第五十話・首都アフラ・マズダ

 一夜明け、首都を目指して再び馬車で進む一行。

 首都に一番近い街を抜けただけあって、周りの景色はかなり違ってくる。

 まず驚いたのは出発してすぐに関所があった事だ。

 武装した悪魔兵が十名程立ちはだかって馬車を止めた。

 「見ない顔だな」と鉄兜の奥から怪しむ視線をひしひしと感じた。

 怪しむ気持ちは大和にも理解できる。

 見るからに柄の悪い女と修道女、ひ弱そうな男。

 この珍妙な一行を疑いの目を向けずにすんなり通す事ができようか。

 その上、グレモリーが酷く横柄な態度をとるせいで疑いの目は増すばかり。

 この悪魔はなんて余計な事を。

 そう思っていた時、悪魔兵の一人が思い出したように声を上げた。


「ウォフ・マナフの暴君……」


 グレモリーの強さと傍若無人ぶりから名付けられた二つ名。

 悪魔兵たちはそれまでグレモリーに対抗して強気な姿勢を改め、全員同時に一礼した。

 どうぞお通りくださいとでも言わんばかりに道を空ける。

 笑顔で鉄兜をぺしぺし叩きながら馬車を進めるグレモリーを見ているだけで腹が立った。

 そうして関所を抜けると、今まで遭遇しなかった荷馬車、散歩中と思われる家族。

 小川には橋がかけられ、混凝土コンクリートで整えられた街道は遠くにうっすらと視認できる街へと続いている。

 トロールといった怪物が出現しないのは首都周辺を特殊な魔方陣で守っているからと、あたかも自分の成果のように話すグレモリーにまた腹が立つ。

 空に羽ばたくドラゴンが一行に影を落とした。

 それを振り仰いだ修道女が口を開く。


「この辺り、随分と変わってますわね」

「そりゃ千年も経ってるからな」


 誰に言うでもない独り言を大和が拾う。

 千年もの間、布教活動に勤しんでいた修道女にとっては故郷は別世界になっていてもおかしくない。

 なのに「随分とかわっている」だけで済んでいるのは、その程度の変化という事なのだろうか。


「月日の流れというものは恐ろしいですわ。景色を変え、命を枯らし、歴史を作る。できるなら、平凡でも平和な日々が永遠に続いてほしいものですわ」

「それでは面白くなかろう」


 御者台のグレモリーが手綱から手を離し、進行方向に背を向けて話に割って入る。


「戦争、災害。歴史の生き証人となり、感化された者がまた新しい歴史を作る。そして死んでいく」


 昨日までの不機嫌はどこへやら。

 昨晩、大和を短時間辱しめただけで解消されたのだとしたら、なんと気分屋な事だろうか。

 気まずい空気が流れないのは良い事だが。


「我々が生きておるのも、その者たちのおかげじゃ。それを蔑ろにするでない」

「お前、先人を尊敬にするやつなのかよ……」


 意外過ぎるグレモリーの一面に驚愕の表情で大和は固まってしまった。

 常に、自分、自分、自分。

 悪魔界の王であるベルゼブブすらも貶すグレモリーに尊敬の気持ちがあるとは思えない。

 一ヶ月近く彼女の傲慢さを見てきたからわかる事だ。

 果たして、顔も知らない過去の者たちに対する尊敬は希薄だろうが、真実か嘘か。

 やはりグレモリーは理解できそうでできない。

 実に面倒なやつだ。


「失敬じゃな。我も尊敬ぐらいするわい」

「大和さん、グレモリーさんは嘘を吐いてはいませんわ」


 大和の肩を軽く叩き、修道女が笑顔で言った。

 まだ街の修道院にいた頃、信者が犯した罪を聞き、神――正確には悪魔王ベルゼブブ――に赦しを得る儀式をしていた。

 だが中には修道女に会いたいがために嘘の罪を告白する輩も少なからずいた。

 そのため相手の声色、表情の動きから嘘を見抜く能力を身につけたのだ。


「でも尊敬の気持ちがあるなら、悪魔王様を少しは信仰してもよろしいのでは?」

「我はあやつがどうもいけすかなくての。生憎、信じているのは自分のみじゃ」


 修道女は残念そうに肩を落とす。

 ささやかだが、「グレムはそういうやつだから」と励ましてたのは大和だ。

 修道女はまた笑顔で会釈をして応じた。

 そうこうしている内に目指す場所、首都アフラ・マズダの全容が鮮明になってきた。

 街の周囲をぐるりと城壁が囲み、それを越える高さの建造物がいくつか見える。

 修道女が指差しながら、あれは議事堂であれは時計台で、と懐かしそうに言う。


「グレムは首都に来た事は?」

「あるが、かなり昔じゃな。ここのやつらとは話が合わん」

