第四十九話・不機嫌な暴君
「では、私はこちらのお部屋なので。お二人共、ごゆっくりなさってください」
扉の隙間から微笑む修道女がひらひらと手を振る。
音もなく扉が閉ざされると、大和とグレモリーが宿泊する部屋は一番高値のものを選んだというのに居心地が悪い。
原因は言わずもがな、グレモリーである。
数時間前、首都に向かう道中で修道女に出会い、言葉を交わしてからずっと不機嫌のまま。
至福の時間であるはずの食事の際も仏頂面。
修道女の問いかけにも短く淡々と答えていた。
最初は気さくに話しかけていた修道女は次第に口数が減り、ついには誰も話さないどんよりとした空気の食事という最悪の状況になった。
そのせいで味はよく覚えていない。
修道女がいたから食事はまだよかった。
だが、就寝時はそうはいかない。
大和が添い寝をする事は逃れようのない決定事項。牢獄から解放されたその日から、それは変わらない。
「明日には首都に着く?」
「朝に発ち、何事もなければ昼には着く」
「そっか」
会話が一旦途切れる。少しの沈黙すら耐えられなくなり見きり発車で繋げようとする。
「あの人、強かったな。グレムと張り合えるんじゃねぇの?」
「いや、膂力が足りん。足捌きもまだ発展途上。我には及ばん」
「なんで言い切れる」
「我より強ければトロールごとき、手助けなしで葬れる」
「そっか」
「自分から話しかけておいて気のない返事じゃの」
その場で大きく背伸びをしたグレモリーはベッドに背中からダイブする。
灯りに照らされて大量の埃が舞ったのが見えた。
咳払いをした大和はどうしようかと棒立ちになっていると、顔を起こしたグレモリーが鋭い視線を向けた。
「呆けるなよ、大和。電気を消して、近こう寄れ」
火に油を注ぐ。グレモリーと過ごしてこの諺の意味が心に染みる。
間違ってもそのような事をしてはいけないのだ。
諦めと憂鬱が混ざった息を吐き、左右に首を振る。
灯りを消すと、家具のシルエットさえもわからない暗闇。
カーテンを閉めた窓の外は風が強いようで、窓枠がかたかたと震えていた。
歩を進めてベッドの端を手で確認すると、グレモリーに背を向ける形で横になる。
「これでいいか?」
「うむ。問題ない」
背中に当たる二つの大きな膨らみに寝心地の悪さを感じつつも、目を閉じて英気を養おうとした。
その時、不意に体が少し浮き、グレモリーの両腕が巻きついた。
「な、ちょ、グレム!?」
「動くな。絞め殺されたくはあるまい」
耳元で囁かれ、振り払おうとしていた腕を収める。
グレモリーなら本当に実行しそうだからだ。
続いて声を上げないように指示される。
隣の部屋で眠る修道女を起こさないためだ。
「よしよし。聞き分けのいいやつは好きじゃぞ」
「離せよ」
「声を抑えろ。しばしの間、我の好きにさせてもらう」
そう言ったグレモリーはまるで触診するかのように大和の体を触り、撫で、揉み、軽く叩く。
くすぐったくて
その度に「動くな」と囁かれ、耳に息を吹きかけられる。
一瞬びくりと体が強張る。
「や、やめろってぇ……」
「言葉に力が込もっておらぬぞ。もっとお主の声を聞かせておくれ」
彼女の腕力を身をもって知っている大和は抵抗する気力が失せていた。
なるべく声を出さないよう、為されるがまま愛撫ともとれる行為を許す。
声が聞きたいグレモリーと声を出したくない大和。
だが主導権を握っているのは好き放題に体を触るグレモリーであり、大和はただ我慢しているだけ。
ならば声を出させるため別の手段を講じるのが筋というものだ。
例えば、服の上からではなく直で。
そう決断してから行動に移すまでグレモリーは一切の躊躇がなかった。
大和の服に僅かな隙間を作り、そこから片方の手を滑り込ませる。
「お、おい! グレ……」
何も触れていないのに口が塞がった。加えて、両腕がびくともしない。
固有魔法『支配』によるものだと瞬時に理解した。
つくづく汎用性の高い固有魔法を身につけている事に、グレモリーと『支配』を巡り合わせた何かを恨む。
「無駄な魔力を使わせるな。お主が大人しくしていれば乱暴な事はせん」
色気を孕んだ声で、ゆっくりと喋る。
いちいち吐息が耳に当たってこそばゆい。どうせわざとなのだろうが。
直接肌に触れるグレモリーの手が腹筋を撫でる。
「ほう」と感嘆の声。撫でる動作は止まらない。
「初見の頃よりも発達しておるでないか。鍛練の成果が出ておるな」
くくく、と気持ち悪く笑う。
ほぼ毎日、グレモリーの身体能力基準の過酷な鍛練をやっていれば嫌でも筋肉は付く。
巨神器を覚醒させたのに、素体の鍛練はそもそも必要ないのではと思ってしまう。
だがグレモリー曰く、強い肉体にこそ強い魔力が宿るのだとか。
彼女は平気で嘘を吐くため、真偽の程はわからない。
「どれ、胸の方も品定めしようかの」
この悪魔の好き勝手されては貞操が危うい。
こんな事もあろうかと大和は秘策を隠していた。
腕が動かないのならば足がある。
僅かな切り傷でも付けられるように研いでおいた足親指の爪。
足の甲を切り裂いて、『血液』の固有魔法で紅血の刃を作り出す。
「む」と唸るグレモリーだが、もう遅い。
刃は、グレモリーの喉元を捉えていた。
「これは……お主のか」
「んーっ! んーっ!」
「そうか、すまんな。今解こう」
途端に口が開いた。忌まわしき『支配』から解放されたのだ。
「言ってなかったな。俺の魔法だ」
確実に今ここで男女が抱き合いながらする話ではないが仕方ない。
いずれバレる。言うタイミングがなかっただけだ。
「これは驚いた。一体いつ?」
きょとんとした顔のグレモリーが聞く。
煽り散らかしたい気持ちを抑え、大和は落ち着いて答える。
「学校でレラジェと戦った時だ」
「ふむ。固有魔法を体現したのに隠してたわけか」
さて、どう出るだろうか。
怒り狂うか? 暴力を振るうか? 気にせず愛撫を続けるか?
何にせよ無事で夜を明かす事は諦めた方がよさそうだ。
「……気が失せた。刃を収めよ。寝るぞ」
意外にもグレモリーはしおらしい反応を見せた。
服の中に入れた手を抜き、大和の腰に両手を回し、寝息を立て始めた。
身勝手の権化であるグレモリーらしい行動ではあるが、あまりにも急過ぎないだろうか。
まるで固有魔法『血液』を忌避しているかのような。
大和にはそう感じられた。
なぜ忌避するのか。理由をいくつか考えたが、どれも的を得ているとはとても言い難い。
考えている内に睡魔に襲われ、いつの間に大和は眠っていた。
「お主を助けたのは間違いではなかったようじゃな」
目を閉じたままグレモリーは言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます