第55話 アレスはアレスのままよ


 昨夜は濃厚な夜をアレスと過ごした。結界も張ってくれていたから、プライベートは漏れないはずだった。


 それなのに朝一でクリフ様にしっかりとバレてしまい、恥ずかしすぎて瀕死のダメージを負った。獣人の嗅覚を舐めていた。迂闊だったとすら思う。


 こんなところで燃え上がってしまった自分が悪い。まさに身から出た錆というやつだ。


 そんな朝をなんとかやり過ごし、やっとレッドベリルの採掘を再開した。

 昨日までは比較的に歩きやすい道だったが、今日は岩場を乗り越えたり、草をかき分けて進んだりとかなり道が悪かった。


 それでも一日でも早くレッドベリルを手に入れるために、アレスに支えてもらいながら山を登っていく。

 事態が一変したのは、そんな矢先のことだった。


「お嬢様、待ちください」

「アレス、どうしたの?」


 アレスが厳しい表情で立ち止まる。私を庇うように腕を広げ、前方の空を睨みつけていた。


「……おい! 魔物が来るぞ!!」


 クリフ様が焦った様子で叫んだ。

 そんなはずはない。だって昨日アレスが魔物を一掃したはずだ。


 いったいどんなものが来るのかと、アレスの視線の先に目を向けた。


「えっ! バハムートよ……しかもこの数!!」

「ざっと見て二十匹くらいですね」


 眉根を寄せるアレスは、それでも冷静さを失わない。

 だけどバハムートはドラゴンに匹敵するほど強い魔物だ。それが群れをなしてやってきたら、さすがのアレスもタダでは済まないだろう。


「おいおい! ヤバいぞ! これは素材の採掘どころじゃねえ!!」

「ここはアレス様が一番お強いですから、魔物をお願いいたします! 私たちはロザリア様をお連れし——」


 クリフ様とハイレット様が撤退を進言する。それはもっともな意見だ。けれどアレスに引く様子は微塵もない。


「大丈夫です。お嬢様、一匹一分として、二十分ほどお待ちいただけますか?」

「いいえ、私も一緒に行くわ。この状況でアレスをひとりにできるわけないでしょう」


 やはりアレスはバハムートを討伐するつもりだった。でもこんな危険な討伐をひとりで行かせるわけにはいかない。


「ですが……少々見苦しい姿になるのです」

「だからなに? そんなことで私の愛が消えることはないわ」

「……そうですね。では一緒に行きましょう」


 いつもの穏やかな笑みを浮かべて、アレスは手を差し出した。私は躊躇することなく、アレスの手を取る。

 なにがあっても離さないように、きつく握りしめた。


「待て! ロザリアには危険すぎるだろう! 私たちと一緒に避難するのだ!!」

「避難するならおふたりでどうぞ。ここでアレスとともに死ぬのなら、それも本望です」


 それだけ言って、私はアレスとバハムートの群れに向かって駆け出した。


「お嬢様、相手が相手ですので覚醒した竜人の力を解放します。どうか驚かないでください」

「大丈夫よ。もう二度と、この手を離さないと誓ったの」


 アレスは泣きそうな嬉しそうな顔で微笑み、竜人の秘めたる力を解放していく。


 夜空の瞳から金色の太陽の瞳へ変わり、縦に長い瞳孔はまさしくドラゴンの特徴だ。頭部には捻れた角が二本生え、背中には漆黒の翼がはためく。指先の爪も黒く鋭いものになっていて、アレスの力を考えたらこれだけでも戦えそうだ。


