第35話 ふたりだけの蜜月


「ロザリア」

「ん……アレス……おはよ……う」


 アレスの声に意識が覚醒して、もう朝なんだとぼんやりと思う。昨夜も何時まで意識があったのかわからない。毎夜毎夜アレスに何度も愛されて、気絶するように眠りに落ちる。

 まだ重だるい身体を起こす気になれなくて、ぐずぐずしていた。


「眠そうなロザリアも可愛い」


 後ろから耳元で囁かれて、そのまま優しく甘噛みしてくる。素肌の背中に触れるアレスの逞しい胸板は少しずつ熱を帯びてきていた。ゾクゾクと駆け上がる感覚がなんなのか、今の私ならわかってる。このまま身を委ねたら、たくさん愛されて次に起きるのはきっと夕方だ。

 結婚式から今日までの一週間で理解した。ここで流されたらまたベッドから出られなくなる。そう考えたらバッチリ目が覚めた。


「はっ! アレス、おはよう! 今日もいい天気ね!」

「おはよう、朝食を食べたあとロザリアを食べたい。ダメなら今すぐロザリアを食べたい」


 待って、どちらかと言うと食べるのは朝食よね!?


「あの、まずは朝食をいただきたいわ」

「わかった、ロザリアのために美味しいのを用意してくる。待ってて」


 軽いキスを落としたアレスはその肉体美を晒しながら部屋を後にする。アレスの芸術的な美しさに見惚れていたけど、ハッと我に返り簡単に身支度を整えようとした。


「んー……あれ? 嘘、まさか!」


 ない。着るものが、ない。

 確か結婚式の日に脱がされたウェディングドレスは、翌朝には片づけられていた。それから気絶している間に入浴などの世話もアレスがしてくれたので、服を着る機会がなかった。


 散々愛し合っているからアレスにはすべてを晒け出しているけど、だからと言って裸で歩き回るほど羞恥心を捨てたわけではない。そもそも王城なら侍女やメイドがいるはずだが、まるで人の気配がしない。


「ええと、私の衣装は……王太子妃の部屋にあるのよね。うーん、呼び出すベルもないし、自分で取りに行くしかなさそう」


 何か羽織るものでもないかと探していたら、アレスの脱ぎっぱなしのシャツが出てきた。私には大きいけど今はそれがちょうどいい。

 素肌にシャツを羽織るとアレスの匂いがして、クラクラしそうになる。


「はっ、しっかりしないと! とにかく何かワンピースでも着ないことには食事もできないわ」


 なんとか自分を取り戻して、ヨタヨタと歩いて私の私室につながる扉に手をかけようとした。


「ロザリア、どこへ行くつもりだ?」


 聞いたことがないような低いアレスの声がした。振り返ってみれば、アレスがさまざまな料理が載ったトレーをサイボードに置くところだ。食事を受け取るために着替えたのか、濃紺のトラウザーズにゆったりめの白いシャツを身にまとっている。


「あ、あの着替えを取りに行こうかと……」

「着替え? 必要ないだろ?」

「え? どうして?」

「着てもすぐ脱がすから意味ない」


 ……………いや、待って待って待って。私、結構頑張ったと思うのよ。アレスをずっと待たせてきたし、愛してもらえるのが嬉しかったし、ちょっとくらい身体がダルくても動かなくても応えてきたのよ。


「待って、あのね、愛しあうのは嬉しいし幸せだし、嫌じゃないの。でもね、他のこともしたいの!」

「他の……」

「そうよ! 一緒に散歩したり、一緒にデートしたり、一緒に素材集めたりもしたいの!」

「なるほど、散歩もデートも素材集めも一緒にしよう」

「本当!?」

「ああ、蜜月が終わったら」


 …………全然伝わってない。そうじゃなくて、そろそろこんな爛れた生活から抜け出したいのに。でも朝食の美味しそうな匂いにお腹が鳴りそうだわ。


「とりあえず食事をいただきながらお話ししましょう」




 アレスが持ってきてくれた具沢山のスープで胃袋を満たしてホッと一息ついた。この一週間、決まった時間に食事を摂っていなかった。流されてしまう自分もいけないのだと強く思う。


