第10話 返事はキスでお願いします


 アレスに連れられてやってきたのは、二階建てのれんが造りの建物だ。グリーンの屋根が目印で市場から歩いて十分の距離と立地も申し分ない。一階部分はもともと店舗だったようで、少し手入れをすれば商売を始められそうだ。


 二階の住居部分はすでに整えられていて、すぐに不自由なく生活が始められる。今腰掛けているソファーもフカフカで座り心地は抜群だ。


「すごいわ、ここまで用意してくれたの?」

「当然でございます。お嬢様がつつがなく過ごせるよう手配しましたが、不足があればすぐに仰ってください」


 離縁をすると決まったのは今朝のことだ。

 お昼前に実家に戻りもうすぐ日が沈む頃だけど、ずっと隣にいたしこの短時間でここまで用意できるものではないだろう。


「もしかして……事前に情報をつかんでいたの?」


 ボニータが懐妊して、私が離縁されると。王城から追い出されると。

 知っていて黙っていたの? だから今朝もすんなり魔法誓約書を用意できたの?


「はい。二週間前にボニータ様が王宮医師に診察を受けたと聞き調べはついておりました」

「どうして……報告してくれなかったの?」


 せめて心の準備をしたかった。できるならどうにかして実家にも連絡を入れておきたかった。


「お嬢様を私のものにすると決めたからです」


 そう言ってアレスが私の前にひざまずく。真っ直ぐに私を見つめて、今まで決して見せなかった狂熱が夜空の瞳に揺れている。


「お嬢様は私の番です」

「えっ……?」

「すべてを諦めたように生きるお嬢様を見ていられませんでした。卑怯な真似をしたと自覚はあります。ですが、こうでもしないと王家の呪縛からお嬢様を解放することができませんでした」


 番? 私がアレスの番? だからあの場所から私を解放するためにあえて口を閉ざしたの?

 待って、番って……唯一無二の伴侶とか言ってなかった!?


「スレイド伯爵の許可も得たので、やっと何にも邪魔されず気持ちが伝えられます」


 そういえばお父様はアレスに許可を出して任せていたけど、伯爵家を出て私を守れって意味ではなかったの!?


 ゴクリと喉を鳴らすけど、言葉が出てこない。こんなアレスを見たことがない。愛しい気持ちを隠すことなく、うっとりと私を見上げてくる。

 美形なだけに破壊力が半端ない。そこには私の知っているアレスはどこにもいなかった。



「私の愛しい番。愛してます。ずっとずっと、ひと目見た時から狂おしいほど貴女が欲しかった」



 アレスの言葉が荒れ果てた心に優しい雨となって染み込んでいく。

 ずっと欲しかった言葉。

 どんなに望んでも与えられなかった愛情。

 こんなに惜しげもなく、まだ足りないと言わんばかりに全身で伝えてくれる。



「私の妻になってください」



 プロポーズの言葉と共に差し出された手には、いつもの白手をつけていない。


「私の手を取ってくださいますか?」


 幾度となく差し伸べられた手を取ったことはなかった。その時は私が負うべき責務があったから断るしかなかった。

 でも、今なら。今なら応えても誰も傷つかない。

 そう、傷つかないはずだ。


 アレスの問いかけに応えようとして、ハタと考えた。


 私はアレスに気持ちがあるの?

 こんなにも真っ直ぐな想いを向けてくれるアレスに、心から愛してると言えるの?


