第四十話・最後の一人
「はっはー! 我々が一番乗りじゃな! 他の者共は苦戦を強いられているようじゃな!」
「心配ぐらいしろよ」
穴だらけの図書館に着くなりグレモリーは両手を高く掲げ、競ってもいないのに
大和はというと時間を空けてやって来た途轍もない倦怠感に襲われ、病人を彷彿とさせる顔色でげんなりとしていた。
「心配は無用! あ奴ら、苦戦こそすれ負けはせん。我は信じておるぞ」
「なら加勢に行ってもいいんじゃないか?」
「今のお主がいた状態では足手まといじゃ。ここで帰還を待つのが賢明じゃよ」
本当はグレモリーを振り切ってでも他の面々の元へ駆けつけたいが、グレモリーの言う通りだ。最初から行く気がない奴もどうかとは思うが。
魔力感知を使えばある程度の位置は掴める。だがそうする余裕がなくなってしまう程の不安と疲れが心に溜まっている。
ここまで疲れがある理由は明白で、一言で済ませると調子に乗ってしまったからだ。
レラジェとの戦いで体現した固有魔法。魔剣フルングニルのものとは別の、大和自身の魔力。
それはつまり使える魔力量の増加を示していた。
以前オセー戦にて指摘された一撃に込める魔力量の無駄遣いをつい忘れてしまって、大量の魔力をつぎ込んでしまったのだ。
過ちを現在に活かしきれていない事に反省しつつも、グレモリーにバレていたらどうなっていただろうとドキドキしていた。
気づいていないふりをしているのか否か。何にせよ、バレていたらねちねちと小言を言われていた事だろう。
「グレモリー! 大和君!」
声のする方に視線を向けると若干足を引き摺るようにして歩くサミジナがいた。
服は所々千切れているが、それよりも大和の目を引いたのは胸の傷だった。
抉られた大きな穴は完全に背中まで貫通している。肺を損傷しているはずなのに、サミジナは呼吸が苦しそうなだけで至って元気だ。
「こっぴどくやられたな、お主」
「しょうがないじゃない。相手が少し悪かったの」
「でも生きとるって事は息の根を止めたんじゃろな」
「そ、それは……」
「おいおい大和聞いたか。こやつ敵を逃しおったようじゃぞ。序列四位が聞いて呆れるな!」
サミジナの傷の心配など一切せず、戦績を茶化すグレモリーに無性に腹が立った。
「グレム、あのな……」
「大和君」
咎めようとするとサミジナに止められた。
首を左右に振って「いいのよ」と、申し訳なさそうに呟いた。
「詰めが甘かったの。ごめんなさいね」
「軟弱者が。座っておれ」
「ええ。そうさせてもらうわ」
その場に座り込んだサミジナは顔を俯かせて深呼吸を繰り返している。声を出すのも苦しいのかもしれない。
サミジナとは違って確実に敵を殺めたとはいえ彼女に対して強く物言う事はできなかった。
生き残った仲間にあのような心無い言葉を言えるのはグレモリーぐらいだ。
「無事か? お前ら」
聞き馴染みのある低い声。マルバスだ。
しかっりとした足取りで向かってくるマルバスの腕には血液に髪や服を汚し、目を閉じているアミーが抱き抱えられていた。
「おう! 我々は無事じゃぞ!」
「そうか。ならいい」
「マルバスは? アミーは大丈夫なのか?」
マルバスは腕の中の少女を見やる。
アミーの顔には殴打されたような痕がいくつもある。
額は縦にぱっくりと割れ、血が鼻の両側を通って下顎へ流れている。
サミジナ同様、服が所々千切れているのと無数の傷が激闘を物語っている。
片やマルバスには一切の傷は見られず、呼吸が苦しそうな様子はない。
特に苦戦した訳ではなさそうだ。
「アミーの傍に頭が砕け散った大男がいた。俺が着いた頃には死んでた」
「なるほど。アミーも我々と同じく、殺したようじゃな。して、マルバスはどうなのじゃ?」
「……逃がした」
一瞬、発言を躊躇したようだった。
グレモリーに煽られる事を承知で、正直に自分の戦績を言ったのだ。
何度も聞かされてきたであろう、グレモリーの嘲笑が響く。
「はっはっは! 上位勢がこぞって敵を逃すとはな! 実に情けない! そうは思わんか大和! なぁ!」