「ねえ、私こんな生活サイクルじゃダメだと思うの。もっと健康的な生活にしないと身体に悪いと思うのよ」

「それは確かにそうだな。……俺も少し落ちついたし、食事は時間通り食べるようにしよう」

「よかったわ! わかってくれたのね! それなら私ちゃんと着替えてくるわ」

「え?」

「えっ?」


 私何かおかしなことを言ったかしら? 健康的な生活で規則正しく過ごすなら、こんな格好ではいられないと思うのだけど。


「ロザリア、今は蜜月だ」

「ええ、そうね。三ヶ月はゆっくりしていいと聞いていいるわ。それが竜人の習慣だって」

「うん、蜜月のあいだは番と深く繋がってお互いに唯一の存在だと刻み込んでいくんだ」

「わかるわ。でも着替えるくらいはいいでしょう?」


 アレスが珍しく素直じゃない。いつもなら是と頷いて着替えを持ってきてくれるくらいだ。専属執事の魔法契約は解除したままだから、自分で持ってくるつもりではあるけれど。


「ようやくロザリアが俺のものになったんだ」

「あ……そうね、待たせてしまってごめんなさい」

「いや、いいんだ。でも……」


 こんなに歯切れの悪いアレスなんて初めてかもしれない。いつも明瞭でハッキリとものを伝えるのに。


「俺がロザリアを独り占めしていたい。蜜月のあいだは俺だけのロザリアでいて?」


 なに……なんなの! こんな可愛いアレスなんて反則じゃない!?

 不安気に夜空の瞳を揺らして独占欲をむき出しにしてくるなんて! しかもここにきてお願い? あのアレスが私にお願いしてるわっ!!


 私にだけ見せてくれる、少し甘えるような態度はキュンキュンと音がしそうなほど胸を締め付ける。そんな貴重なアレスにノーと言えるわけがない。


「わ、わかったわ。蜜月のあいだはアレスだけの私でいるわ」


 言ってから気づいたけど、私は番なんだしいつでもアレスだけのものじゃないのかしら?

 独り占めって……どういう意味かしら?


「ロザリア……ありがとう。愛してる」


 優しく甘く熱い口づけが降ってくる。唇から頬へ、まぶたへ、耳へ、そして首筋に赤い花びらを散らしながら、私の着ていたシャツに手をかける。


「待って、アレス」

「待たない。蜜月のあいだは俺だけのロザリアでいてくれるんだろ?」

「そうだけど……せめて着替えを……」

「無理。もう我慢できない」


 待って。このセリフ、どこかで聞いたわね?


「さっきからずっと我慢してたけど、この格好ヤバい。めちゃくちゃそそられる」


 そこ!? そこだったの!?

 それは……盲点だったわ! そうとわかっていれば、この選択はなかったのに!!

 そうね、これこそまさしく後悔先に立たずだわ……!


 もう、さっきまでのしおらしいアレスはどこにも見当たらない。私をベッドに押し倒し、獲物を狩るような視線で見下ろしている。どんなに逃げようとしても、アレスのキスひとつで腑抜けてしまうのだからどうにもならない。

 そしてまた私はアレスの底の見えない深い愛に溺れていった。




「もう絶対に離さない。俺だけのロザリア」


 アレスが呟いた言葉は私の耳には届かなかった。




     * * *




 さらに二週間後。

 ラクテウスの街にある雑貨店の店先ではこんな会話が交わされていた。


「よお、クルガン! 魔道具の入荷はあったか?」

「あー、魔道具はしばらく無理だな」

「はあ? だってもう一ヶ月以上経つだろ?」

「いや、それがアレス様は蜜月を三ヶ月取るってよ」

「三ヶ月!? ずいぶん長いな! 普通は二週間くらいだろ? 長くても一ヶ月じゃないか」


 この竜人の言うことは正しい。通常、蜜月休暇は二週間から一ヶ月が妥当なところだ。


「いやそれがな、ロザリア様を落とすのに九年間も耐えたそうなんだ」

「またまた冗談だろ? ありえないって、そんな九年間とか……」

「……冗談じゃないんだよ、カイル様から聞いたんだ」

「ウソ……だろ?」


 番に対する想いや欲の深さを知る竜人たちは、それがどんな苦行なのか想像しただけで青くなる。それをこの国の王太子であるアレスは、九年間も暴走もせずに耐え切ってやっと自分の妻にしたのだ。


「だからな、魔道具はしばらく我慢してくれ。アレス様の九年間に比べたら屁みたいなもんだろう?」

「そう、だな。うん、そっか。それなら我慢するよ」

「悪いな、入荷したらすぐ知らせるよ」

「ああ、頼む。また来るよ」

「いつでも来いよ〜」


 こうして今日もラクテウスの街は平和な時間が過ぎていくのだった。


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