第8話 何も知らない王太子(ウィルバート視点)


 やっとボクを縛り付けていた魔法誓約が条件を満たして役目を終えた。


 その知らせが王城中に広がるまでさほど時間はかからないだろう。ボクはそれを悠然と待っていればいいと急足で愛しいボニータの元へ向かっていた。


 ロザリアと魔法誓約をした際に、誓約書の写しを各部署に配布して正妃は誰なのか知らしめていた。あの時は立場に固執するようなロザリアが忌々しくて、余計に憎らしかった。


 でも誓約書に盛り込まれていたから、仕方なく各部署に通達を出して対応させたのだ。高級台紙に挟んで書庫へ保管したり、部門長の部屋の壁に額縁に入れて飾るようになっているから、灰になった魔法誓約書を見て事実に気がつくはずだ。


 ボクが執務室に戻ると、待っていたと言わんばかりにボニータが抱きついてきた。机の上には灰になった誓約書が置かれている。


「ウィル様、本当に離縁が成立したのね! 嬉しいわ……これでお腹の子も安心して育てられるわね」

「ああ、安心してくれ。これでボニータを妃にできる。これからは正々堂々とボクを支えて欲しい」


 ボクの腕の中で可愛らしく微笑むボニータを愛しげな瞳で見つめた。子ができてしまえば、父上と母上も許可せざるを得ないだろう。


 このボクを愛さない女など絶対に妻として認めない。なかなかいい手立てがなかったが、今回の事は以前手続のために訪れた経理部門で魔法誓約書をみたボニータが思いついた計画だ。


 何故こんな簡単なことに気が付かなかったのか、目から鱗の話だった。ロザリアが自らの策に溺れたようで、なおさら気分がよかった。

 あとはどこか伯爵家か侯爵家の養子にして妻に娶れば問題ない。ボクたちの計画は万事うまくいくはずだった。




     * * *




 慰謝料を受け取ったロザリアが王城を去ったと、ボクの補佐であるハルクから報告を受けた。


「なっ……もう出て行ったのか……? ついさっき離縁したばかりだぞ!?」

「はい、慰謝料を受け取られ即座に転移魔法で移動したところを見届けました」

「っ! 何なんだ、あいつは最後に挨拶もできんのか!」


 あっさりと出て行ってしまったロザリアに苛つきながらも、戻ってきた書類仕事を片付けていく。ひと段落してボクとボニータは政務の小休憩でお茶を楽しんでいた。そこへ宰相に呼び出されたはずのハルクが執務室に駆け込んでくる。


「ウィルバート殿下、失礼いたします! 陛下が今すぐに大会議室に来るようにとの仰せです! ただちに向かってください!!」


 ハルクの顔色は青を通り越して白くなっていた。護衛を務める側近として一緒に仕えているゴードンも眉をひそめている。


「一体なんだと言うのだ? ああ、ロザリアとの離縁の件か?」

「おそらく……ただ、かなりお怒りの様子です。ボニータ様も一緒にお連れするよう申しつかっております」


 予想通りの流れに短くため息を吐く。むしろこれからが本番だ。


「わかった。ボニータ、一緒に行こう。ついでにボク達の婚約の話をまとめてこよう。結婚式の日取りも決めてしまおうか」


 ボニータに手を差し出して優しくエスコートすると、頬を紅潮させて笑顔を浮かべた。今は身体を大事にしなければいけない時期だからと、細心の注意をはらって足を進めていく。ゴードンも連れて四人で部屋をあとにした。