気まずいから話を振らないでほしい。
敵を倒せなかったが生きて帰ってきている。
その事実があるだけで大和はよかったのだ。
親身になって接してくれる仲間が一人でも欠けてしまうのはどうにも堪えきれない気がするからだ。
グレモリーはとりあえず無視した。反応するだけ無駄だ。
無言を貫く大和に煽りの勢いを削られたのか、グレモリーは露骨に不機嫌そうな表情をした。
「けっ、面白くないの」
「お前だけだよ。テンション高いの」
「まぁよいわ。で、敵は全員撃退したのかの?」
グレモリーが二人。大和、アミー、マルバス、サミジナが一人ずつ。
合計六人。
大和は既に全員と戦闘していたと思っていたが、それをマルバスが否定する。
「いや、あと一人だ。周りを見てみろ。障壁が消えていない」
目を凝らすと空より低い位置、青色に重なる薄い紫色が学校の敷地の端まで平面状に広がっていた。
図書館で襲撃された際のアミーの言葉を思い出した。
敵は全員で七人いたのだ。
「固有魔法『障壁』。バルバドスだな」
「どこに雲隠れしたのやら。さっさと見つけてぶち殺さねばのう」
「倒さなきゃ出られないって訳か」
「左様じゃ。さてさて、最後の一人。どう出るかの」
気持ちの悪い笑みを浮かべながら両拳をパキパキと鳴らす。
ついさっきまで敵勢力二人を相手にしていたのに、まだ暴れ足りないようだ。
自分で死の淵へ赴く彼女の戦闘欲求は恐ろしいまである。
グレモリーの強壮さにうんざりしながら、最後の一人捜索のため重い足を踏み出そうとした時、誰かに肩を掴まれた。
「大和!」
「大和君!」
「クソッ!」
グレモリーが憤怒の形相で駆け寄りながら手を伸ばす。
大和も手を伸ばすが、もう少しで届くというところで視界の両端から闇が迫り、目の前で門のように閉じた。
「くっ、離せ!」
言ったと同時に投げられる。
顔を上げると黒い靴。次の瞬間、鈍い痛み。顔を蹴られたのだ。
痛みに悶え鼻血を垂れ流しつつも、相手の姿を視界に入れる。
周囲は暗闇に包まれているが、大和と男にだけスポットライトが当たっているように明るく、細部まで見る事ができる。
中心で分けられた茶色の長髪。和装で腰には刀を携えている。
「よくも、俺の隊を!」
怒りに満ちた顔。怒りに満ちた声をあげながら、再び大和を蹴り飛ばす。
大和は直感的にこの男が最後の一人、バルバドスなのだと理解した。
戦闘直後で動けない大和に執拗に蹴り、踏みつける。
仲間を殺された恨み。復讐心。そして、怒り。
それらに囚われたバルバドスに命乞いは届かないだろう。
かといって、抵抗する力もない。
暴力を受ける事しか大和にできる事はなかった。
「どうせ俺も終わりだ! せめてお前を道連れにしてやる!」
鼻息荒く、刀を抜いた。
逃げようと後退りをするが、すぐに見えない壁に当たってしまう。
「無駄だ。ここは俺の『障壁』で作り出した絶対不可侵障壁の内部。外の声もこちらからの声も聞こえない」
助けを求めても聞こえない、外から入れない。
中に引き込まれた時点で殺されるのは確定しているようなものだ。
追い詰められた大和を見下ろすバルバドス。
「さらばだ人間。地獄で会おう」
刀を振りかぶる。
死に目に遭ってもなんとか生き延びてきた。
その内、自分の中でも「俺は死なない」という自負が芽生えていた。
だが今回ばかりは避けようがない死。
一太刀か何回か。
いずれにせよ一分はかからないだろう。
「死ね!」
命を奪わんとする銀の光を呆然と眺める。抵抗する気も起きなかった。
「待った」
バルバドスの腕を背後から何者かが掴むまでは。
右目の部分に穴が空いただけののっぺりとした黒い仮面。
大和もバルバドスも彼がこの場にいる事に心底驚いていた。
先の見えない洞窟のような暗さの仮面の穴から突き刺さるベルゼブブの視線に、大和は背中に冷たいものを感じた。
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