第39話 突然の新婚旅行


「あっ、ごめんね。もう大丈夫だよ。それで話とはなんだい?」


 仕事を終えた竜王様は、私の斜め前にあるひとり掛けのソファーに腰を下ろす。アレスがお茶を用意してくれたので、緊張でカラカラに乾いた喉を潤すためにひと口流し込んだ。


 短く息を吐いて、現在の魔道具開発の進捗状況と必要素材について説明をする。竜王様は真剣な眼差しで聞いてくれた。


「なるほど……研究は六割程度進んでいるんだね」

「はい、竜人が番を見つける際に必要な情報は調べがついたのですが、世界中から探し出すところで行き詰まってしまったのです。これを解消するためには、検索範囲を拡大する素材と、人間の生体情報を拾い上げるための素材が必要です」

「ふむ……素材がわかっていれば僕の方で調達するよ」


 少し前までは素材が特定できればと思っていたけれど、今は別の目的があるからむしろよかったとすら思う。

 アレスとふたりで旅行なんて、私にとってはご褒美でしかない。


「それが同じような効果の素材が複数あり、それぞれの相性もみたいので直接私が探しに行きたいのですが、かなり時間がかかる可能性があります。それでも許可をいただけますか?」

「つまり素材探しの旅に行きたいってことだね?」

「はい、もし許されるならアレスとふたりで行きたいと考えています」


 ここまで言い切って、ごくりと唾を飲み込んだ。

 こんな風に、なにかをしたいと自分から国王に訴えたのは初めてだ。きっと許してくれるとは思っていても、緊張で手が冷えていく。


 いつの間にかぎゅっと握りしめた拳を、アレスの大きな手のひらが優しく包み込んでくれた。大丈夫だと言ってくれているみたいで、肩の力が抜けていった。


「いいよ、行っておいで。事前に断りさえ入れてくれたら、いつでも好きな時に素材探しの旅に出てかまわないよ」


 笑顔を浮かべた竜王様は予想通りの返答をくれた。私はホッと胸を撫で下ろす。


「もしかして僕が許可しないと思っていたのかな?」

「いえ、そんなことはないのですが……このように国王様にお願いするのが初めてのことで緊張してしまったのです」

「ちょっ……ロザリアちゃんがかわいすぎる!!」


 正直に気持ちを吐露すると、竜王様が私の手を取ろうして腕を伸ばしてきた。すかさずアレスが立ち上がり、アイアンクローで竜王様の頭部を締め上げる。

 非常に見覚えのある光景だ。


「父上、それ以上近づかないでください。お嬢様が汚れます」

「いだっ! いだだだだだだだだ!! わかったから! ハグしないから放せって!」

「竜王様……大丈夫ですか?」

「僕に優しいのはロザリアちゃんだけだ……」


 涙ぐんだ竜王様がほんの少しだけ不憫に感じたけど、義母のサライア様が誰よりも竜王様に尽くして慈愛で包み込んでいると思い直した。


「ふたりで旅に出るのはかまわないけれど、ついでだからちょっとしたお使いも頼めるかな?」

「お使いですか? いったい、どのような……?」


 そこで竜王様は、執務机の引き出しから、一通の封書を取り出した。裏面には鷹と杖と剣が描かれた、赤い封蝋が施されている。


「この紋章は……ブルリア帝国のものですね」

「さすがロザリアちゃんだね。その通り、これはブルリア帝国の皇帝からの親書だ」

「皇帝からの親書とは……ずいぶん好意的なことだ」


 アレスが棘のある言い方をした。これは半年前、アステル王国のクライブ国王から立太子の表明パーティーに招待された時のことが影響しているのだ。


 そのパーティーで帝国の第一皇子から熱烈な視線を送られ、アレスの独占欲に火がついて、会場から丸見えのバルコニーで深いキスをされた。会場に戻った時のあの空気はいまでも忘れられない。


