第56話 どこにもいない


「クリフ様、それではお言葉に甘えて一晩お世話になります」

「そうこなくちゃな! よし、帰りは魔道具で転移するからすぐなんだ」


 本当に渋々だけれど、クリフ様の屋敷で一晩お世話になることにした。

 場所を聞けば、ファステリアの北方にある山の頂上付近にあるそうだ。獣人にとっては山頂に近ければ近いところほど、屋敷の価値が高いという。


 久しぶりに魔道具の白い光に包まれて、そっと目を閉じる。明日にはラクテウスに帰れると、心は浮き足立っていた。




 クリフ様のお屋敷はほぼ山頂にあり、広大な敷地を壁で囲い見張り塔もついている。屋敷というよりは城の方が近い。私の実家など小屋だと思うほどの大豪邸だ。


 室内も上品で高級な家具で統一され、いたるところに名画や美術価値の高い壺が飾られている。これが王族で、しかも大商会を運営する会長の屋敷なのかと感嘆した。

 クリフ様が屋敷の家令へ声をかけて、細やかな気遣いで指示をする。


「おかえりなさいませ、ご主人様」

「ああ、留守中変わりなかったか?」

「はい、特になにもございません。言いつけられた用件も手配済みです」

「そうか……では客人を案内してくれ。今日は疲れてるだろうから、個室を用意しろ。特に女性は丁重にもてなせ」

「承知いたしました」


 家令にも丁寧に挨拶をされた後、それぞれ客室へと案内された。


「私の部屋へ行く前にお嬢様のお部屋の場所も把握しておきたいので、お供いたします」

「え、そんなに心配しなくても大丈夫だと……」

「いいえ、これは譲れません。前回のこともありますので」

「前回のこと?」

「とにかくお嬢様の部屋へまいりましょう」


 私は女性ということで、特別仕様の部屋だった。

 心配性のアレスもついてきて、部屋の中までチェックして満足したようだ。アレスが部屋を出る直前に「夜になったらまた来る」と、耳元で囁く。こういうのは腰が砕けそうになるのでやめてもらいたい。


 客室には担当のメイドがいて、私のお世話をしてくれるのは愛想のいい猫族の獣人だ。耳や尻尾が感情に合わせて動くのをほっこりした気分で見ていた。


 晩餐も豪勢な料理が並べられ、和やかな雰囲気のまま終わる。もしかしたら、また揉めるかと思ったけれど思い過ごしだった。


 湯浴みを済ませると、メイドが就寝前におすすめのお茶があるというのでいただくことにした。


「ロザリア様、お待たせいたしました。こちらはファステリア王国の特産茶葉を使ったお茶です。甘い香りが特徴で初めての方でもとても飲みやすいです」

「本当だわ。とてもいい香りね」


 ふんわりと甘く香るお茶は、優しい味がした。お土産に買って帰ろうかとメイドに聞こうとして、クラリと意識が遠のく。


「え……どうし……て」


 どんどん暗くなっていく視界に最後に映ったのは、申し訳なさそうなメイドの顔だった。




 次に意識が浮上してきたのは、どれくらい経ってからだろうか。

 ふわふわと雲の上を歩いているみたいに、現実味がない。


 私はなにをしていたっけ?

 それすらも朧げではっきりとしない。ゆっくりと意識が覚醒していくのとともに思い出していく。


 レッドベリルを見つけたのは覚えている。それからクリフ様のお屋敷に招待された。部屋でメイドにお茶を入れてもらって、それを飲んだら意識が遠のいた。


 そうだ、あの急激な眠気——私は薬を盛られたのだ。


 一気に思考が明瞭になり、ぱちっと目が覚めた。

 どうやら私は深く眠っていたようだ。すっきりとした頭で現状を把握していく。


 私はベッドに寝かされていて、身体を起こすと両腕に重みを感じた。じゃらりと音を鳴らして両手を繋ぐ鎖が垂れ下がる。これは、魔封じの手枷だ。これでは魔法が使えない、つまり魔銃も使えない。


 周囲を見回したが、案内された部屋からは移動してはいなかった。飲みかけだったお茶はすでに片付けられていたが、ソファーに腰掛けている人物が視界に入る。


「……ハイレット様?」

「ああ、ロザリア。目が覚めたか」


 ハイレット様はおもむろに立ち上がり、私に近づいてきた。


「これはどういうことですか?」


 私は努めて冷静に尋ねた。

 客人として招待された屋敷で、薬を盛られ魔封じの手枷をつけられるなんて尋常じゃない。


「どうもこうも、アレスはもうこの世にいないので、今後のことを話し合おうと思ったのですよ」

「そんなわけないわ。アレスがそんなに簡単に殺されるわけない」

「そうは言っても、今頃は毒を飲んで苦しんでいるか、魔力を封じられ帝国一の騎士団に囲まれているかのどちらかです。どう足掻いてもここで終わりですよ」


 ハイレット様の言葉が一瞬理解できなかった。


 アレスが毒を盛られた? 魔力を封じられて騎士に囲まれている?

 どうして……どうしてそんなことになっているの?


