第4話 誰にも愛されない妃


 卒業パーティーの日もウィルバート殿下がエスコートしたのは大輪の花のように着飾ったボニータだ。

 同性の私から見ても華やかで美しいのだから、ウィルバート殿下が心を奪われるのもわかる気がする。


 卒業パーティーは在校生である生徒会の副会長が主導で手配するものだった。ウィルバート殿下は放課後はボニータと帰ることが多かったので、当然のように準備は進んでいない。だからこっそりとウィルバート殿下からの指示だと言って私がすべて手配した。


 昨年もこなしたので勝手はわかっている。前年よりもステキな卒業パーティーにできるだろう。私はつつがなく卒業パーティーが進行しているのを確認してから、そっと出口に向かった。



 帰ろうと会場を後にしたところで、いつものようにアレスが出迎えてくれる。


「お嬢様、もうお帰りになりますか?」

「ええ、もう帰るわ。明日からは朝から妃教育だもの」

「かしこまりました。では馬車までご案内いたします。僭越ながらエスコートしてもよろしいですか?」

「もちろんよ。お願いするわ」


 ウィルバート殿下の卒業パーティーの采配に対する賛辞を背にして、アレスのエスコートに身をゆだねる。最初にあった頃より随分と背も伸びて逞しくなり、すっかり青年の姿へと成長を遂げていた。


 その日初めて受けたエスコートはとてもスマートで、添えた指先に感じるアレスの温もりが私の心まで温かくしてくれた。

 いつもより暗い馬車の中で月明かりを浴びるアレスは神秘的な空気をまとっていて、ずっと見つめていたかった。


「お嬢様」


 私を射抜くように見つめる夜空の瞳は、どこか悲しげだ。


「もし私が手を差し伸べたら、お嬢様はその手を取ってくださいますか?」

「……そうね、助けが必要な時はもちろんそうするわ」

「今は助けが必要な時ではないのですか?」


 助けが必要? 一体なんの助けが必要なんだろう?


「今は……必要ないと思うわ。だって卒業パーティーは昨年よりも上手く手配できたし、ウィルバート殿下も機嫌が良かったし、みんな笑顔だったわ」

「お嬢様は? お嬢様は笑顔になれましたか?」

「私? ええ、もちろんよ。みんなが笑顔なら、それでいいの。だからアレス、そんなに悲しそうな顔をしないで」

「…………承知しました」


 揺れる夜空の瞳は俯いて隠されてしまった。彼の膝の上で固く握られた拳はわずかに震えている。


 ねえ、アレス。貴方がそんな風に思ってくれるだけで私は頑張れるのよ。妃教育で気持ちを隠すことを覚えて、心の声はとっくに聞こえなくなったけど。

 でもお父様もお母様もそれに屋敷のみんなも私を応援してくれる。

 ……だから私はまだ頑張れる。




 私は一年早く学院を卒業していたし婚約解消されるならそれも仕方のないことだと思っていた。けれどウィルバート様の卒業が迫っても私は婚約者のままだった。

 妃教育の兼ね合いや、その頃には王妃殿下の政務を手伝ったりしていたから私と婚姻した方が都合がよかったらしい。


 私に対する反発心からか、ウィルバート様は婚姻と同時に最愛であるボニータを王城へ召し上げた。


 そうして迎えた初夜で、ウィルバート様の言葉はまたもや私の心を抉った。


「いいか、ボクはボニータしか愛さない。お前もいずれは世継ぎのために抱かねばならんが、しばらくはないと思ってくれ。必要になったらこちらに足を運ぼう。では、何かあればボニータの部屋に使いを出してくれ」


 自分の言いたいことだけ伝えて絶句している私をそのままに、ウィルバート様はボニータの元へと行ってしまった。


 もしかしたらこれを機会に新たな関係が築けるかもしれないと思っていたのは、私だけだったようだ。


 そこまで嫌われるようなことをしたのだろうか? たしかに初めてお会いした時はヤボったい田舎の伯爵家の令嬢だったと思う。でも、あれから王太子妃になるべく努力はしてきたつもりだ。だけどその努力はウィルバート様には届いていなかった。