「ウィル様、嬉しいわ! こんなにすぐ認めてもらえるなんて、少しつわりで辛いけど……私、頑張るわ」

「ああ、だけど無理はしないように。どうしても辛ければ、すぐにボクに言うんだ」

「はい、私は本当に幸せです……」


 そう言って寄り添ってくるボニータの肩をウィルバートはそっと抱き寄せた。






 大会議室に到着すると国家の重鎮たちが集まっていた。父上をはじめ母上もその場にいるのは珍しいことだった。


「父上、お呼びと伺って参りました」

「ウィルバートッ!! 貴様、一体何をやったのだ!?」


 ボクが顔を見せた途端、怒号が飛んできた。父上は顔を真っ赤にして、ぶるぶると震えている。こんな風に激しく叱られることなどなかったので、一瞬怯んでしまった。


「……ロザリアとの離縁のことでしょうか?」

「それ以外に何があるというのだ!! 貴様は王太子であるのに、ことの重大さがまるでわかっておらんのか!? すでにこの城にもおらんのだぞ!!」


 周りにいる各部門の長たちが冷めた眼差しをボクに向けている。なぜこんな風に白い目を向けられ、ここまで父が怒っているのか見当もつかない。


「父上、恐れ入りますがロザリアがいなくなったところで、何が問題だというのですか? どうせ大した仕事などしていないでしょう」


 ボクの言葉にあちこちからため息がこぼれた。


 何なんだ? ロザリアなど地味で大して役に立たない妃で、現に他の者たちも裏では様々な陰口を叩いていたではないか。


「お前は……五年以上もロザリアの夫でありながら、何も知らんのか……!?」

「僭越ながらウィルバート殿下、私からご説明いたします」


 口を挟んできたのは、宰相であるフリード公爵だ。父が学生の頃から補佐として辣腕を振るっている。


「まずロザリア様は類い稀なる頭脳で魔道具の開発や監修をされており、国家の治安や軍事力の向上、他にも国民の生活レベルの安定に貢献されておりました。また実質的に殿下の政務も七割方はロザリア様が処理しておられました。これはハルク殿もご存知ですな」

「はい……殿下の指示で書類のみの仕事はロザリア様に回していました」

「それでは、これからはウィルバート殿下が魔道具の開発もしつつ、ご自身の政務と空席である王太子妃様の分の政務もこなしていただけるのですか?」


 何を言っているんだ? ボクが魔道具の開発をする必要はない。何よりロザリアの代わりのような扱いに怒りが湧き上がってくる。


「政務はボクが処理します。魔道具の開発については、指揮を執れるなら別の者でも問題ないでしょう」

「別の者にロザリアの代わりが務まるというのか!? 指揮を執るだけではないのだぞ! 画期的な開発もしていたのだぞ! それでどれだけ国庫が潤ったと思っておる!!」


 正直そこまでとは思わなかった。

 ロザリアにチリほども興味がなかったから、詳しく知ろうともしなかった。ボニータとの婚約までまとめたいのに話が悪い方へと進んでいく。だけどボクたちだって無策でこんなことはしない。


「それなら解決策があります」


 父上は厳しい視線をボクに向けた。


「なんだ、申してみよ」

「魔道具の開発ならボニータの父に任せれば問題ありません。最近では新しい魔道具がもうすぐ開発できると聞いております。爵位は高くありませんが、それでも領主としての手腕もありますので適任ではないでしょうか?」


 ボクの提案に大会議室は静まり返った。ボニータの父であるファンク男爵で本当に能力が足りるのか慎重になっているようだ。


「そうだ、この前ファンク男爵が開発された魔道具を見せたらどうだ? たしかゴードンの剣を改良していたな?」

「はい、この剣についているのが魔法効果を付与する魔道具です。柄にはめるタイプのもので、ロザリア様が開発されたものよりも火力が高く魔物の討伐の際に役にたつと思います」


 ゴードンの腰にさしていた剣を疑念が浮かぶ重鎮たちに渡す。その剣を見ていた父上も唸っていた。


「よし、それではファンク男爵を魔道具の開発部門の長として任命する」

「お願いします。それで——」

「それで、ボニータと言ったかしら。懐妊したというのは本当なの?」


 ボニータとの婚約の話をしようと思ったら、今度は母上が彼女を睨みつけている。まったく少しはボニータに優しく接して欲しいものだ。


「はい、先日の医師の診察では現在十週目と言われております。予定日は秋半ば頃です」

「……そう。具体的な予定日はいつなの?」

「ええと、朝霜あさしもの月の八日です」

「その日で間違いないのね?」

「はい、間違いございません。よかったら王妃様から王宮医師に確認していただいても問題ありません!」


 感情の読めない母上はここで何か考え込んでだまり込んでしまった。そろそろボニータを解放してやりたいからちょうどよかった。


「では父上。問題も解決したようですし、このままボニータとの婚約を認めていただけませんか?」

「うむ、仕方あるまい。腹に子がいるのなら早い方がいいだろう。書類については後ほど知らせる。王太子妃教育も進めねばならんな」

「ありがとうございます! 無理のないペースでお願いします。ひとりの体ではないのですから」


 大会議室の中は問題の解決とともに穏やかな空気に包まれた。

 ボクは父上や重鎮たちと国民にさえ不人気な王太子妃がいなくなって、むしろ喜ばしいと軽く話してからボニータを連れて大会議室を退室した。


 ただひとり宰相だけが眉間に深いシワを刻み無言だったが、ボニータと婚約できた喜びでその様子にはまったく気がつかなかった。


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