第11話 せめて傍にいさせて(アレス視点)


 意識が朦朧として死にかけていたとき、突然視界に女神が舞い降りた。

 俺は貴女に出逢うために生まれてきたんだと、その瞬間に理解したんだ。


 俺の唯一。

 俺のすべて。


 貴女はまだ知らない。俺の心を焼き焦がすほどの恋情を。

 ギリギリで押し込めている破滅しそうなほどの狂愛を。

 出逢ったあの日から必死に耐えているのは、ただ貴女の傍にいるためだということを。




 番を探すため故郷を出てから八年が経っていた。

 悪い商人に騙されて俺は奴隷として売られるところだった。気がついたのは魔力封じの腕輪を付けられ檻に入れられた時だ。

 もう三日も水だけで過ごしてたからフラフラだったけど、魔力は残ってたから全力で抗って転移魔法を発動させた。


 なんとか逃げ出したけど、がむしゃらだったから今自分がどこにいるのかもわからない。それよりも魔力まで使い果たしたから極限状態だった。

 とにかく街に行けばなんとかなる。そう思って目の前の道を歩いていた。何も考えず足を前に出すことだけに集中して、一歩一歩進んでいた。


「うわあっ! 危ない!! 待てっ!!」


 焦ったような男の声と馬の鳴き声に顔を上げてみると、慄いて後ろ足で立つ芦毛の馬が視界に入った。

 急に頭を上げたからかクラッとして視界が暗くなる。気がつけば倒れ込んでいて、誰かの腕の中にいるようだった。


 温かい……それにすごくいい匂いだ。なんだろう胸の奥から込み上げるような、この焦燥感は————


 ゆっくりと開いた視界に映ったのは。

 太陽の光を反射してキラキラと輝くアッシュブラウンの髪に、惹き込まれるような深い緑色の瞳。ぷっくりとした熟れた果実みたいな唇は懸命に言葉を発している。


 そんな彼女をみた瞬間、俺の世界は色づいた。

 ドクンと大きく唸った心臓は、早鐘のように鼓動して俺の身体を熱くする。湧き上がってくる感情は強烈な独占欲と、気が狂いそうになるほどの恋情。


 やっと見つけた、俺の唯一。

 俺の探し求めていた番。


 限界だった俺の身体は悲鳴をあげていて、情けないことにそのまま意識を手放してしまった。




     * * *




 俺は希少種の竜人と呼ばれる種族だ。

 竜人は番を見つけて初めて大人の身体である成体へと変化する。番を伴侶にして一人前とみなされるから、ある程度の年齢になると番を探す旅に出るのが成人への通過儀礼だった。

 俺も過保護な親元をあの手この手で説得して旅に出て、人間でいう十二歳くらいの子供の姿でずっと運命の番を探し続けていた。




 意識を取り戻すと、ふかふかのベッドに寝かされていた。様子を見にきてくれた年配のメイドがすぐに食事を用意してくれて、体に負担のかからない食事を与えてくれた。医者も呼んでくれていたみたいで、もともと怪我していたところも手当てが済んでいる。


 彼女はどこだ? 俺の愛しい番は、どこにいる?


「あの、俺を助けてくれた方はどなたですか? 会ってお礼をしたいのですが……」

「あなたを連れてきた方? ああ、このスレイド伯爵家のご令嬢でロザリア様よ。あなたが目覚めたって報告をあげたから、話は伝わっていると思うけど、もう一度確認してお伝えしてみるわね」


 俺の世話をしてくれたメイドに聞くと、彼女のことを教えてくれた。伯爵令嬢である彼女を手に入れるために様々な方法を考えた。確実に伴侶にするために使えるものはすべて使うと即決する。


 そうか、彼女はロザリアというのか……あの愛らしい彼女にピッタリの名だ。他国の貴族令嬢だと少しハードルが高いが、まあ、無理ではない。問題はこの国の貴族が竜人に対してどの程度の理解があるかだ。


 メイドは親切心からか、ロザリアの話を続けてくれた。


「だけどあなたも幸運だったわね。ロザリア様はお優しいから助けてもらえたのよ。さすが王太子様の婚約者だわ、この国も安泰よね」

「は? こ、婚約してるんですか!?」

「ええ、一年前にご婚約を発表されてるけど、知らなかったの? ところで、あなたのお父様とお母様にもお知らせしたいのだけど————」


 その後に続くメイドの言葉は俺の耳に入ってこなかった。


 まさか、そんな……やっと見つけた俺だけの番が、他の男の……この国の王太子の妻になるのか?

 そんなの許せるわけがない……!!