 夫婦になればと抱いていた淡い期待も、枯れ果てた涙の代わりにため息で吐き出した。 




 翌朝はいつも通りひとりで起きて、アレスが来るのを待っていた。さすがに彼には事実を話しておかないと不便が多いだろう。

 いつもより遅くやってきたアレスに昨夜の出来事を正直に話した。


「だからウィルバート様の話しぶりからすると、しばらくは今まで通りで構わないわ」


 すべてを聞き終えたアレスは静かに怒りを湛えている。私のために心を動かしてくれる彼にほんのりと心が温かくなる。そうやっていつだって私に寄り添ってくれた。


 ひとつ残念なのは王太子妃になったからと、前のように『お嬢様』と呼んでくれなくなったことだ。アレスだけがそう呼んでくれていた、その呼び方が好きだった。


「ロザリア様、いくらなんでもこの仕打ちはあんまりです。ロザリア様が望むなら、私はいくらでも手を尽くして……」

「ありがとう、アレス。でもいいの。こうなるのではないかと思っていたのよ。でも先にボニータに子ができてしまったら世継ぎの問題で国が揺らぎかねないわね……」


 ウィルバート様の婚約者になるときに、大切な人たちのためにこの身を捧げる覚悟はしていた。私の想像とは違ったけど、それでも受け入れるしかない。


 だけど昨夜ウィルバート様が去ってホッとしている部分もあった。正直なところウィルバート様に触れられるというのが想像できない。どこか他人事のように感じていた。


 時期が来たら子は作るつもりのようだし、それまでに心の準備をしておけば差し当たって問題はないと思える。


「陛下と妃殿下にも相談して誓約書を作成しましょう。いらぬ争いを避けるためだもの、きっと許可してくださるわ」

「ええ、当然です。それならいっそのこと魔法誓約にしてはいかがでしょうか?」


 アレスの進言になるほどと思った。

 魔法誓約なら強制力があるから約束を違えることはできない。もし約束を違えてしまったら、全身に罪人の証として黒い鎖の模様が浮き出て隠し通すことはできない。そのような者は王族でいられないのだ。


 そこですぐに陛下と妃殿下に許可をいただき、一夫一妻制のこの国で正式な妃は私だからと、最低限のルールとして子はもうけないように約束してもらった。きちんと魔法誓約書にして残してあるから、滅多なことでは破られないだろう。

 これで王位継承に関する揉め事は避けられると安心した。






 それからも気遣いの言葉や誕生日の贈り物など当然のように何もなかった。正式な妃として婚姻したにも関わらず、白い結婚のまますでに六年近くが過ぎている。


 国王陛下と王妃殿下は私が政務をこなしていれば、夫婦の関係には口を出してこない。

 臣下たちは夫から愛されない哀れな女と陰で嘲笑っている。

 国民はウィルバート様を称えても、王太子妃についてはいつも何をしているのかと不満を抱えていた。


 私が魔道具開発の指揮をとっているから情報漏洩防止のため、家族とは婚姻してから面会はおろか連絡を取ることすら許可されなかった。それが誤解を招き家族からも愛されていないと噂が広まるのは早かった。



 愛想のない可愛げのない妃。

 執務はできるが懐妊できない妃。

 夫に見向きもされない妃。

 誰にも愛されない妃。



 これらはすべて私のことだ。


 私の味方と呼べるのはアレスだけだった。だけど主人と執事という雇用契約の上に成り立つ関係だから、甘えてばかりはいられない。


 ずっとずっと、孤独だった。

 いや、今でも……これからも私は孤独な人生を送るのだろう。



 そんな私の日常を変えたのは、六度目の結婚記念日だった。


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