第62話 これぞ新婚旅行


 一週間もお世話になった宿屋を後にして、向かった先はアステル帝国となった帝都だ。クライブ皇帝となり、着々と制度を整えていっている。ここは引き続きアステル帝国の帝都になると発表されていた。


 気取らずに街を回りたかったので、私とアレスは目立たない格好をしている。

 アレスはフードつきの深緑のロングマントに白いチュニックと濃紺のスリムパンツ、私はロイヤルブルーのショートマントとタイトなミニワンピースにグレーのタイツとロングブーツを合わせていた。


 こんなに短いワンピースが初めてで最初は抵抗したけれど、アレスが「俺がロザリアのために選んだ」というので勇気を出して着てみたのだ。満足そうに夜空の瞳を細めるアレスを見れば、私の恥ずかしさなど消し飛んでしまう。


 ご機嫌のアレスと一緒に色々な店舗を覗いて、竜王様たちにお土産を買ったりした。


「アレス、今度はあの店に入ってみたいわ」

「あのカフェか? 俺も喉が渇いていたからちょうどいいな」


 私が目をつけたのは、帝都でも人気と噂の老舗洋菓子店だ。カフェテラスも併設しており、店内でも極上のスイーツが楽しめる。人気の店だけあって少し並んでから、店内へと通された。店員が一瞬ぼーっとしたけれど、ハッとして言葉を続ける。


「お待たせいたしました! おふたり様でしょうか?」

「ああ、できたらテラス席がいいのだが」

「かしこまりました。ご案内いたします」


 このカフェはテラス席もあって、この季節は温かい日差しの下、春の心地よい風を感じながらスイーツが堪能できる。アレスと対面で席にかけた。周りにはカップルや若い女の子たちが、スイーツを頬張って笑顔を浮かべている。


「アレスはなにを頼む?」

「そうだな……アイスコーヒーとベイクドチーズケーキかな」

「私は季節のフルーツティーと苺タルトにするわ」


 店員に注文を済ませると、その後はどうしようかとふたりで相談を始めた。アレスの濡羽色の艶髪が風になびき、夜空の瞳がキラキラと輝く。毎日見ている私ですら見惚れるほど絵になっていた。