 貴族たちとは視線が合わないし、ご令嬢は真っ赤になって俯いているし、帝国の第一皇子は不機嫌極まりなかったし、クライブ国王からは生ぬるい視線を向けられていた。

 アレスはご機嫌で、私は鉄仮面のようにアルカイックスマイルを貼りつけていた。


「そうなんだ。一年半くらい前からやたら新書が届くんだよね。毎回なにかの誘いで、第一皇子が立太子する時も何通も送ってきたんだ。ずっと断ってるのにしつこくてさ」

「それなら一度は参加して、顔を立てた方がよろしいですね」

「うん、僕もそう思ったんだ。そこで外交経験のあるロザリアちゃんに、帝国の建国記念パーティーに参加してきてほしいんだけど頼めるかな?」

「建国記念パーティーはいつですか?」

「それが二カ月後なんだ。急で悪いけれど、報酬として今回の旅の費用も全額負担するし、なんならそのまま新婚旅行に行ってきてもいいから」


 竜王様の言葉にアレスが食いついた。


「新婚旅行……!」


 聞いたところによると、竜人は転移魔法が使えるから、旅行自体にあまり興味がないらしい。それなのにアレスが興味を示したのなら、心惹かれたのはきっと『新婚』の部分だろう。ソワソワしているのが手に取るようにわかった。


「お嬢様、いかがなさいますか?」


 アレスが夜空の瞳をさらにキラキラさせて窺ってくる。竜王様をチラリと見ると、にんまりとしていた。

 きっと竜王様は新婚旅行というワードをどこかで仕入れて、アレスの攻略に使ったのだ。


「ふふっ、いいわね。本当は私、新婚旅行に行きたかったの」

「では……!」


 ぱあっと笑顔になるアレスが愛しくてたまらない。番に尽くして喜びを得るのは、アレスだけではないのだ。


「竜王様、それでは一カ月ほど新婚旅行の時間をいただけますか? ついでに素材探しもしてまいります」

「うん、それでいいよ。宿に泊まる時は遠慮なくスイートルームに泊まってね。これは王命だよ」

「そこは問題ありません。私がお嬢様にふさわしい極上の部屋を用意いたします」

「あはは、アレスに任せておけば大丈夫だね。ロザリアちゃんも、一カ月と言わず好きなだけ旅に行っておいで。ラクテウスは平和だし、なにかあったら呼び戻すから」

「はい、ありがとうございます!」


 ブルリア帝国なら素材も世界中から集まるし、新婚旅行先としても楽しめそうだ。建国記念パーティーであれば、帝都もお祭り騒ぎだろうから、アレスと回れば素敵な思い出になる。


 なにより、このパーティーには各国から要人が集まるのだ。カイル様とジュリア様のおかげで魔道具の大量生産が叶いつつあるから、途中でスレイド伯爵領に寄ってお父様に話もしたい。


 その準備としてパーティーで人脈を作って、販路拡大の後押しができたらラクテウス王国の魔道具販売は安泰だ。なんだかんだいっても、ブルリア帝国は世界一人口が多いのだから使わない手はない。


 こんなところで、つらかった王太子妃教育が活かせるなんて思わなかった。でもラクテウス王国で役に立つためだったと思えば、今までの経験が宝のように思えてくる。


 あの時アレスに教えてもらって、ノイエール語もカルディア語も話せるから、世界中の要人と直接交渉もできる。これは私がラクテウス王国のために尽くせる、最大のチャンスなのだ。


「俄然やる気が湧いてきたわ……!」

「いったいなんのやる気ですか……?」


 頬を染めたアレスに心臓が止まりそうになるほどキュンとしたけれど、グッとこらえて今回の目的を告げた。


「アレス、今回の新婚旅行はとても重要なの。なにがなんでも、王太子妃としてのお役目を果たすのよ!」

「お役目……それは私にとっても重要なお役目ですよね?」


 アレスにも私の気持ちが伝わったのか、真剣な表情で身を乗り出してくる。


「もちろんよ! 私たちが力を合わせれば、ラクテウス王国の発展に繋がるわ!」

「それは、つまり……いえ、もう少し夫婦だけでよかったのですが……お嬢様が望むならやぶさかではありません」


 珍しくアレスが恥ずかしそうにもじもじしている。だけど私の望みに協力はしてくれるようだ。アレスの力も借りられるなら心強い。


「夫婦だけ……そうね、今は私とアレスだけだから、全力で取り組みましょう!」

「はあ、こんなにも熱くお嬢様から求められるとは思いませんでした。ですが、お望みであれば私も全力を尽くします!」


 アレスも販路拡大のために動いてくれるなら、魔道具の生産が足りるか不安だ。後でカイル様とジュリア様に、もっとペースを上げてもらうよう頼んでみよう。


「……このふたり、大丈夫かな」


 竜王様の呟きは、販路拡大に燃える私の耳には届かなかった。



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