第40話 晩餐会


 それから二ヶ月後。


 私とアレスは建国記念パーティーの前日にブルリア帝国に入った。

 王太子夫妻が参加すると竜王様が返事をしたら、皇帝から晩餐に招待されたのだ。やっと招待に応じた竜人と親交を深めたいのだろう。帝国が相手でも嫌なことははっきり拒絶していいと、竜王様からお墨付きをいただているから気が楽だ。


 アレスの魔法で皇城の正門前へ転移すると、すぐに門番が城内へ通してくれた。エントランスでは外交官が待機していて、私たちを晩餐会場へと案内してくれる。

 移動の途中、外交官が人好きのする笑顔でアレスに話しかけてきた。


「このたびは招待に応じてくださり、誠にありがとうございます」

「いや、こちらも帝国に用があったのでタイミングがよかったのだ」


 今日のアレスはラクテウス王国の王太子として参加しているので、いつもの燕尾服は着ていない。

 前髪も右側だけ後ろに流して、端正な顔が惜しみなく披露されている。大きめの襟のジェストコートは金糸の美しい刺繍がされて、アレスの夜空の瞳を一層煌めかせていた。ロングブーツを履きこなす引き締まった長い足は、私に合わせてゆっくりと歩を進めている。


 帝国の外交官がいなければ、普段とは違うアレスの装いに心を撃ち抜かれて使いものにならなかった。

 いや違う、今も怪しいくらいだ。先ほどから素敵すぎるアレスから目が離せない。敬語でない口調もアレスの狂愛を思い出させて、いろいろと心臓によろしくないのだ。


「左様でございましたか。もしよろしければ、ご用が円滑に進むよう手配いたしますが……」

「それは気にしなくてよい。妻とふたりで旅行も兼ねているから急いではいない」


 他の国で聞く妻という単語が新鮮に感じた。王太子の顔をしたアレスだけでもたまらないのに、私がアレスのものだと公言されているようで嬉しさが込み上げてくる。


「それでしたら厳選の宿を用意いたしましょう」

「悪いがあまり目立ちたくないから、そっとしておいてくれないか?」

「差し出がましい真似をいたしました。なにか不自由などあれば遠慮なくおっしゃってくださいませ」

「その時はよろしく頼む」


 そんな話をしているうちに、純白の扉の前に到着した。どうやらここが晩餐会場のようだ。扉の両脇に立つ護衛騎士がゆっくりと扉を開く。

 外交官の後に続いて部屋に入ると、ロングテーブルにはすでに五人の男女が着席していた。


「皇帝陛下、お待たせいたしました。こちらがラクテウス王国よりお越しくださいましたアレス王太子夫妻です」


 外交官が声をかけると、一番奥の席に座っていた男性が立ち上がった。


「私がブルリア帝国の皇帝ナルシス・フォン・ブルリアです。我がブルリア帝国の建国記念パーティーと、晩餐会への参加に心より感謝申し上げます」

「ラクテウス王国、王太子アレス・レヴィ・ラクテウスと申します。こちらが妻のロザリアです」

「初めまして。このたびはご招待いただき、ありがとうございます」


 お礼を告げ、優雅な仕草でカーテシーをする。挨拶も済んだので、皇帝陛下の斜め前にアレスと並んで席に着いた。

 テーブルにはさまざまな料理が並べられて、どれも豪華で美しく盛り付けされている。給仕たちが料理を取り分けている間に、同席者の紹介が始まった。


「アレス様もロザリア様もお久しぶりですね。ご健勝のようでなによりです。立太子も済ませ、私がラクテウス王国の外交担当となっております。今後はより親密なお付き合いができればと存じます」


 最初に口を開いたのは、ハイレット皇太子だ。

 皇族の証であるプラチナブロンドの髪をさらりと揺らして、爽やかに微笑んでいる。翡翠のような瞳は穏やかで、以前の私たちの破廉恥な振る舞いはそっとしておいてくれるみたいだ。大人な対応に感謝しかない。


「初めてお目見えいたします。わたくし、皇女のセラフィーナでございます。おふたりにはずっとお会いしたいと思っておりました。本日は夢が叶いとても心が弾んでます。それにしてもアレス殿下がこんなに素敵な方だとは思いませんでしたわ!」


 次に自己紹介したのはセラフィーナ皇女だ。絹のようなプラチナブロンドの髪を背中に流して、大きな翡翠の瞳がキラキラと輝いている。人形のように顔立ちが整っていて、表情豊かなかわいらしい女性だ。

