第7話 どうか幸せに


「ロザリア! 本当にロザリアかっ!?」

「ああ、ロザリア! 会いたかったわ……!」

「姉上……お元気そうでよかった……!」


 私は六年ぶりにスレイド伯爵家へと戻ってきた。

 慰謝料を受け取ったあと、アレスの転移魔法ですぐに王城から出てきたのだ。もうあんな所に一秒たりともいたくなかった。


 先触れなど何もなくいきなり戻ってきたのに、お父様もお母様も弟のセシリオも当然のように迎え入れてくれる。

 お父様とお母様は少し髪に白いものが混ざっていて、十七歳になったセシリオは利発そうな少年へと成長していた。鼻の奥がツンとしたけど、泣き方なんて何年も前に忘れたままで涙は出てこなかった。


 ……ひとりじゃなかったんだ。

 ちゃんと私を見てくれる人がここにいたんだ。ちゃんと愛してくれる人がここにいたんだ。


 アレスを見ると、いつもより優しい眼差しで見守ってくれている。それに安心してすべてを話すことを決意した。王城という名の鳥籠でどのように過ごしてきたのか。

 これから私がどうするべきなのか。


「突然帰ってきて……ごめんなさい。実は離縁してきたの」

「「「は……!?」」」


 三人とも固まってしまったわ。お口が開きっぱなしになっているわね。

 ……ちょっと刺激が強かったみたい。


「お嬢様、まずはお茶でも飲みながらゆっくりお話ししたほうがよさそうです。すぐにご用意いたします」


 アレスの私の呼び方が婚姻前のものに戻っていて、本当に帰ってきたんだと実感した。家令のブレスが指示を出してメイドたちが準備に取りかかる。その横顔にはほんのりと笑顔が浮かんでいる。


 私の悪い噂もたくさん聞いているはずなのに、ここいる大切な人たちだけは私を受け入れてくれる。でも、だからこそ失いたくない。だからこそ私がこの場所にいてはいけないのだ。






 王城に移ってからのことをざっくりと順を追って話した。細かく話すとキリがないのと、三人とも青筋が浮かんで殺伐とした空気になったからだ。何より後ろに立つアレスから不穏な冷気が漂ってきて、彼にも相当我慢させていたのだと反省した。


「まあ、でも愚かな王子のおかげで姉上が帰ってきたなら万々歳ですね」

「そうなると王家での魔道具開発は尻すぼみになるだろうから、一波乱起きそうだな。手を打っておくか」

「それよりも今はゆっくり休んで、たくさん甘えなさい。ロザリア、よく頑張ったわね」


 心から心配してくれていた家族に告げるのは本当に心苦しいけど、私のせいで迷惑をかけたくない。だからこの伯爵家からも出て行くと言わなければ。


「……お父様、お母様、セシリオ。みんな大好きです。だから私はこれからひとりで生きていきます」

「なっ! 何故ですか、姉上!!」

「ロザリア……そんな、どうして……」

「…………ロザリア、気にするな。私がなんとかするから、ここにいていいんだ」


 お父様は大体の察しがついているようだ。でも、と私は言葉を続ける。


「婚姻中でさえ情報漏洩の危険があると接触を一切禁止されてきたのに、私がここに戻ってはどの様な言いがかりをつけられるかわかりません。私は国を出ます。そしてひとりで生きていきます」

「そんな……私は反対よ!」

「そうです、姉上! しかもひとりで生きていくなんて……!」

「そんなもの、それこそ魔法誓約書にしてしまえばどうにでもなるんだ。心配ないんだぞ」


 涙が出るほど温かい言葉に決心が揺らぎそうになる。でもここで甘えられない。甘えてはいけないのだ。


「いいえ、それだけでありません。圧力をかけられ領地経営に支障をきたせば、民まで路頭に迷います。私情で判断を誤ってはいけません」


 何より一番近くで王族のやり方を見てきた私にすれば、簡単に推測できることだ。ここでの滞在時間も多くは取れない。そろそろ出立しないとあらぬ疑いをかけられてしまう。


「私はこの国を出ます。そしてひとりで生きていきます。出立の前に家族に会いたかったのです」

「姉上、そんな国を出てどこに行くというのですか!?」

「いやよ、やっと帰ってきたのに……! もう充分でしょう!」


 セシリオは拳を握りしめてソファーから立ち上がり、お母様は堪えきれずに涙を流している。お父様は領主としての視線を私に向けていた。だからこそ私の決断に反論できないでいる。