「あら、皆様良い方ばかりですのよ」


 グレモリーが舌打ちをして顔を顰める。


「バカみたいに気位が高い。見下してるのが目に見えとる」


 つくづくは自分勝手だ。

 大和からすればグレモリーも気位が高く、他を見下している。

 何なんだろうか、この悪魔は。


 ※ ※ ※


 首都の賑わい様は凄まじいものだった。

 ウォフ・マナフの賑わいとは比べ物にならないくらいだ。

 門を潜り、馬車を適当なところに停めた一行は雑踏の中を歩く。

 道の両側に出店が並び、店主が呼び込みをしている。


「そこのお兄さん! 獲れたて深海の珍味を味わってみないかい! 素揚げがおすすめだよ!」

「うちの名物! ドラゴンの串焼きはいかが! 今すぐ食べられるよ!」

「旅に出るなら都で一番の品揃えのうちに来てください!」


 その他に鑑定屋、塗装屋、鍛冶屋。

 これがまだ街に入ってまだ一分も経っていない光景だと思うと、全体の店はどれくらいだろうか。

 民家が建ち並ぶ場所はあるのだろうか。

 そう思うのも仕方ない。ここは広い悪魔界の二大首都の一つなのだから。


「この活気だけは千年前と変わらないですわね」

「戦地から一番遠いから平和ボケしておるだけじゃろ」

「別にいいだろ。水を差すなよ」


 相変わらず余計な一言が多いグレモリーを諭す。

 確かにアフラ・マズダはアガレス派の本拠地からは遠く離れている。

 安全地帯と言えばそうなのだが、それでも戦争に巻き込まれる可能性は零ではない。

 今この瞬間にも、アガレス派が攻めてきてもおかしくはないのだ。


「で、お主はどこへ向かうのじゃ?」

「修道院に行こうかと。道が変わってなければいいのですが……」

「そこは有名なのか?」

「そうですわね……。当時は悪魔界で一番の規模でしたわ」

「なら聞けば教えてくれそうだな」


 近くにいた悪魔に尋ねてみた。

 修道院と聞き、「たくさんあるからなぁ」と諦めたように漏らしたが一番の規模という補足を付け加えると、はっと思い出したように場所を教えてくれた。


「今でもあるって。街の南側にあるらしい。そんなに遠くない」

「ならばのんびり歩くとするか」


 大和を先頭に教えられた道を行く。

 店が建ち並ぶ大通りを外れると雑踏の数も少なくなり、歩きやすくなった。

 それでも大通りの喧騒は耳にしかと届いている。


「お二人はここに何日か滞在するので?」

「いや、用を済ませたらすぐ出発するつもりじゃ」

「そうですか……」


 修道女は視線を落とし、悲しそうに呟く。


「ここまでご一緒できた事、大変感謝いたしますわ。私、ずっと一人でしたので」


 千年間の布教活動。

 人間である大和にとっては考えただけでも気が遠くなる年月。

 教えを広めるのは簡単ではない。

 既に信仰している対象よりこちらの方が素晴らしい事を伝えなければならない。

 意見の衝突もあった。危険な目にもあった。

 修道女はたった一人でそれを成し遂げた。そして街へ戻ってきた。

 親切にしてくれた大和とグレモリーと別れるのは胸が痛い。

 だが、


「出会えてよかったですわ。本当にありがとうございます。お二人には、また会える気がしますわ」


 別れる時は笑顔で。ずっと心掛けてきた事だ。


「奇遇じゃな。我もそう思っていた。その時はお主の腕っぷしと闘ってみたいものじゃ」

「それしか頭にないのかお前は」


 揃って笑い声を上げた。

 歩き続け、細い路地から出ると中央に噴水がある広場に辿り着いた。

 三人の前方に修道院らしき佇まいの建物がある。

 いくつもの修道院が集まった大修道院と呼ばれるそれは一番手前にある建物が見上げるほどの高さで大和は驚いた。


「ここで合ってるか?」

「間違いないですわ。本当に懐かしい……」


 修道女は二人に向かい合って頭を下げた。


「このご恩は決して忘れませんわ。お二人の旅路に悪魔王様のご加護がありますよう祈っておりますわ」

「よい。それより早よう行け。お主を待ってる者がいるのじゃろ」

「はい。では、失礼いたしますわ」


 小走りで修道院の方へ行き、一旦立ち止まる。

 振り返って一礼。手を振って、また走る。

 その背中に向かって大和は手を振った。

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