 そんなアレスを見た周囲の女の子たちが、ざわりと騒ぎ出す。


「え、あの人見て! すごく格好よくない?」

「ちょっと、あんな美形見たことないわ!」

「うわー、素敵な人ねえ」


 街に出てから女性たちからはこんな声が絶えない。そういえば、執事じゃないアレスと帝都を歩くのは初めてだ。


 でもアレスを褒められるのは嬉しいけれど、なんだか落ち着かなくて、ここでもか……とこっそりため息を吐いた。


「ロザリア」

「なに?」

「俺はロザリアしか視界に入っていない」

「えっ……どうしたの、突然」

「だからロザリアも俺だけ見て」


 そう言って、私の手を取り指先に唇を落とす。そのまま指を絡めて唇の動きだけで「愛してる」と囁いた。

 何度も何度も愛を囁くアレスの声が、私の脳裏で鮮明に蘇る。

 そうだ、こんなにもありありと浮かぶほどアレスから愛を伝えられてきた。


 もう周りを気にするのはやめにしよう。確かに他の女性がいくら秋波を送っても、アレスは決して揺るがない。

 もっと自信を持とう。アレスが愛するのは私だけなのだと。


 その後は極上のスイーツを頬張り、アレスと帝都の街でデートを楽しんだ。




 帝都に来たついでに、あの素材屋キララにも立ち寄った。

 店主は私たちのことも覚えてくれていて、機嫌よく応対してくれる。


「おかげさまで、探していた素材はすべて調達できました。あの情報があったからこそです。ありがとうございました」

「なに言ってんだ、ただの気まぐれだ。気にすんな」

「その後、お変わりないですか?」


 なんの気なしに店主に尋ねた。


「ああ、変わんねえと言いたいとこだが、ちょっと前になんでも皇帝が変わったって大騒ぎになったんだ。あんたら知ってるか?」

「ええ、アステル帝国になったと……」


 まさか店主に原因は私ですなんて言えなくて、当たり障りのない答えを返す。

 後ろでアレスが笑いをこらえている気配がした。


「そうなんだよ! ある日突然、公示が出されてなあ。あれはさすがに驚いたな」

「きっとこれからは暮らしやすくなるはずですよ」

「そうだといいがなあ」


 話題を変えるため追加で素材を購入し、笑顔を貼り付けたまま素材屋を出てきた。


「はあ、まさかあの話が出るとは思わなかったわ」

「でも店主の表情は明るかったし、悪くはないようだ」

「そうね。クライブ皇帝なら大丈夫よ」

「しばらくは大変だろうけどな」


 それもそうだ。あの日突然押しつけた形になったけれど、管理する規模が違うしさまざまな決定や改変、雑務が押し寄せているだろう。


「お手伝いした方がいいかしら?」

「ああ見えてクライブは有能だから、心配いらない。トラブルが起きた時に手を貸すくらいが、ちょうどいいんだ」

「……それなら、落ち着いた頃に一度顔を出すわ」


 その日の夜はふたりで甘くて熱くて、とろけるような時を過ごした。




 次に訪れたのはノイエール王国だ。ここは大陸の南にあり、海に面していて豪華客船の船旅が有名だ。他にも観光名所がたくさんある。


 今回の目的はこの時期に開かれる海神祭だ。漁業が盛んなこの国では年に一度、安全と大漁を祈願して海の女神に感謝する祭が行われ、その期間に数量限定だがある魔石が購入できる。


 オーロラパールという素材で、願いを込めて海に返すと女神が叶えてくれるというものだ。この祭りの目玉のひとつになっていて競争率がものすごく高い。


 街の素材屋は全滅で、港にも漁で使う魔道具や魔石を販売している店舗があった。


「アレス、あったわ! ここに残っていたわね!」

「これがオーロラパールか、見事だな」

「お客さんもコレ目当てかい。今買わないと二時間後には売り切れになるからね。ひとり一個までだから二個でいいかい?」


 購入するのが前提で話を進める店主は、すでに包装し始めている。ずいぶんせっかちな店主だけど、まあ、購入するのは間違いないので代金を支払った。


「これずっと買ってみたかったの。本当は時期が合わなくて、あきらめていたのよ」

「それならある意味、あいつらのおかげだな」

「あら、そうね。我慢した甲斐があったわ」


 耐え忍んだ一カ月だったけれど、こんな素敵なご褒美をもらえたから、もう笑い話にできそうだ。


「さっそく願いをかけてみるか?」

「ええ、もちろんよ」


 そうしてアレスの転移魔法で浜辺へやってきた。潮の香りが鼻先を掠め、波の音が優しくて心が穏やかになる。手のひらに転がる虹色の真珠は淡い光を放ち、願いを込められるのを待っていた。


 このオーロラパールが数量限定なのは、漁師の妻たちが海の女神に祈りを捧げ、一年かけて丹念に作り上げるからだ。

 そんな祈りの力が宿っているから奇跡を起こすのだと、私は考えている。


 両手でオーロラパールをそっと包み込み、胸の前へ持ってくる。目を閉じて意識を集中させた。


 私は願う。

 しっかりと自分の役目を果たして、大切な人たちが幸せになりますように。

 なにがあっても、最後は笑顔でいられますように。


 目を開けて、打ち寄せる波間にパールを返した。

 シャランと音が鳴ったような気がしたけれど、打ち寄せる波に攫われすぐに見えなくなった。


 アレスの方へ視線を向けると、手の中で淡く光るオーロラパールが一段と輝きを増している。オーロラパールの光が収まると、アレスも閉じていた目を開けて海へそっと戻した。


「アレスはどんな願いを込めたの?」

「願いが叶ったら教える」

「そうなの? その時はちゃんと教えてね」


 アレスは触れるだけの口づけで返事をする。どんなことを願ったのか気になるけれど、きっと叶うはずだ。

 それから三日間に渡るお祭りを楽しんで、夜はアレスと愛を囁きあった。




 それからいろんな観光名所を回り、これでもかと新婚旅行を楽しんで三週間が過ぎた。せっかくだからとノイエール王国に戻り、ラクテウスに帰る前に船旅にも挑戦することにした。

 

 ところが、私は船に乗った翌日から船酔いでダウンしてしまった。


「ロザリア、大丈夫か?」

「ゔぅ……ごめんなさい……こんな、風に……なると思って、なくて……」


 ずっと吐き気が止まらなくて、起き上がれない。前に船に乗った時は大丈夫だったけれど、子供の頃のだったから体質が変わったのかもしれない。


「ロザリアはゆっくり休んで。これも新婚旅行の思い出になる」

「アレス……ありが……とう」


 アレスの優しさに涙がにじむ。それなのにいくら寝ても回復せず、次の港で下船することにした。

 港の宿屋で一晩休んでもすっきりしなくて、アレスはものすごく心配している。


「ロザリア、まだ具合が悪いか? 一度医者に診てもらおう」

「まだ胃がムカムカしてるけど、だいぶよくなったから医者は大丈夫よ。今なら移動できそうだから、実家にお土産を届けてからラクテウスに帰りましょう」

「わかった。もしまた悪くなったらすぐに言って」

「ええ、その時は言うわ」


 私たちは宿屋の支払いを済ませ、アレスの転移魔法でスレイド伯爵家へ向かった。



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