様。ありがとうございます。でもアレスがいるから大丈夫です」

「アレスだと……!」


 お父様がなにか大きなショックを受けていたようだけれど夫に頼ると言っただけだし、そんなにおかしいことは言ってないはずだ。そこへお母様がやってきて、お父様を連れ出してくれた。


 そしてアレスが見守る中、お父様が連れてきた名医だという年配の医者の診察を受けることとなったのだ。


「ふむ、なるほど。何点か質問してもよろしいですかな」

「はい、なんでしょう」

「吐き気はいつから?」

「船に乗ってからです。船から降りても吐き気が止まらず、今も胃がムカムカしています」

「食欲は?」

「さっぱりしたものや、口当たりのいいものなら」

「では月のものが最後に来たのはいつですかな?」

「……そういえば、一カ月以上前のことだわ」

「わかりました。ふむふむ」


 医師は魔道具も使って、私の身体を診察していたが、やがてにっこりと笑みを浮かべて口を開いた。


「おめでとうございます。ご懐妊です」

「……え、本当に?」

「懐妊……懐妊か!!」


 医師の言葉がじわじわと、私の中に広がっていく。

 竜人は子ができにくいと聞いていて、のんびりと構えていたから予想外の言葉だった。私のお腹に新しい命が宿っているのだ。


「ロザリア、海の女神は俺の願いを叶えてくれた」

「アレスは、子供ができるようにお願いしたの?」

「ああ、ロザリアの気持ちの準備ができたら、すぐに懐妊しますようにって祈ったんだ」

「アレス……貴方が夫でよかった」


 こんな時でも必ず私のことを慮ってくれるアレスの言葉に、愛しさが込み上げた。医者がいなければ、抱きついて言葉の代わりにキスしていたと思う。

 アレスにそっと抱きしめられ、アレスは私の肩に額を乗せる。わずかに震える声で囁くように歓喜の言葉をこぼした。


「ロザリア。どうしよう、嬉しすぎて泣きそうだ」


 そう言って破顔したアレスの笑顔が神々しくて、心臓が止まりそうになった。アレスの潤んだ夜空の瞳は、この世のどんな宝石よりも美しく輝いている。そんなにも私との子を望んでくれていたのが本当に嬉しかった。


「アレス、これからは三人で幸せになりましょう」


 こほんと軽く咳払いした医者は器具を片付け終え、ほくほくとした笑顔で立ち上がった。


「では私はスレイド伯爵と奥様にご報告してまいります。まだ妊娠初期でございますので、くれぐれも無理はされませんように」

「はい、ありがとうございます」

「大丈夫だ、俺がどんなことからも守るし、今まで以上に尽くすから」


 軽く会釈した医者は、あとで妊娠中の注意事項を送ると言って部屋から去っていった。アレスの真摯な態度に心強さを感じたものの、今まで以上に尽くすとはどういうことかと考える。

 それから数分後、お父様とお母様が待ちきれないと言わんばかりに部屋に雪崩れ込んできた。


「ロザリア! 懐妊か!? 懐妊と聞いたが、本当か!?」

「やっぱりそうだったのね! もしかしたらと思ったのよ!!」


 お母様の言葉を聞いて、だから休んでいけと言ったのかと納得する。お父様は「孫……孫が……!」と嬉しさに震えていた。


「竜王様たちにもお伝えしないとね」

「そうなんだが……伝えたが最後、絶対にここへ来ると思うがロザリアの負担にならないか?」


 確かにそうだ。竜王様の性格なら、サライア様とカイル様、ジュリア様も連れてみんなで来るに違いない。そしてそれが、私を大切だと思ってくれているからだとわかっている。

 アレスは私がさらに体調を悪くするのではと考えてくれていたのだ。


「大丈夫よ。竜王様たちも私の大切な家族ですもの。早くお伝えしたいわ」

「ロザリア……そう言ってくれてありがとう。それならすぐに伝えにいく」

「ああ、アレス。そのままセシリオも頼めないか? 明日などと悠長なことを言ってられん。今日の出仕が終われば、すぐにでも連れてきてほしい」

「わかりました。ではラクテウスに戻った後、セシリオ様を連れてまいります」


 そんな急がなくても……という言葉は、みんなの嬉しそうな笑顔を見て呑み込んだ。



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