「言ったでしょう、最後の晩餐だと」


 ハイレット様は確かに最後の晩餐だからと、私たちがこの屋敷に来るように仕向けた。ということは、あの時点でアレスを亡き者にしようとしていたのか。


「貴女は私の妻になる運命だったのです」

「ふざけないで!」


 その時、バンッと大きな音を立てて、クリフ様が部屋に入ってきた。


「おい、ハイレット! 抜け駆けはなしだって言ったろ!」

「うるさい、それよりアレスはちゃんと始末したのか?」

「毒が効かなかったから魔封じの手枷も拘束具もつけて、ちゃんとお前の用意した騎士団の前に置いてきたよ!」

「やはりか、竜人とは本当に化け物だな」


 ふたりの会話に呆然とする。

 アレスが、殺される? まさか、そんな。あんなにも強いアレスが?

 違う……覚醒した竜人を殺せる存在なんているはずない。探しにいかないと、アレスのそばに行かないと……!!


 そう思うのに、いつも感じていた番の存在感をまるで感じなくて、狂気が私を蝕んでいく。


「それよりなあ、ロザリアはオレの番にするんだ! お前は引っ込んでろ!!」

「なにを言う! ロザリアは私の妻になる運命なのだ! お前こそでしゃばるな!!」



 ——どこにもいない。


 穏やかで優しい微笑みが。

 愛しげに私の名を呼ぶ声が。

 私を見つめる夜空の瞳が。

 いつも私を導いてくれる大きな手が、どこにもない。


「どこにいるの?」


 ねえ、アレス。

 私、ようやく知ったわ。


 テノールボイスの声も、夜空のような瞳も、大きな手の温もりも。

 とっくに私の半身になっていたのね。


 最愛の番を奪われそうになる竜人の気持ちが、どれほどの悲哀と激情を生むのか。


 喪失感? いいえ、そんな簡単なものじゃない。

 怒り? いいえ、そんな生やさしいものじゃない。


「私の番をどこにやったの?」


 私の中であふれ出した感情が渦をまく。

 そこにあるのは、敵を滅するための憎悪と、発狂しそうな焦燥。

 番に対する竜人の愛の深さを知らない、愚かな者たちへ制裁を。

 私の言葉は届いていないのか、目の前にいるふたりの男は言い争いをやめない。


「ああ!? ふざけんな、こっちだって譲れねえんだよっ!!」

「黙れ! ロザリアは私の妻にするのだ!!」


 シックで上品な部屋の雰囲気にそぐわない罵り合いが続いている。


「お黙りなさい!!」


 私の怒声で、やっと男たちが口を閉ざした。抑えに抑えてきた感情は激流のように私の内側で暴れ回る。

 私の細胞のひとつひとつが足りないものを求めて、暴発しそうになっていた。


「私のアレスはどこ?」


 私はゆっくりとソファーから立ち上がる。

 ふたりの男たちは、息を呑んで動かない。私の問いかけになにも反応がなくて苛立った。


「聞こえないのかしら? 私の夫、アレスはどこにいるの?」


 両手首には、鎖で繋がった魔封じの手枷がつけられて魔法は使えない。ならば、こんなゴミのような魔道具は壊してしまえばいい。


 これでも魔道具の開発担当者なのだ。王家の秘宝でもない限り、この手の道具は簡単に壊せる。いつも持ち歩いている工具を取り出し、左の手首についている手枷を分解していく。


 バラバラと落ちていく部品は、毛足の長いカーペットに微かな音を立てて埋もれていった。


 すぐにアレスの魔力を追ってみるけれど、やはりどこにも感じない。

 すっかり軽くなった両腕から、あふれる激情とともに思いっ切り魔力を解放する。右手には炎魔法を、左手には水魔法を練り上げた。


「なっ、二種類の魔法を同時に操れんのか!?」

「さすがロザリアだ……! それでこそ我が妻にふさわしい!」

「いい加減にして。私の夫はアレスだけよ。これ以上勝手にするなら、もう遠慮はしないわ」


 私はもう我慢なんてするつもりはない。

 大切なものを奪われないために、全力で抗う覚悟はできている。


「私のアレスを返して」

「くっ、おい! お前、ロザリアをとめろ!」

「はあ!? お前こそ、帝国の皇子なんだからとめろよ!」

「……もういいわ。貴方たちの顔など見たくもない」


 激情にまかせ、こんな屋敷ごと吹き飛ばすつもりで最高威力の魔法を放とうと魔力を練り上げる。


「えっ、目が赤い……?」

「赤い瞳など、まるで化け物ではないか!」


 ハイレット様とクリフ様がなにか言っていたけど、すべて無視した。

 私は沸々と湧き上がる怒りに身を委ねる。



「許さないわ。私のアレスを奪うのは絶対に許さない——!!」



 嗅ぎ慣れた柑橘系の爽やかな香りがふわりと鼻先を掠めた気がした。

 愛しい人の残り香に、どうしてこんなことになったのかと思いを馳せる。



「ロザリア——っ!!」



 そんな幻聴が聞こえるほど、私は追い詰められていた。



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