第四十八話・素性、そして同行
グレモリーの目つきが変わった。もう一度、大和の足を踏む。
正気に戻った大和は悟られないように警戒を強めた。
張り詰めた空気が三人を取り巻く。
修道女は首を傾げて不思議がっている。
大和が人間である事は一言も口にしてないし、勘づかれる行動も起こしていない。
問いただそうと口を開きかけた時、グレモリーに先を越される。
「なぜわかった?」
相手を威圧する恐ろしい剣幕で言うグレモリーを一切恐れず、修道女はにこりと笑って答えた。
「実は私、約千年間、この世界を旅してましたの。色んな方や生き物、景色を見てきました」
「ほう、それは
「布教活動ですわ」
悪魔界にも一応宗教は存在している。
信仰対象は神体や故人と、人間界と変わらない。
先日、ベルゼブブから聞いた偽王国のような新興宗教も少数ながらあるらしい。
修道女曰く、自分は悪魔界の王であるベルゼブブを信仰し、その素晴らしさを広めるために長らく世界中に赴いていたのだと。
それを聞いたグレモリーが嫌な顔をしたのは言うまでもない。
「なので何となくわかるのです」
修道女は当たり前のように言うが、その説明で「なるほど」と納得できるはずがない。
身勝手の権化であるグレモリーがいるなら尚更。
「お主、名は?」
「名乗るほどの者ではございませんわ。私は悪魔王様の忠実なる
ただの悪魔が千年間も布教活動したり、格闘術でトロールを倒せるものか。
だが話を聞く限りは修道女は味方である事は理解できる。
色々とおかしな部分を除けば熱心な信仰者だ。
「では、私からも質問をよろしいですか?」
「……よかろう」
「あなた方のお名前を知りたいです。恩人なので、是非とも教えてほしいですわ」
グレモリーは答えなかった。
自分が名乗らないくせになぜ名乗らなくてはならないのか。
グレモリーの偏屈な性格を考えれば当然の事だが、大和はそうではない。
不信感はあれど、名乗らないのは何か理由があるのだろう。
それを尋ねるのは些か不躾であり、修道女の尊厳を傷つける事になる。
だから、グレモリーの代わりに口を開いた。
「俺は大和。こっちはグレモリー」
「大和さんにグレモリーさん、素敵な名前ですわね」
隣から舌打ち。足元の石を蹴る。
暴力を振るわれる事に比べれば取るに足らない攻撃だ。
「お二人はどちらへ向かうんですの?」
「首都のアフラ・マズダに用があるんだ」
すると、修道女は「うーん」と唸りながら考え事をし始めた。
馬車に目をやり、グレモリー、大和と視線を移し、最後に遠くの方を見やった。
何か言おうと逡巡しているようで、もじもじと両手の指を絡めては離し、絡めては離し、「えっと」とか「その」などと小さく呟いている。
その様子に痺れを切らしたグレモリーが言う。
「言いたい事があるなら早よ言え」
修道女はびくりと肩を跳ね上げた。
何もそんな強い言い方をする必要はないが、単に苛ついているだけだろう。
初対面の相手に鬱憤をぶつけるのはどうかと思うが。
「わ、私も目的地が首都でございまして……」
背筋を伸ばし、二人の目を真っ直ぐ見つめた後、修道女は頭を下げた。
「どうか、同行させていただけないでしょうか。お金はありますので、何卒お願いします」
手本のような礼を見せる修道女。
大和としては同行しても何の問題もない。主な理由は敵ではない事、それだけだ。
だが、グレモリーはどうか。
名を名乗らず、大和の種族を見破り、面白くない反応をする。
さらに目の敵であるベルゼブブを崇め奉り、布教活動までしていたというのだから、乗り気ではないだろう。
「顔を上げよ」
グレモリーが歩み寄る。
顔を上げた修道女は間近で目の当たりにしたグレモリーの高身長に驚いた様子を見せた。
「お主の事はあまり気に食わん。じゃが、困ってるやつを見捨てるほど、心は腐っておらぬ」
「では……」
「乗れ。これも巡り合わせというものじゃ」
「ありがとうございます!」
「ふん」と捨て台詞を吐いて、踵を返す。
大和を一瞬睨んで、横を通り過ぎてそのまま馬車へ向かう。
見るからに不機嫌そうなグレモリーを追う。
「いいのか? グレモリー」
馬車に飛び乗る。ずっと待っていた馬が迷惑そうに目線を向けたが、グレモリーの目つきの悪さに怖じ気づいて前に向き直る。
「我が反対してもお主は連れていくつもりなのじゃろ。言わんでもわかっておる。それにここに長居はしたくない」
「何でだ?」
「すぐにわかりますわ」
足音もなく背後に立っていた修道女が言った。
「失礼しますわ」と、ゆっくりと馬車に乗る。
ただそれだけの動作なのに、つい見とれてしまう美しさを感じる。
ぼんやりとしていると修道女に手を差しのべられた。
「大和さん、お手を」
「あ、うん」
大和は手を重ねた。
柔らかく艶のある白い手の平。整えられた爪。
しかし握力は強く、ぐいっと引っ張られて乗り込んだ。