 そうでなければ彼に失礼だ。それだけじゃない。下手すれば深く傷つけて、主従としても一緒にいられなくなる。

 アレスに愛していると言われたから嬉しいのか、他の人から愛していると言われても嬉しいのかわからない。


 だとしたらそんな不誠実なことをしてはいけない。伴侶を愛さないなんて、そんなこと絶対にしたくない。

 アレスにあんな砂を噛むような日々を過ごして欲しくない。


 伸ばしかけた手は力なく膝の上に落ちた。


「ご、ごめんなさい。私わからないの」

「……わからないとは?」

「アレスの気持ちはとても嬉しいけど、アレスを愛してるのかわからないの。だからすぐに返事ができないわ」


 取り繕う言葉なんて浮かんでこなくて、仕方なしに正直に私の心情を打ち明けた。もしこれで呆れられてしまったらそれまでだ。

 その時は最初の予定通りひとりで生きていこう。


「…………何も考えずに手を取ってくださればいいのですが。私がどれだけ我慢してきたかはさておき、お嬢様が誠実で真面目であるのは存じております」


 アレスの言葉にホッと胸をなで下ろす。どうやら呆れられてはいないようだ。でも続いた言葉が衝撃的だった。


「ではこうしましょう。私は専属執事を続けながらお嬢様を口説きます。もし私と結婚してもいいと思えたら、返事はキスでお願いします」


 キス? いわゆる男女が唇と唇を寄せ合って、場合によっては体液の交換まで行うアレのこと!? それを返事代わりにしろというの!?


「待って、どうしてキスなの!?」

「言葉ではなんとでも言えます。そこは互いに行動で示せばお嬢様も納得されますよね? お嬢様を愛しているからこそ、無理強いをしたくありません。それに私も尋常ならざる忍耐を強いられますから、ご褒美が必要です」

「ううっ……そう言われると反論できないわ」


 そもそもアレスを愛してるならキスをするのに抵抗なんてないはずだ。愛してなければプロポーズだってお断りするんだから、提案として間違っているわけではない……と思う。


「では異論ございませんね?」

「………………はい」


 私の葛藤が追いついたタイミングでアレスが声をかけてきた。この絶妙なタイミングが憎らしい。

 嬉しそうに微笑むアレスにほんわかしたのは内緒にしておいた。




     * * *




 アレスが用意してくれたプロ顔負けの料理の数々を堪能したあと、お茶を飲みながら今後の生活について相談しようとフカフカのソファーに腰を下ろす。

 お茶の用意を終えたアレスがピッタリとくっつくように隣に掛けてきた。さらに当然のように私の腰に手を回してくる。


「ねえ、距離が近くないかしら?」

「お嬢様を口説くと言いましたよね? お嫌でしたか?」

「……嫌ではないのだけど……なんでもないわ」


 無駄に整った顔で心底嬉しそうに微笑むアレスに何も言えない。確かに私を口説くと言ったし、宣言通りの行動をしているだけだ。しかも意外なことに少しも嫌ではない。

 この距離感はもう諦めて、本題に入ることにした。


「魔道具屋をやろうと思うの」

「魔道具屋ですか?」

「ええ、私の取り柄といったらそれくらいしかないし、魔道具の販売をすればアレスを養うくらいはできると思うの。どうかしら?」


 城を出る時から考えていたけど私がひとりで生きていくには、やっぱり魔道具に関わるもので稼ぐしかないと思う。この街に需要がなくても転移の魔道具を使えば世界中に売りに行けるから、アレスに頼らなくてもどうにかなるはずだ。


「お嬢様の作る魔道具ならすぐに買い手がつくでしょう。必要なものをすぐに手配して参ります」

「ありがとう、あとでリストを作るわ。一階を店舗兼作業場にしたいのだけど問題ないかしら?」

「はい、もちろんでございます」


 不安がないと言ったら嘘になるけど、針のむしろだった城での生活に比べたらワクワクすることの方が多い。もともと窮屈な生活なんて性に合わなかったのだから。


「お嬢様、どんなことでも構わないので私を頼ってください」

「ふふ、ありがとう。でもひとりで生きていけるようにしないとダメじゃな——」

「いいえ」


 そう言って私の髪を掬い上げキスを落とす。


「何があってもお嬢様の傍を離れません。もっともっと私なしではいられないくらい、甘えてほしいのです」


 そう耳元で囁かれた。


 どうしましょう。

 うちの専属執事がグイグイ攻めてくるのだけど!?

 そんなうっとりしながら見つめないで! 耳に吐息をかけないで!!

 こう見えて色んな知識だけはあるのよ! 想像力だけは一人前なのよっ!?


「で、では、リストを作ってくるわっ! 明日の朝には渡すわねっ! おやすみなさいっ!!」


 それだけ早口で告げて自室に逃げ込んだ。

 想像以上の攻撃に早くも私の心臓が壊れそうだった。


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