「ロザリア……もう決めたんだね」

「はい、勝手をして申し訳ありません」


 お父様がそっと目頭を押さえた。わずかに震える肩には、それでも民を守る領主の責任が重くのしかかっている。

 これでいい。これが一番いいのだ。これで私の大切なものを守れるなら、この別れの悲しみを受け入れよう。


「わかった。あとのことは私に任せなさい。ただしひとつ条件がある」

「何でしょう?」

「アレスを連れていきなさい。これだけは譲れない。アレス、許可するからロザリアを頼む」


 お父様の言いたいこともわかる。いくら貴族の令嬢らしくなかったとはいえ、市井で生活はまったくの別物だ。


「ふふ。お父様、それならすでにアレスに押し切られてます。優秀な執事を連れて行って申し訳ありませんが、一緒に来てもらうことになってますので安心してください」

「そうか……アレス、本当に任せていいのだな?」

「当然です。お嬢様には全身全霊でお仕えいたします。旦那様の許可もいただけましたので、もう遠慮はしません」

「わかった。それでいい」


 本当にお父様は心配性なのね。大袈裟なんだから……でも、それがいまは嬉しい。この家に帰ってきて、忘れかけていた家族の温もりを思い出せた。


「それでは、そろそろ出立します。これ以上の長居は危険ですから」


 私は静かにソファーから立ち上がった。アレスに手を差し出せば、そっと宝物を扱うように受け止めてくれる。


「落ち着いたら手紙を書きます。みんなお元気で」


 アレスの転移魔法が発動される。白い光に包まれて、周囲の景色が霞んでいった。


 お父様、わかってくれてありがとう。

 お母様、一番に抱きしめてくれてありがとう。

 セシリオ、私のために怒ってくれてありがとう。

 こんな私を変わらずに愛してくれてありがとう。

 みんな、どうか幸せになって。


 そう祈りながら離縁されたその日のうちに、アステル王国から姿を消した。




     * * *




 これから向かう先に何があるのか、私はまだ何も知らない。

 白い光の中でつい数時間前の会話がよみがえる。


『行きたいところ?』


 王城の私室で荷物もまとめ終わり慰謝料の準備が整うまでの間、次の行き先をアレスに尋ねられた。


『はい、伯爵家を出たらどこか行きたいところはありますか?』

『そうね……誰も私を知らないところに行きたいわ』

『承知しました。では私の故郷はいかがですか? 秘境なのでおススメです』

『いいわね、そこにしましょう』


 こんな軽いやり取りで行き先がアレスの故郷になった。そこなら間違いなく誰も私を知らないとアレスは自信満々だった。本当にどこでもよかったし知らない国に行けるのは、ほんの少しワクワクした。




 白い光が収まって目を開くと、眼下には雲海が広がり澄みわたる青空が視界いっぱいに飛び込んできた。まるで雲の上に浮かんでいるような錯覚に囚われる。

 頬をかすめていく風はほんの少し冷たくて、もうアステル王国から出てきたのだと身体で感じた。


 少し先には街を囲むように白い外壁がたてられていて、大きな門扉が何者も通すまいと固く閉ざされている。私たちは門の前の広場に移動してきたようだ。


「お嬢様、変わりはありませんか?」

「ええ、大丈夫よ。それでここが目的地なの?」


 外壁の下はそのまま断崖絶壁になっていて、山の頂上を切り取って街を作ったようだった。初めてみるアレスの故郷に胸が高なる。


「はい、ここが竜人の国ラクテウスです。国と言っても小国なのでお嬢様にしたら物足りないと思いますが、おおらかな奴らばかりなので気楽に過ごせると思います」


 ここがアレスの故郷。私のことを誰も知らない街。

 私を誰にも愛されない妃だと呼ぶ人がいない街だ。


「そう……まずは受け入れてくれるといいのだけど」

「それなら問題ないです。私がお連れしたのですから、みんな問答無用で受け入れてくれますよ」


 アレスの言葉に優しさを感じた。

 ほんの少しの希望と期待、それと拒絶されないかという不安を抱えて、初めて訪れる街へと足を踏み入れた。


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