修道女がにこりと微笑んだ。どきりと大きな鼓動。
照れ臭くて顔を背けた。
「おい、女僧。手綱を握れ」
「わかりましたわ」
修道女は御者台へ。馬に一声かけると馬車を走らせた。
グレモリーはずっと不機嫌だった。
胡座をかき、膝の上に頬杖を突いて、後方の景色を眺めている。
退屈そうだが、寂しそうにも見える。内心は楽しんでいるかもしれない。
相手の心の内は見透せないのだから、何とでも言える。
こういう時はどうしたらいいのか大和にはわからない。
「なんじゃ、じろじろ見おって」
「いや、なんでもない」
「バカ者が。あやつに好色の念を抱いておったのじゃろ」
照れたのを好色と表現するのは誇張表現が過ぎないだろうか。
毎度毎度、グレモリーは何を考えているのかわからない。
嫉妬ともとれる発言だが大和はその考えを振り払う。そんなタイプではないはずだ。
反論を考え、頬の上気が収まってきた頃、グレモリーの目が見開いた。
「大和、立て、剣を抜け」
「どうしたんだ?」
「あやつらは仲間をやられて黙っているような者ではない」
いたって冷静な物言いで相変わらず景色を眺めるグレモリー。
言われた通りに剣を抜く。不安定な馬車の上、バランスを取りながら立ち上がる。
見えない何かを見ているグレモリーに倣って、大和は目を凝らした。
やがて聞こえてくる足音。馬とは違う、もっと大きな動物の足音。それも一つや二つではなく、多数。
「騎兵、ですわね」
修道女が呟いた。グレモリーが「左様」とも言わんばかりに頷いた。
「このままじゃ追いつかれるぞ!」
「速度を上げますわ。お馬さん、頑張ってくださいませ」
修道女の馬術で速度は上がったものの、押し寄せる足音は距離を縮めていく。
剣を抜いたはいいが、敵の姿が見えなければどこに剣を振るえばいいか見当もつかない。
『結晶』の衝撃波を使えば広範囲への攻撃は可能だが、あまりに広いと魔力の無駄遣いになってしまう。
衝撃波による周辺への被害を考えると効率的ではない。
ではどうするのか。
悩んでいると、太股を摘ままれた。
「てれてれしおって。男ならさっさと薙ぎ払わんか。女々しい奴め」
嫌みを言いつつ、グレモリーは埃を払うように手を右から左へ。
すると右から順に犀に似た動物に乗ったトロールの騎兵約十騎が現れた。
トロールたちは遅れて透明化の魔法が強制的に解除された事を理解した。
発動中、彼らの目には、自らの体と仲間の体、騎乗する動物の体が薄ぼんやりとした線で縁取られているのが映っていた。
それが今や元の色をしているではないか。どういう事だ。
トロールたちに動揺が広がる。
グレモリーがトロールの使う魔法を解除できたのには理由があった。
それは互いが使う魔法にある。
固有魔法に対して下級魔法である幻術とでは明確な上下関係が存在する。
一つの魔法を深く鍛えるか、多数の魔法を浅く鍛えるかの違いなのだ。
同じ系統の魔法を使えども、鍛え方次第で桁違いの威力を発揮する。
固有魔法がそこらの怪物が使う幻術に劣るはずがないのだ。
「やれ、大和」
「わ、わかってる」
柄を両手で握り、腰を捻って剣を引き絞る。
青い結晶が剣を覆った。
「
今まで縦に振っていた技を今回は横に払う。
青い斬撃は騎兵隊へ一直線。その内の一騎に命中して、大気を揺らす衝撃波を起こした。
多くの騎兵は倒れ、呻き、叫び、痛みに悶え苦しむ。
だが一騎だけ、前衛が壁となり衝撃波の影響が軽減されて無事な者がいた。速度を上げて突進してくる。
「討ち漏らしておるぞ、能無し」
「いや残ると思わねぇよ!」
「お二人共」
修道女の方を振り向くと、彼女は手綱を手放し直立していた。
「あの一騎は私にお任せください」
二人の言葉も待たずに修道女は跳躍した。
トロールが棍棒を持ち出し振りかぶる。
修道女も拳を振りかぶる。
「オオオオオオ!」
「はっ!」
トロールの巨体に見合った巨大な棍棒が修道女に襲い来る。
後出しで放った拳が棍棒とぶつかり合うと、棍棒は一瞬にして木屑へと変わった。
武器を破壊されたトロールは怒り、もう片方の手で薙ぎ払おうとする。
それよりも先に修道女の左拳がトロールの顔面にめり込んだ。
鼻がひしゃげ、眼球が飛び出す。
仰け反るトロールの喉元にだめ押しの蹴り。
倒れるトロールの体を足場に軽く跳躍。
騎乗していた犀に踵を落とす。
目がぐるんと上を向き、足がもつれて倒れる。そのままぴくりとも動かない。
「グレム!」
「わかっておるわ」
グレモリーが宙を舞う修道女へ手をかざした。
修道女の体は空中で静止し、馬車と付かず離れずの距離を保って追尾している。
グレモリーは馬を操って引き返す。トロールの残党はいないようだった。
「変な拾い物をしたな」
グレモリーの言葉に馬車へ降りてきた修道女は不満げに頬を膨らませた。
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