第12話 もう泣かないで(アレス視点)


 俺はロザリア様とともにいばらの道を進むと決めた。


 今でも身を焼くような狂愛が内側で暴れている。

 でも俺の幸せはロザリア様の幸せだ。俺が連れ去ることでロザリア様が泣くなら、この程度の苦しみなどいくらでも耐えられる。


 だからどうか、貴女がせめて心穏やかに過ごせますように。

 願わくば皆に愛される妃になりますように。


 そう祈っていた。それなのに。


 王太子は学園で出会ったしがない男爵家の令嬢に入れ揚げて、ロザリア様を疎かにした。


 俺が堪えていたのはひとえにロザリア様のためだ。健気に耐えて、そのうえ望まれるまま己のすべてを差し出して妃教育と政務をこなしていた。


 俺にできるのは妃教育の帰り道で話を聞いて、慰めるくらいだ。


「お嬢様、そんなに落ち込まないでください。最初からできる人間などいないのです。お嬢様は努力家ですからすぐにできるようになりますよ」

「そうかしら……でも自信ないわ。三か国語を話せるようになるのでやっとだったのに、あと二カ国語が追加になったのよ?」


 これは王太子が勉強をサボり遊び歩いているせいで、ロザリア様にしわ寄せが来ているからだ。あのクソ王子など始末できたら楽なんだが。


「では、これから帰りの馬車では私と外国語でお話ししましょう。追加になったのはノイエール語とカルディア語ですね?」

「え、アレスは話せるの?」

「はい。旅をしている時に滞在していたことがありますので、日常会話でしたら問題ありません」

「本当!? よかった、アレスが教えてくれるならすぐ覚えられそう!」


 久しぶりにロザリア様は花が咲くような笑顔を浮かべた。

 ああ、そうだ。この笑顔が見たくて共に歩むと決めたのだ。俺が役に立てるなら、いくらでも力を貸そう。

 愛しいロザリア様。貴女の笑顔をもっと見せてください。




     * * *




 その日は国中がお祭り騒ぎだった。

 前日から祭りで賑わう街はおめでたいと誰も彼も浮かれている。


「めでたいことなど、ひとつもない……」


 ポツリと呟いた声は侍従用の控室で誰の耳にも届くことなく、慌ただしさにかき消される。

 曇天に覆われた空はロザリア様の心模様を映したかのようだ。王太子との結婚式は国を挙げてのイベントだ。貼り付けた笑顔に誰もが誤魔化されていた。


 やっぱり俺は選択を間違ったのか?

 今なら、間に合うだろうか。まだ引き返せるだろうか?


 はやる気持ちをおさえて、ロザリア様の控室へと向かう。

 先程ひとりにして欲しいと言われ、部屋を後にしてきたばかりだ。他の男のために着飾った花嫁姿に、かつてない苛立ちを感じていたからあっさりと引き下がった。


 でも、まだ間に合うなら。


「お嬢様。お話があります」

「……アレス? 入って。どうしたの?」


 どうして、誰も気がつかないんだ。こんなに無理して笑顔を貼り付けているのに、どうしてロザリア様が喜んでるなんて勘違いできるんだ?


「ロザリア様」


 念のためと防音の結界をはってから話を始めた。


「この手を取ってください。無理する必要はありません。私がすべて処理します」

「……アレスには隠し事ができないわね。完璧な笑顔だと思ったのに」

「何年お仕えしているとお思いですか。さあ、この手を取ってください」


 この手を取ってくれたら、こんな国など滅ぼしたって構わない。俺の愛しいロザリア様を苦しめてきた国など消してやる。


「アレス。ありがとう。本当にあなたの存在が救いだった。ううん、これからもそうだと思う。でも、この手を取ることはできないわ」

「……何故ですか? お嬢様が望むようにすべて片付けます。なんの憂いもありません」

「つまらない私情で国を揺るがすことなどできないし、何よりもアレスに罪を犯してほしくないの」


 いつもそうだ。そうやって、すべてひとりで背負い込んでいらぬ苦労をするんだ。

 俺の愛しいロザリア様。

 俺はどうすれば貴女を笑顔にできるんだ?


「わかりました。では次に……次にお嬢様が幸せにならないと判断した際は、遠慮なく連れ去ります」

「まあ、それではこれからはウィルバート殿下と仲の良い夫婦にならなければ、大変なことになるわね」


 そういってふわりと微笑んだ。やっと貼り付けたような笑顔ではなくなった。

 ロザリア様がそう望むなら。

 たとえ他の男にその笑みを向けても、耐え忍ぶと決めたから。




 ロザリア様が式を終えた日の夜は、眠れなかった。

 ただ部屋の中で膝を抱えて、行き場のない激情を魔力が暴走しないように抑えるので精一杯だった。ロザリア様の傍にいるために、何がなんでも耐えなければいけない。


 考えるな。何も考えるな。

 ただロザリア様が微笑わらってくれればそれでいいんだ。幸せそうにしてくれれば、それだけでいいんだ。


 やがて空が白み、俺の部屋にも朝日が差し込んでくる。長い長い夜が終わった。

 いつか慣れるだろうか。いや、ロザリア様の傍にいるためには慣れなければいけない。


 他の女でも抱けば気がまぎれるか?

 いや、無理だな。チリほども興味が湧かない。そもそも反応すらしないだろうな。


 そんなことを考えながら、いつもより遅い時刻にロザリア様の私室に向かった。本来なら王太子妃として、王太子の隣に部屋が用意されるはずなのに遠く離れたこの部屋を使えと言われた。それだけでも業腹だった。


 王太子にあったら八つ裂きにしてしまいそうだったので、時間をずらしたのはきっと誰も気づいてないはずだ。


 だが、ロザリア様から衝撃の事実を聞いてしまった。

 俺のロザリア様はなんと乙女のままだった。夢じゃないだろうか?


 あのクソ王子はこんなにも魅力的なロザリア様を前に、さっさと愛妾の部屋に戻ってしまっただって? ポンコツを通り越してバカなのか? ああ、バカだから目の前のお宝に気がついていないんだな。いや、それはそれでありがたい。


 怒りよりも先に全身を埋め尽くしたのは歓喜だ。

 俺の愛しいロザリア様が誰のものにもなっていない。誰かを受け入れたからと言ってこの想いは変わらないが、とにかく嬉しかった。


 しかしクソ王子の言い草は捨ておけない。


「ロザリア様、いくらなんでもこの仕打ちはあんまりです。ロザリア様が望むなら、私はいくらでも手を尽くして……」

「ありがとう、アレス。でもいいの。こうなるのではないかと思っていたのよ。でも先にボニータに子ができてしまったら世継ぎの問題で国が揺らぎかねないわね……」


 聡明なロザリア様は自分のことよりも国の行く末を心配されている。本当に思慮深く真面目な方だ。


「陛下と妃殿下にも相談して誓約書を作成しましょう。いらぬ争いを避けるためだもの、きっと許可してくださるわ」

「ええ、当然です。それならいっそのこと魔法誓約にしてはいかがでしょうか?」


 そこで俺は助言した。


 この約束が破られるなら、もういいだろう? こんなクソみたいな国から愛しいロザリア様を解放してくれ。


 そうしたら俺なしではいられないほど、尽くして甘やかして愛するんだ。


 次が最後だ。

 もしこれ以上ロザリア様を傷つけるなら、その時は俺が攫うから。



 だから俺だけのロザリア、もう泣かないで——


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