 だけど、アレスに対して頬を染めて潤んだ瞳で見つめるのはやめてもらいたい。アレスが素敵だからうっとりするのはわかるけれど、今は私の夫なのだ。


「ロザリア、俺はロザリアしか見てない」

「……大丈夫よ。ちょっと気持ちが揺れただけだから」

「そうか? 嫉妬してくれたと思って嬉しかったのに」


 私の心の変化を敏感に察したアレスが、小声で安心させるように囁いてくれた。

 夜空の瞳の奥には、私だけに見せる狂愛の炎が揺れている。そんな風に特別だと言ってくれるだけで、騒めいた心は落ち着いていった。


「すまない。セラフィーナは成人したばかりで、思ったことを口にしてしまうのだ。アレス殿下が素晴らしい御仁で、心を動かされたのだろう」

「そうなんですの! 申し訳ございません。あまりにもアレス殿下が理想の王子様にぴったりで、つい浮かれてしまったのですわ……」


 そう言ってセラフィーナ皇女はしょんぼりとする。

 本当にクルクルと表情が変わって、成人したばかりとはいえ少し幼すぎないだろうか。このような外交の場で感情を表しすぎるのは、自国にとってもいいことばかりではないだろう。


「ロザリア様、私からもお詫びいたします。兄としてセラフィーナを甘やかしすぎたようです。悪気はないのでどうかご容赦ください」

「ハイレット殿下が悪いわけではございません。私も弟は目に入れても痛くないほどかわいがりましたもの」

「そうでしたか、確か今はアステル王国の文官をされていらっしゃるのですよね?」

「ええ、よくご存じですね。今は国土の整備を担当する部署についております」


 こうして場の空気も和み、外交官と宰相の自己紹介も終わり晩餐会はつつがなく終わった。

 翌日の建国記念パーティーに参加するため、この日は皇城に部屋を用意してもらうことになっていたのだが——




 なぜかアレスが皇城に宿泊することを断固拒否して、帝都の高級ホテルに部屋を取ったのだ。

 最上階のスイートルームは、優雅で洗練されたインテリアでまとめられている。部屋の中央にあるテーブルには帝国の季節の花が飾られて、ほんのりと甘い香りを放っていた。ベッドルームも広々としていて、ゆったりと過ごせそうだ。


 テーブルには花だけでなく、季節のフルーツも色鮮やかに盛りつけられている。私は真っ赤に熟れた苺をつまみながら、アレスに問いかけた。


「ねえ、どうして皇城に泊まらなかったの?」

「お嬢様、あの皇太子の視線に気が付かなかったのですか?」

「え? 始終穏やかだったと思うけど……?」


 思い返してみても、ハイレット殿下が私に秋波を送ってきている様子はなかった。それなのにアレスから放たれる空気が、いばらで全身を巻かれたみたいにチクチクと突き刺さる。


「……そうですか、そう思われるならそれでも結構です。ですが、自分の妻に下心を抱く男と同じ屋根の下にいて、ゆっくり眠れると思いますか?」


 アレスの夜空の瞳がギラリと光る。

 この雰囲気は私にとってよろしくない気がしてならない。これは前に他の竜人を褒めた時に似ている。切なそうに、悔しそうに、それでもなお激しく求めるような視線。

 ひとつだけ違うのは。


「ロザリアは俺の妻だ。他の雄が想いを寄せたところで無駄だと、わかりやすく印をつけないとダメだな」


 アレスが嫉妬の炎を抑える気がまったくないことだ。すでに専属執事モードは解除され、夫の顔になっている。


「待って、アレス! し、印ってまさか……!?」

「真っ赤なキスの花びらに決まっているだろう?」


 アレスがニヤリと笑った。その黒い笑顔を見て、封印したい恥ずかしい過去の記憶が蘇る。

 前に魔道具の開発の手伝いをした報奨で赤い花びらが欲しいと言われ、快諾したことがあった。それがキスの花びらだと後から知って、それはもう必死な思いで赤い花びらをアレスに贈ったのだ。

 これはマズい、あの時と同じ顔だ。いや、さらにドス黒い。


「あ、あのね、アレスが私を大切にしてくれて、唯一なのもわかっているから、そんなに目立つようなことをしなくても大丈夫だと思うの」

「いや、ロザリアが男の下心に一ミリも気付かないから、不安しかない」


 高級ホテルのスイートルームにそぐわない笑顔で、アレスがじりじりと距離を詰めてくる。獲物を狙う目は私を捉えて離さない。

 ソファーにあっけなく押し倒され、アレスの彫刻のような美貌が眼前に迫っている。


「そんなっ……! 今だって見えないところにたくさん花びらが散っているのに、これ以上増やすの!?」

「見えないから意味がないと気が付いた」


 どうしよう。このままアレスに身を委ねたら、明日の建国記念パーティーでドレスが着れなくなるわ!

 せめて恥ずかしくないような場所にしてもらえないかしら!? というか、この流れで明日の朝から動けるかも心配よね!?


「わっ……わかったから! アレス、おねが——」

「ロザリア。愛してる」


 その言葉に私が弱いとわかっていて、アレスはこういうタイミングで言ってくるのだ。


「……私も、愛してる」


 そしてやっぱり断れなくてそのまま散々愛を注がれ、アレスが満足するまで赤い花びらの跡をつけられた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る