 そんな風に考えた瞬間、休んで回復した魔力があふれ出して部屋の中を駆けめぐる。窓ガラスや周りの家具は魔力の圧力で破壊され、部屋の中は嵐が過ぎ去ったあとのようだった。


「きゃぁぁぁ!!」


 怯え切った悲鳴に我を取り戻して、すぐにメイドの姿を確認する。


「申し訳ありません! 世話をしてもらったのに怖い思いをさせてしまって……怪我はありませんか?」


 幸い世話をしてくれたメイドは無事だったが、騒ぎを聞いたロザリアに私室へと呼び出された。

 メイドには申し訳ないことをしたが、俺にとってはロザリアと話せる願ってもないチャンスだった。




「それで、どうしてあのような状況になったのか聞かせてもらえる?」


 ロザリアの声はそよ風のように優しく俺の耳に届く。うっとりとしそうになるのを何とか気を引き締めて、少しでも好感を持ってもらえるように話をはじめた。


 俺はロザリアの気持ちを確認したかった。

 貴族の婚約なら政略的な場合もある。もしお互いに気持ちがないなら俺が入り込む隙だってあると思っていたし、ロザリアが嫌がっているなら攫っていく覚悟だってしていた。


 だからいつでも感情の機微がみて取れるくらいの距離でそばにいる必要がある。どうしたらロザリアの側にいられる? 決して離れず一番近くにいる方法は?


 この八年で得た人間たちの社会で使えそうな知識を総動員して考えた。このチャンスを逃したら、次はないかもしれない。

 護衛はどうだ? いや、それだと時間が限られるか。侍従は? 確実にロザリアの近くにいられるか微妙だ。


 ああ、そうだ。ひとついいのがあるじゃないか。


「それでしたら俺は魔法も使えるし、護衛もかねてロザリア様の専属執事として雇っていただけませんか?」

「専属執事……?」

「はい、もし俺の出自が問題だというなら提示された条件で魔法契約を結びます。奴隷契約でも構いません。専属執事の技量が足りないなら一年くだされば、すべて身につけます」


 ここで引くわけにはいかない。ロザリアの気持ちを確かめるまでは、どんな手を使っても側にいるんだ。


「……わかったわ。あなた名前は?」

「アレスと申します」

「ではアレス。これからよろしくね」


 そのあと四ヶ月で執事教育を完璧にマスターして、俺はロザリアの専属執事になった。念のためと魔法契約しているが、俺がロザリアを愛することに関してはノータッチだったので問題なかった。




 それから俺は注意深くロザリアを観察した。気を抜けば惚けてしまうが、ロザリアのために世話をするというのは俺の天職だと気づいてしまった。

 ロザリアのことだけを考えて、ロザリアのためだけにすべての時間を使って、ロザリアに笑顔を向けられる。幸せな毎日を過ごしていた。


 心の奥底から湧き上がってくる独占欲の処理には苦心したけど、ロザリアが俺だけに向けるちょっと拗ねたような顔や、屈託のない笑顔を糧に何とか我慢していた。

 ロザリアが幸せならこのままでいいとすら思い始めていた。


 ところが俺の幸せとは反比例するようにロザリアから笑顔が消え、キラキラと輝いていた瞳は光をなくしていった。

 専属執事になって二年が過ぎた頃、ロザリアに思い切って尋ねた。


「お嬢様。もし貴女がこの婚約を受け入れたくないなら、私が攫っていきましょう。どうか、この手を取って下さいませんか?」


 この頃には滅多に笑わなくなっていたロザリアは、硬い表情のまま差し出した俺の右手を見つめていた。ふぅっと短いため息を吐いて、言葉を続ける。


「アレス、ありがとう。でもそれはできないわ。ウィルバート殿下の婚約者になった時に覚悟を決めたの。家族や領地を守れるならどこへでも嫁ぐと。それが私の役目なのよ」

「……差し出がましいことをいたしました。申し訳ございません」

「ううん、ありがとう。アレスはいつもよく尽くしてくれているわ。それだけで充分よ」


 それならどうしてそんな悲しく微笑わらうんだ?

 どうしてその瞳はすべてを飲み込んで悟ったように遠くを見ているんだ?


 どうしたらロザリアは最初のあの頃のように笑ってくれるんだ?

 俺は間違えたのか? あの時に無理矢理にでも攫ってしまえばよかったのか?


 想いは募るばかりで、今では番なんて関係なくロザリアが愛しいんだ。どんな逆境でも前を向くその横顔が、憂いを隠した後ろ姿さえも、何もかもが愛しくてたまらない。


 貴女がこの手を取ってくれたなら、世界のすべてを敵に回しても守りぬくのに。


 それでも貴女がいばらの道を選ぶのなら、俺はどこまでも傍にいよう。決してひとりにしないから。決してひとりで泣かせないから。

 ロザリアの傍にいるためなら、俺の狂愛なんて押し込めてしまえばいい。


 この世界に貴女がいる。

 それだけで俺は充分だから。


 だからせめて傍にいさせて。


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