「すごいわ……これが覚醒した竜人の力なのね」


 確かに姿は少し変わって驚いたけれど、その内面は今までとなにひとつ変わっていない。私の愛しい夫のままだ。


「……恐ろしくはないですか?」


 アレスの声が震えている。太陽みたいにキラキラと瞳は輝いているのに、その奥には不安が色濃く浮かんでいた。


「怖いことなんてひとつもないわ。夜空の瞳も素敵だけれど金色の瞳だってとても美しいし、アレスはアレスのままよ」

「……ロザリア」


 アレスに抱きしめられ、そっと触れ合うみたいは口づけを交わす。やっとアレスの瞳から不安は消えて、いつも私を包み込むような大きな愛を感じられた。


「さあ、行きましょう! 私は準備万端よ!」


 そろそろバハムートが私たちの上空に到達する頃だ。私は魔銃を構えて敵に備える。


「このまま空中で応戦します。お嬢様、私にしっかりと腕を回してください」

「わっ……!」


 片手で軽々と抱き上げられて、慌ててアレスの首に腕を回す。


「ロザリア、もっと俺に抱きついて」


 耳元で甘く囁かれ、大きく鼓動が跳ねる。こんな時でも私の夫は色気がだだ漏れで、私の寿命を縮めにきているとしか思えない。


「アレス、わざと言っているでしょう」

「なんのことでしょうか?」


 でもそのおかげで強張っていた肩の力も抜けた。ホルダーに差していた魔銃も手にして、戦闘準備は整った。

 少しだけ黒い笑顔を浮かべたアレスは、ふわりと空へ昇っていく。


「お嬢様、私の攻撃をすり抜け後ろから襲ってくる魔物をお願いします」

「わかったわ」


 そうして私たちは次々とバハムートを討伐し、二十分たらずで殲滅を果たした。


 アレスはバハムートを殲滅しても、冷ややかな表情である一点をジッと見つめていた。でもそれはほんの何十秒で、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべる。


「では、レッドベリル探しを再開しましょう」

「ええ、そうね。そろそろ見つかるといいのだけれど」

「きっと、もうすぐ見つかりますよ」


 アレスの自信に満ちた返答を聞いて、私もそんな気がしてきた。

 もとの場所に降り立ちハイレット様とクリフ様に合流すると、ふたりは満面の笑顔で迎えてくれた。


「ロザリア様もアレス様も、まるで鬼神のようでしたね。さすがです」

「さすがロザリアさんだ! 獣人は強い女が最高の女なんだ、やっぱりオレの目に狂いはなかったな!」

「お褒めいただきありがとうございます。もう危険はないと思いますから、レッドベリルを探しましょう」

「そうだな! オレに任せておけ!」


 こうして、またレッドベリルを探しはじめた。

 クリフ様の真剣な様子に、今までは手を抜いていたのかと感じてしまう。真面目にやってくれるのは嬉しいが、それなら最初からお願いしたいものだ。


 それから三時間ほど経った。

 今日も野営かと覚悟を決めた時だった。


「……っ! こっちだ!!」


 クリフ様が突然叫んで、走り出した。慌てて私たちも後を追う。

 草に覆われてわかりにくかったけれど、小さな洞窟の前でクリフが立ち止まっていた。入り口は大人が屈んで入れるかどうかくらいの大きさしかない。中は真っ暗でどうなっているのかも、まったく見えなかった。


「もしかしてここにレッドベリルがあるの?」

「ああ、間違いない。この匂いはレッドベリルだ。それもかなりの上物だな。だけど……」


 クリフ様は言葉を濁す。洞窟の入り口が小さすぎて、クリフ様の体格では入ることができないのだ。アレスもハイレット様も男性で、身体つきがしっかりしているから難しいだろう。


「ここの地盤じゃ入り口を削っても、その衝撃で洞窟が埋まっちまったら採掘すらできなくなるな」

「わかりました。では私が入って採ってきます」

「はっ、肝が座ってるな! わかった。じゃあ、採り方を教えるよ」

「お願いします」


 クリフ様に手解きを受けて、頭には前方を照らす魔道具をつけて洞窟へと入った。膝をついて洞窟の中を進んでいく。道幅は私が通るのでやっとだ。

 振り返る余裕もなく、そのまま前へ前へと突き進む。


「あ! あったわ!」


 やがて目の前に、赤々と光る六角柱の魔石が姿を見せた。

 周囲を照らす赤い光が風もないのにゆらゆらと揺らめき、幻想的な光景から目が離せなくなりそうだ。美しく儚く輝く魔石を、クリフ様に教えてもらった通りに採取した。


「これで、やっとラクテウスに帰れる……!」


 もう帰りたい。一秒でも早く帰りたい。アレスの転移魔法でヒュンッと飛んで帰りたい。その一心で洞窟から這い出した。

 その勢いでハイレット様たちに別れを告げたのに、クリフ様が私たちを引きとめる。


「ロザリアさん、今日はもう日も暮れそうだしオレの屋敷に泊まっていけよ」

「いえいえ、お気遣いは結構です」

「ロザリア様、私も今日はクリフの屋敷に世話になるつもりです。もう会えなくなるだろうから、最後の晩餐に付き合ってもらえませんか?」


 どうしよう。一刻も早く帰りたいのに、最後の晩餐とまで言われてしまった。ちらりとアレスを見ると視線が合う。


(どうしましょう。早く帰りたいわ)

(ですが、今後の取引のことを考えると、あまり無下にもできないのでは?)

(そうよねえええ……)

(仕方ありません。一晩くらいなら我慢しましょう)


 目だけでアレスと会話して、渋々申し出を受けることにした。

 私はこの時、最後の晩餐の本当の意味を理解していなかった。



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